第102話 忘るること勿れ

 会話のない道中。俺は何を考えるでもなくひたすら窓の外に流れる風景を見ていた。

 そのうち車は吉峰宅に到着し、降りるといつものように間髪入れずせっかちにも刀を手にした乾が飛び出してくる。


「おうおう随分怠けてたみたいやな睦月ィ!」


「...まあ、そうなるか。こっちも色々あったんだが。」


「あ...?まーええわ。早よ始めよか!」


 俺の現状を知ってか知らずか、乾のテンションは相変わらずのようだ。かえって安心した。

 ダダ下がりの雰囲気を感じながら稽古をするのは俺だって避けたい。パフォーマンスの低下にも繋がる。

 それにしても、吉峰はなにも伝えていなかったのだろうか。もしかしたら、乾の性格を考えた上で触れてこないよう黙ってくれているのかもしれない。

 向こうに指摘されたとて心は痛むが、俺がまだまだ無力であることは事実。できれば話したくない。その程度だ。その程度なんだ。


「...はァ.....」


 そのまま庭へ向かい、互いに真剣を構え向かい合う。そして吉峰の掛け声によって始まる激しい打ち合い。

 数度刃を振るうと、精神を変化させるなにかを経て、より洗練された動きができるようになっているのが自分でもわかった。

 以前までは互角にも満たなかった実力差。それを微塵も感じさせない一進一退の攻防。


 フェイントやディレイを絡めた搦め手にも冷静に対応することができている。その度乾は、口角を上げながら顔をしかめていた。

 流れ出た汗が、冬の寒さも相まって火照った身体を急激に冷やした。夢中になり時間の感覚が鈍り始めた頃、吉峰は休憩を入れるため一声を上げる。


「はーい一旦終了!」


「お前...なんや変わったなぁ...前と全然ちゃうやんけ...」

「なんて言うたらええんか...勢いがなくなった代わりに剣が正確になって...?ん...?」


 言われてみれば確かに、俺は揺篭オーファニッジにいた頃から持ち合わせた実力に物を言わせた力押しを多用していた。怒りを制御することに必死になっているせいなのだろうか、それが抑えられている気もする。

