第106話 カウントダウン

 ふと、肩に暖かい風が当たった。まるで背後から何者かがそっと手を置いているような。

 振り返っても誰もいない。しかし、ラックに引っ掛けられていた黄色い泡立てネットが、かつていつもそばにあった金色の髪を思い起こさせる。

 気のせいだったか。未練がましく、幻影まで見やがって。そろそろ寒くなってきた。後がつかえても困る、出よう。


 滴る水滴を、手に取った柔軟剤の香りが立ち上るバスタオルで拭き取っていく。

 置かれていた着替えは黒いスウェットの上下。下着と同じく黒いロンT。それら全てを身に付けて、脱衣所を出る。

 居間にいた二人から向けられる視線は、片方が安堵、片方が苛立ちという風な感じ。


「よかった、サイズ合ってたんやね。」


「たかがシャワーで遅すぎるやろ!年越す前に入っときたいねん、退け!」


 乾は俺を押しのけて、入れ違いに早足で風呂場へ行ってしまった。いつもの呆れた、乾いた笑いがくうで錯綜する。

 テレビは、年末スペシャルと称した特番にチャンネルが切り替えられていた。年を越す瞬間を皆でカウントダウンしよう、という趣旨のようだ。


 俺はあそこでどれだけ泣いていたのだろうか。もう来年まで一時間を切っていた。

 泣き腫らした痕を確認する行為の不自然さに気づき、寸前で止める。俺はこれといって特筆すべき内容でないテレビの画面に目を向けることにした。

 吉峰は頬杖をつき、蜜柑を食べながらテレビを見て、時偶少し笑う。会話の起点すらなくなってしまい、居たたまれなさを感じているところへ浴衣姿の乾が戻ってきた。


「吉峰、空いたで。」


「んー...あー、やっぱウチは年越してからでええかな。そろそろ蕎麦の準備せなあかんし。」


 そのまま吉峰はキッチンへ。湯冷めの寒さに腕をさすり、乾が蜜柑をひょいと取りながら向かいに座る。

 皮を剥き、几帳面にも白い筋を全て取っていた。しかしその間しょっちゅう、なにかを面白がるような視線をこちらに向けてくる。


「.....何見てんだよ。」


「あ...?あぁー...なんかお前、スウェットやと外出てへんガキみたいやなぁーって。」


「...は?」


「顔色悪いー言うてんねん。風呂の広さが嫌でワケやないやろ。」

「気持ち悪いで?そのジトーって雰囲気。」


 顔を寄せ声を小さく絞り、乾は俺が隠したがっていた事実をあっさり指摘した。押し黙る俺を鼻で笑いながら、蜜柑、一個の半分を頬張りごくりと喉を鳴らして飲み込む。


「.......せやから情けないねんお前は~。吉峰、お前に気ィ遣ってるんやで。」

「どっかのアホが音量下げよったから、泣き声筒抜けや。」


「...すまん。」


「なんでそこで謝んの....?あぁあ気色悪ッ、ホンマサブイボ立つわ~。」

「課長の息子やねんから、ちゃんとしとき。んな未練タラタラでくたばってあの子にどないな顔見せるんや。」


「......ッ」


 だからこいつは気に入らない。いつも人を食ったような態度取って、他人の神経を逆撫でする事ばっか吐いて。

 そのくせ真面目な場面になった途端的確に図星を突いてくる。こんな野郎の言葉になにも言い返せない自分が情けない。

 乾はテレビへ視線を移した。再び流れる互いの沈黙をようやく破ったのは、吉峰が器をテーブルに置く音だった。


 湯気立つ、つゆの熱が通り白身がやや固まった卵が落とされている月見蕎麦。その他のトッピングは揚げ玉だけ。

 このシンプルな感じがそそる。主流がどうなのかは知らないが、年越しとなればあまり飾りすぎないのが趣があり良いのかもしれない。適当な推測だが。


「来た!おっ、卵ええなぁ~!最高や!」


「....いただきます。」


「温かいうちに食べよ~。」


 箸で麺を持ち上げ、息を吹いて冷まし勢いよく啜る。アツアツさと少し濃いめのつゆが冬の風呂上がりにはうってつけだ。

 麺はコシが強く、蕎麦本来の豊かな風味を強く感じられる。さらに細すぎない麺の幅の程よい食べ応え。

 夕飯を食べてからそれほど時間が経っていないというのにスルスル入ってくる。味変の七味唐辛子が最早不必要。


