CASE2 2周目の7月1日③
生徒会室で一度冷静になると、落ち着いてこの事実を受け止められるようになってきた。
おそらくだが、この世界で唯一、俺だけがこれから先――7月31日までの記憶を持っている。そしてそのことを何かに生かせないかと、考え始めている。
いまにして思えば俺の7月は散々であった。
ことごとく選択肢やら行動を間違え、結果だけを見ればロクでもないことしか起こらなかった。だからこそ今回は、なるべく慎重に考えて動くべきだろう。
幸いにも状況はすでに好転の兆しを見せ始めている。
俺の改変された言動によって黒田先生から今後睨まれる心配がなくなり、織原から小言をいわれることもなかった。
つまり、俺の意志である程度の未来は変えられたってことだ。
だがその範囲も、おそらく何でも変えられるわけじゃない。
例えば今日発売のマンガ雑誌の内容を変化させるなんてことは不可能だろう。
俺の行動が影響を与える範囲なんて限られている。
分かりやすい変化があるとすれば……俺と関係の深い、例えば家族や生徒会役員との関わりあいくらいだろうか……
俺はふと織原のことが気になりだし視線を向けると、彼女は例の重箱を袋から取り出し机の上に広げていた。
「いただきます」
そして行儀よく手を合わせて食事を始めたところで、俺ははたと気づく。
他でもない『卵焼き事件』のことである。
前回、この織原家お抱えシェフ謹製の豪華弁当の中で、彼女が唯一手作りしたであろうその卵焼きを俺は「クソ不味い」などと、ばちくそに貶してしまったのだ。
その後、聖良や朱音その他が料理の話題をするたびに織原が暗い顔をするので、俺としてはもう触れたくない黒歴史のひとつであった。
しかし、である。
何の因果か俺はやり直しの機会を与えられ、それは先ほどの件にしたって着実に成果を上げ始めている。となれば、ここも先途と前回の失態を返上すべく行動を起こすべきではないのか?
「相変わらず豪勢だな。伊勢エビが入ってる学生弁当なんて、日本中探しても織原だけだろ」
俺は早速それを実行に移すことにした。
「シェ……あ、いえ、作った方が言うには、今朝は伊勢エビが安かったと……」
「なるほど、そうだったのか」
「か、カップラーメンだって食べたことありますし……」
「へぇ、織原って結構庶民的だったんだな」
「!! そ、そうなんですっ!」
「お、おう……」
やはり織原は自分が裕福な家庭だとは思われたくないようだった。
身を乗り出して激しく肯定する織原に、俺は内心引きながらも相槌を打つ。
「海外旅行だって年に数回しか行かないですし」
「ハハ…………」
黙ってればいいのに、余計なことを言って墓穴を掘る織原に苦笑い。
ふふん、と本人は自慢げに庶民をアピールをしてるつもりらしいのだが、それが実に痛々しい……
我々庶民は海外旅行なんて、年に数回どころか一生のうち数回も行かんのですよ。
「まあそれはそれとして、美味そうな弁当だよな」
目的が脱線しそうだったので俺は軌道修正を図り、改めて机の上に並べられた重箱に目を落とした。
「よ、よろしければどうぞ……」
「えっ、本当にいいのか?」
おずおずと重箱を差し出してくる織原に、俺は白々しくも驚いた反応を示してみせる。前回、先走りしすぎて呆れられてしまったからな。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。じゃあどれから戴こうかな?」
「……………………」
箸を片手に俺はあえて悩む振りをしたのだが、やはりというべきか織原の視線は卵焼きの一点のみに注がれていた。
「……うーん、まずはこれにするか」
俺は織原の意を汲む形でいきなり大本命ともいえる例の卵焼きに箸を伸ばし、そして一口でぱくりと頬張る。その瞬間に彼女が小さく「あっ……」と声を漏らした。
「……………………」
「い、いかがでしょうか?」
「……………………」
「会長…………?」
「……ひ、人にも依るかもしれないが、俺はこの味は好みだな……」
口いっぱいに押し寄せる不快感の波に悶絶しながらも表情は努めて笑顔をキープ。
「ほ、本当ですかっ!?」
「あ、ああ……」
本来ならこの味を事前に知っている俺としては、漂流5日目でもなければ決して手は付けなかっただろう。
基本佃煮にすれば何でも食える説を声高に提唱するほど味にうるさくない俺だが、さすがにこれをウマいといってのけるには無理がある。
舌の肥えた犬ならば鼻を近づけただけでキャインと鳴いて逃げ出すに違いない。
「ふふっ……ふふふっ……」
しかし俺の狂言にも近いお世辞を真に受けた織原は、両手を頬に当てて嬉しそうに身体をくねらせている。
この間違った評価を基準にして今後彼女の料理スキルが磨かれるとするならば、将来の旦那さんにはえらい申し訳ないことをしたなと思わないでもないが、俺だけがこんな舌が引っ込むような体験を味わうのもなんだか悔しいと思った。
苦しみも分かち合ってこそ絆が深まるものだし、今度朱音あたりにそれとなく勧めてみることにしよう。
その後、俺はその卵焼きなる物体を舌の上に乗せずにかみ砕く振りをして一気に飲み込むという高度なテクニックを駆使しつつなんとか完食。
俺の慈愛溢れた献身によって織原の名誉は守られた。したがって、俺は口直しとして伊勢エビに手をつける資格がある。よくぞ気づいた。
「じゃあ、次はこの伊勢エビを――」
「――会長、実は料理人の方が作りすぎてしまった分がありまして、よろしければこちらもいかがですか?」
「え”」
そういって織原は別の袋から小分けされたタッパーを取り出した。中身は言わずもがな。
「会長の好みに合ったようなので、ぜひこちらも」
ずいずいと押し付けるようにして俺のデスクの前にそれを置く。それもさっきの倍以上の量があった。
「………………ハハ……」
絶望感が胸を潰し、心臓は血液の代わりに脂汗を送り出す。
神はどうして俺にそんな重荷を負わせようとする?
俺は泣き笑いの気持ちで一杯だった。
「会長? お顔が優れない様ですが、もしかして…………」
「い、いやっ! ありがたく戴くよ!」
……ここまでやったからには今更後には引けぬ。覆水盆に返らず、一度吐いた言葉は飲み込めないのだ。
俺は最早やけくそになりながら、勢いよくそれらを平らげてみせた。
「ご、ごちそうさまでした……」
「はい、お粗末様でした。……ふふっ」
織原は満悦至極といった表情で、食べ終えたタッパーを袋にしまい込んだ。
こうして俺は一つの教訓を得る。
やり直しができるからといって、必ずしも俺にとって最良の結果になるわけではないのだと。
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