第105話 普遍性とは

 浴びせ続けられた熱によって、背中がピリピリと痒くなる感覚で目を覚ます。やはりというかなんというか、寝てしまっていた。

 いつの間にか身体には毛布がかけられていて、時計を見れば昼に差し掛かる頃だ。目の前のテーブルでは、乾と吉峰がテイクアウトのハンバーガーを食べている。


 吉峰は素知らぬ顔をしているが、乾の方はどこからどう見ても昨夜のせいでグロッキーだ。肘をついていて、齧る一口もやたらと小さい。

 俺がむくりと身を起こすと、吉峰はそれに気づき手を振りながら微笑みを向けた。


「おはよ~。ハンバーガー買うてきたで。」


 毛布を取り払い、畳んでからテーブルへ着く。適当に選んできたらしい包みの一つを手に取り、袋を剥いで口にする。

 まだ外では雪が降っていた。少し積もった雪は太陽光を反射して窓越しにでも眩しさを感じさせる。

 こういう落ち着いた時間が訪れると、どうしても余計なことを考え込んでしまう。今日のは課の今後について。


 評議会亡き今、再度の設立が行われるかどうかの連絡は未だにない。この膠着状態はおそらく、俺達が揺篭オーファニッジを打倒するまで終わることはないだろう。

 消えてせいせいした、また出張ってきたらきたで邪魔なだけだ。

 あいつらは課員をモルモットかなにかとしてしか認識していないし、今思えば下していた命令も自らの知的好奇心を満たすためにしか感じ取れないようなものばかり。


 せめて俺を除いた全ての課員が、人間として生きていられるように俺が。俺が背負っていかなくてはならない。

 いくら殉職率が高くて嫌な仕事だとは言っても、ここまで悲惨な道を辿って死に損ねた奴も珍しいはずだ。

 死に対する「慣れ」とは、何物にも代えがたい貴重な経験の一つだと俺は考える。麻痺とも呼べるこれは、命を摘み取る上で必要不可欠な条件。


 まともな倫理観を維持した上で人殺しを続けるなど絵空事でしかない。一人でも殺せば後戻りできなくなるのは当たり前だ。

 そんな陰鬱なことを思考しながら、頬張ったチーズバーガーを胃にコーラで流し込む。滅入る気なんてとっくに深淵に置いてきた。

 事実確認をしているだけだから今更痛くも痒くも。さあ、大晦日。今日も今日とて鍛練に励まなくてはならない。


「乾。そろそろ稽古始めたいんだが。」


「はァ...?アホちゃうかお前、今ロクに動けへんのは見たらわかるやろ...」

「ホンマに覚えてへんのか吉峰ェ...」


「まったく。飲み勝負の途中からぱったり記憶途切れてもうてるわ。」

「ウチは全然動けるけどー...ごめんやけどこれから大掃除やから相手は無理やで?」


「あぁ...大掃除か...」

「なら、俺も手伝う。」


 食べ終わった包み紙を袋に突っ込み、俺達は大掃除を始めるべく道具を取りに行った。

 そして使い捨ての除菌モップや雑巾を駆使して、家中の汚れを落とす。屋敷がそこそこ広いこともあってか使われていない部屋もいくつかあり、舞い上がる埃やこびりついた蜘蛛の巣に難儀しつつそれらを取り除く。


 丁寧に時間をかけ、二つ目の物置部屋。見たこともない骨董品や桐タンスが並んでいる。

 普段使わない身体の部分が疲れを帯びてくるのをひしひしと感じた。

 だがなにもせずダラダラと過ごすよりはよっぽどいい。

 錆を拭き取り輝きをほとんど取り戻した、見て回った限りで最後の窓枠。ふと上を見上げると既に厚い雲が陽を覆い隠し始めていた。

 冬は夜になるのが早い。だからこの世が闇に包まれている時間がより多くなるため、暗躍の権化たる揺篭オーファニッジのメンバーであった時はそこが書き入れ時であると知らされていたことを思い出してしまった。