 割った黄身も絡めつつ食し、終始満足感のある一杯を堪能した。器を持ってつゆを飲み余韻に浸っていると、ついに年明けのカウントダウンが迫ってきているようだ。

 マイクを持ったアナウンサーが、神社を背景にして年越しの瞬間を今か今かと待っている。そして始まる、10秒前。

 強いて振り返るとするなら、クソみたいな年だった。もう二度とごめんだ。


『3...!2...!1...!』

『あけまして....!えっ?』


 新年一言目の祝い言が途切れる。カメラに映っている誰もが、降り注ぐ月明かりを遮ったなにかの正体を暴こうと空を見上げた。

 雲が薄くなり、星が覗いていたはず。しかし今この瞬間全国に放送されているはずの映像にはそんなものはなく、妙な予感を迸らせるざわめきは憶測にまみれている。

 なんの前触れもなく姿を現した大きすぎるなにかが、空を覆っていた。


 すると、頭上に見えているなにかが青白い光を放ち始めた。そしてその光によって見えてきた"なにか"の正体は、金属で出来た巨大な球体のようなもの。

 UFOなんてちゃちなサイズじゃない、高層ビル一棟の背をも余裕で超すぞ。

 表面には無数の溝があり、寄木細工のように模様を作り互い違いに絶えずズレていきランダムに形を変えている。


 俺達は状況の確認に努めた。目を光らせ、他に異常な点がないかを調べる。しかしそれはすぐに訪れてしまう。

 球体の用途も知れないままに、陰になっていたその上から翼を持つ生物が大群を成して地上へ舞い降りた。

 一度見たら忘れもしない、人智を超えて気色の悪い姿。甲殻類を思わせるピンク色の表皮、短い触手が寄り集まったパターン発光するイソギンチャクのような頭。


「ミ=ゴ...だと...!?」


 現れた化け物に恐怖し、逃げ惑う人々。無慈悲にも、浮かぶ球体はその背中に攻撃を行う。

 光が一瞬強くなったその時。バリバリという轟音と共に、激しい火花を伴う緑色のレーザーのようなものが大量に空中を伝播し、次々と身体を打っていく。

 命中してしまった者は瞬く間に黒焦げになり、煙を上げ動かなくなった。レーザーはミ=ゴだけを避けて無差別に人間を狙っている。


 ついに取り落とされたカメラ。作り上げられた死屍累々、飛び交う阿鼻叫喚の悲鳴のみを映して、中継が切られる。

 あまりに突然の惨劇に張り詰めた空気を、俺のスマホの着信音が切り裂いた。取り落としそうになりながらも、橘からの連絡に応答する。


『もしもし!?睦月、テレビ見たか!!』


「全部見たよ全部!!ありゃ一体なんだ!?」


『わからん...!だがこれは異常事態だ!俺はすぐに各支部から東京へ精鋭を召集する、少なからずこの状況を知ってる人間もいるはずだ!』

『吉峰や乾と一緒なら、すぐに現場向かって少しでも多くあのエビ野郎を殲滅してくれ!!』


「ああ!....あんたは!?課員呼んだ後は、どうすんだ!?」


『俺は...やることがある。あの巨大殺人ボールを止める手段を見つけねェとな...』

『お前は構わないで行け!一人でも犠牲を少なくするんだ!!』

『.....死ぬんじゃねェぞ!』


 電話を切ると、吉峰はいち早く開けたタンスの中から取り出したものを俺と乾に投げ渡す。トランシーバーだ。


「すぐに支度や!!ソレ持って戦闘準備!!」


「「了解ッ!!」」


 コートに袖を通し、穿傀を引っ掴み背中に紐をかける。新年早々、といってもこれはさすがに早々にも程があるだろ。

 武器を持ち、家を飛び出し車へ乗り込む。意味をなくした法定速度をかなぐり捨て、フルスロットルで道路を駆け抜け間の悪い襲撃者の攻撃に備える。


 戦いへの昂りを抑えきれず貧乏ゆすりが止まらない乾。焦りを消すべく必死に冷静さを維持しようとする吉峰。

 俺がどちらにつこうと、これから起こることはどうせ予想通り。血で血を洗う乱戦だ。

 ミ=ゴ。必ずここで絶滅させてやる。お前らのような生き物は、この世に要らない。

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