 雑念が消えたことも一因としてありえる。守るために力を磨き、発揮する。そんな相手が一人の残らずいなくなったから。


 気づけば時刻は昼前になっていた。いつもならこれからパトロールに戻るべく支度を始めるのだが、午後の目的がない。吉峰もどうしたらいいか迷っているようだ。

 やけに長い休憩中、居間で茶を飲みながらただそわそわするだけの妙な時間。流石にその違和感に乾も気づき始めている。


 どうする。このまま送ってもらうふりをして事務所へ戻るのもいいが、やることがない。

 これといって揺篭オーファニッジに繋がりそうな情報もなければ、アジトの心当たりもない。

 記憶にあったあの施設を探そうにも、気候、目にした街並みや人々の外見を鑑みるに場所は海外だ。日本国内ならまだしも。

 場所を突き止めたとしても、組織ごと居を移されているということもあり得る。


 木知屋は時間を止められる。誰の目にもつかずどこかへ移動する、させるのは最早お手の物だろう。

 一体なにに労力を費やせばいい。このまま"午後の部"に突入することも考えたが、乾がどう反応するか考えるだけで憂鬱だ。

 すると、しばしばキョロキョロと様子を窺っていた乾がついに口を開く。


「...なんや?なんやねんお前らさっきから。」

「吉峰、パトロールあるんやったら早よ睦月送ったったらええやん。遅れてまうで。」


「わかってる...コレ飲んでからや。」


「...なんか変やでッ!?睦月、お前もどうしたんやさっきから黙って!」

「間に合わへんと尊ちゃんにせっつかれる言うてたんはお前やろ!」


「......」


 やっぱり知らなかったのか。ここまで来てしまったら、厄介だがいよいよ打ち明けるしかなさそうだ。

 俺は、テーブルから身を乗り出してどうにか言い訳をしようとする吉峰を制する。

 そして、起こった事全てを伝えた。尊が殺されたことや、その死体を利用され木知屋が俺を引き込もうとしたこと、心眼を体内に取り込んだこと。

 取り戻した記憶が、自分にとって滅すべき組織に所属していた時のものだったことを。


 乾は最初こそ腕を組み神妙な面持ちで聞いていたが、俺が手も足も出せず自ら出向いてきた敵を逃がしたことがわかると、吹き出した。

 案の定吉峰は、くっくと笑う乾目掛けて固く握った拳を振りかぶる。しかしその手前、乾は表情を一変させたかと思うと平手で思い切りテーブルを打った。


「情ッッけない奴やなァああア!!」


 家中に響き渡るほどの叫び。青筋を立てるこめかみ、睨み付ける瞳。

 乾は立ち上がり早足でこちらに近寄ると、拳を止めた吉峰にも構わずに俺の襟を強引に掴み上げた。


「お前...ッ、ホンマ何してんねんッ!!お前はあの子守るために必死に努力して、死にたくなる痛みも耐えたんやろが...!!」

「せやのにこのザマは何や!?俺がつけてきた稽古は全部無駄やったっちゅうんか!!」


「タケ、そないな事...」


「黙っとけや!!...アカン、色々言わんと気ィ済まへんわ。ちょっと来んかい。」


 俺は、襟を掴まれたまま引きずられるようにして庭まで連れていかれた。ある目的のために研鑽を詰んできた者同士、無様な俺に対し怒りを覚えるのはわかる。

 だがその目的があまりにもかけ離れていて、腑に落ちない。お前はただ殺すためだけに努力してきたんだろうが、と。

 庭木に背中を押し付けられながら、鋭く蔑むような目が向けられる。俺はそれに対して見下すような目線を返した。


「腕上げたって、俺が勘違いしてたわ...!お前は何にも変わってへん!!」

「...大方気晴らし目的にでも来たんやろ。そないな甘っちょろい考えで、俺の稽古が受けられる思うんなら大間違いやで。」


「...俺は、俺は弱い。だから力をつけなきゃいけない。そのために俺はわざわざお前に...」


 抑えきれない苛立ちを湛えた唸り声の直後、乾は俺の頬を拳で殴った。口の内側が切れて出た血を噛み締めて飲み込む。


「お前は十分強いわ。俺が保証したる。せやけどお前がおるべき場所はココやない。」

「ぐだぐだ言うとらんと、殺したい奴ブッ殺すことだけ考えんかいボケェッ!!」


 粗暴で雑、しかしながら的を射た激励。確かに俺は迷いを捨てきれていなかった。

 気持ちが停滞し、奥手になっていた。自分の無力さに託つけて鍛練が足りないなどと、根本的な問題を後回しにしていた。

 自信を失うな。俺は戦える。木知屋を打倒するために得体の知れない刀をも取り込んだ。この間だってギリギリのところまで追い詰められたじゃないか。

 泣き言を言うのは揺篭オーファニッジを消滅させてからでも十分にできる。今はとにかく。


「殺したい奴を...殺す...」


「俺も手ェ貸す。ああいう自分で手を下さへん野郎は嫌いなんや。」

「それにしてもお前、最近休んでへんやろ。目の下隈で真っ黒になってんで。」


「そりゃあ...さっき話した通りだ。」


「よっしゃ。ほんなら本部メンバーで忘年会やろや!もう年の瀬やしな!」

「聞いたで~二十歳ハタチなったんやろ?ちょうどええ、誕生日会も兼ねてな!」


「えっ...は?」


 突拍子もない明るい提案に思わず面食らう。リフレッシュするのは悪くないが、デリカシーがないとここまで急激に気分の切り替えができるものなのか。

 いつ止めに入るかタイミングを見ていた吉峰も絶句しているじゃないか。


「今日30日か...時間ないかもなァ。」


「だったらやめとけば....」


「ほな今夜でええか!」


「テメエ馬鹿か!!」


「ほな睦月タチバナ課長に連絡回しといて~。あと呼べる人おったら呼んでええよ。」

「少ないよか集まった方が楽しいやろ?」


 一体何を考えている。こっちは喪中だぞ。それにいきなり呼んだところで今から来れる人間なんていないだろ。

 呼び止め、今一度考え直させようとする前に乾はいそいそとどこかへ行ってしまう。呆れた様子で顔に手を当てながらそれを追う吉峰。

 しかし吉峰は直前で立ち止まり、取り出した財布の中を確認しながら溜め息混じりに俺に告げる。


「...堪忍な。タケ、一度思い立ったら止まらへんタイプなんよ...」


「でしょうねェ...」


「こうなったらいくら無理や言うても聞かへんな...ウチは今から買い出し行くけど、睦月くん嫌やったら無理して来なくてもええよ。」

「...あの感じ、誰かと酒飲んで騒ぎたいだけみたいやし。」


「...いえ、着いていきます。多分...かなり荷物重くなりそうなんで...」


 自分のスマホに映った電話帳の画面を吉峰にちらりと見せる。俺は橘へ向けた「発信」のボタンと三度ほどにらめっこしてから、意を決し親指を動かした。

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