 嫌な記憶ほど、べっとりと付いたまま度々現れては自身を苛むものだ。この窓枠の端に残って取れない錆のように。ざらざらと。

 向こうもそろそろ終わっていることだろう。慣れない動きをしたら腹が減った、少し早いが戻ることにしよう。


 軋む急な階段を下りていき居間へ戻ると、乾は畳の上に大の字になって寝ていた。どうやらまだ頭が痛むらしい。

 キッチンの方からは吉峰がなにやら調理している音が聞こえる。覗けば、まな板の上でなにやら手を白くして灰色の塊を練っている。


「上の掃除は終了です。」


「随分念入りにやっとったみたいやねぇ。ありがと、お疲れさん。」

「ああそれと、夜は昨日の余りもんで済ますけどええ?」


「全然大丈夫です。」

「......それは?」


「年越し蕎麦。今準備してるところや。」

「やってみる?」


「...いえ。俺が手ェ出さない方が美味くなると思うので。楽しみに取っときます。」


「ふふっ、そお?ほんなら休んどって~!」


 テーブルの前に座り、つけっぱなしになっていた誰が見ているでもないテレビの液晶に目を向ける。

 そこにはバラエティ特番。大して面白くもない内容、顔も名前もわからない芸能人。

 いかに自分が俗世間から隔絶させられていたかを痛感する。揺篭オーファニッジには、普通の人間なら必ず訪れる時期の節目を示す日や行事なんて存在しなかった。


 年や、日々の経過なんてただ年月日の数が入れ替わるだけの現象だと思っていた。今もそうだ。上手く感情移入ができない。

 情緒が鈍すぎるんだ。命を奪うため育てられ、それだけをして生きてきたからに浸かったことが全くなく、存在を知れど興味が湧かない。

 たまらずチャンネルを適当に切り替えるが、その先はドッキリ番組。なんの罪もない人間ををなんの予告もなく落とし穴にブチ込んで、土埃の汚れとは無縁な衣装を纏った芸能人が外野からゲラゲラ。


 まるで笑えてこない。きっとおかしいのは俺の狂った感覚なんだろうが、一体全体こんな文化を流行らせたのは何処の誰なんだ。

 馬鹿馬鹿しい。音量を半分まで下げ、腕をクッションにしてテーブルに突っ伏す。

 動かされ続けていた精神が、ようやく静へと切り替わった気がする。しばらくそのままボーッとしていると、テーブルに何かが置かれた。


 昨日買い込んでいた惣菜だった。茶碗に盛られた白米やグラス、茶と共に。

 気づけばとっくに外は暗い。乾も物音にむくりと身を起こし、身体を伸ばして低く唸る。やがて食卓に全員が付いた。


「「「いただきます。」」」


 テレビを見ながら、和気藹々と食事をする。いつの間にか俺がここに一泊したことになっているという点には、どういうわけかなにも突っ込まれない。

 液晶に映る人物の話題になるが、俺が会話に入れないことに気づかれる度に態度を取り繕わなければならなかった。


「ごちそうさま。」


 そして腹八分になり、おかわりはせずそのまま食器をシンクへ。蕎麦を食うためにある程度空けておかなくては。

 風呂に入りたいが、ひとまず先に確認しなければならない事がある。俺がここに居座ることへの可否だ。


「...あの、吉峰さん。」

「俺、流れとはいえ泊まってしまって...これからはまた事務所に。」


「...はぁ、バカやねぇ睦月くん。ウチらがそんな可哀想なことするわけないやないの。」

「自分の家や思て暮らしたらええよ。今日だけやなくて、これからもや。」


「ちょい待て!って言うたか吉峰!?俺はこないな仏頂面は、一緒にいて楽しないからイヤやって!」


「シャラップ!アンタに拒否権ないで。」

「お風呂入るんやろ。バスタオル置いといたから、好きに使い。」


「....ありがとうございます。」


 乾のガヤガヤとした悪態を背に、脱衣所へ向かう。そこにはバスタオルどころか、替えの服まで置いてあった。

 汗ばんでベタつく服を脱いで洗濯カゴに入れていく。空気が冷たい。扉を閉めゆっくりとタイルを踏み締めて、レバーを捻る。


 勢いよく噴き出した湯が頭の先から足まで伝い流れ落ちる。皮膚の表面を通して身体を温められて、冷たい雫が。

 緩みきった心身は、抑圧された感情を塞き止めることができなかった。嗚咽と共に溢れてくる涙が、シャワーに混ざって消えていく。


 恐い。たまらなく。俺はまた、性懲りもなくまた普通になろうとしている。

 取り戻したくなかった。失ったままでなければ俺は前へ進めないのに、どうして皆俺にやさしくしてくれるんだ。

 そしてまた逃げるのか。差し伸べてくれた手を振り払ってまで、復讐を優先するのか。それじゃあ逆戻りじゃないか。


 友情を。愛情を。注がれる慈しみを。背負ったまま戦い続けるなんて、できない。

 失うものはなくても、失う恐怖は痛い程に知っている。出来ることならなにもかも投げ出したいよ。


「尊、俺は...どうすればいいと思う...?」

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