第101話 殻の中身
刀を振れば首に届く。両断まではいかなくても、傷がつけば致命傷になる動脈の数本はぶった斬れるはず。
しかしその寸前で、謎の悪寒が消えた。視界に映る停止していたものも動き始めている。
ここに来て魔術を解いた?効果がないと理解するまでの判断が早いと言えばそうだが、木知屋は脂汗を垂らしている。
焦っているのか。しかし後ろへ飛び退きながらも、不敵な笑みは浮かべたまま。
これは、なにかまだ手がある時の顔だ。なんだ、何を仕込んでいる。
だが辺りを確認している余裕などない。退くことも不可能、このまま攻撃するしか。
「おおぉおぉいでェエエエッ!!」
迫る攻撃にも怯まず、木知屋は両手を広げ叫びなにかを呼び寄せた。その瞬間、突然俺の周囲の地面から液体金属の帯が無数に現れ、一センチほどの間隔を空けながら斜めに伸びる。
それが成した形は、球体。いくつもの層を作りながら俺を取り囲むように交差して、仇敵の姿の見える隙間をことごとく覆い隠していく。
刃はそのうちの一本に弾かれてしまい届かず。俺はすぐさま刀を足下に投げ捨て、隔てる柵を荒れ狂う猛獣のように掴み揺さぶった。
手首のバングルに傷が付かないよう十分に気を配りながら。
すると腕に光が走り、柵の一部を融かし落とすことができた。だがこの柵、構成する一本一本が独立して生えてきているせいで身体を通せる隙間を作るのに少し時間がかかる。
厄介なのはさらにそれが幾層にも重なっていることだった。水を掻くようにもがいて柵を除去していくが、未だ視界は不明瞭で奴の顔すらろくに読み取れない。
「君の作った、なにかが足りないミネストローネを口にした時、ようやく彼女を失った実感がやってきたんだ。」
障壁越しに、木知屋はそう言った。中まで聞こえるようやや張られた声、インカムのマイクも拾っていたことだろう。
今更お涙頂戴ってか。クソ野郎、虫酸が走るんだよ。沢山の足音が近づいてきたかと思えば、再び離れていく。
そして腕を打ち付け柵を突破し、ようやく路地に身体を捻り出した頃には、商店街には木知屋どころか人一人の気配すらなかった。
「逃げ....切られた...ッ!!」
訪れる苛立ち、その隙を逃さない心眼。自分に身を任せれば問題ないと、あからさまな誘い文句でまた俺を唆そうとしてくる。
怒れないということが、ここまで不便なものだとは思いもしなかった。俺はアスファルトの上に座り込み、深く息を吸い込んだ。
凍てつくような冬の空気が肺を循環し、熱の上った頭を冷やす。いよいよ俺はただの冷たい
少し先に寝かせた尊の亡骸に目をやる。腹の傷口から流れ出ている血液は固まりだして、黒々と変色していた。
この怒りの矛を、向けられる先は今後一生現れることはないだろう。全ては俺が取った選択が招いた結果だ。仕方がない。
こうして黙りこくった姿を見ると、喪失感に心中が満たされる。必死に尊ではないと否定していたが、やっぱり。
「尊が...死んでるようにしか...」
「見えねェな.........」
口をついて出た、あまりにも冷酷な言葉。認めたくない惨状をただ文字に起こすだけの無為な行動。
ハイになった精神が落ち着いてきた頃、本当の悲しみがやってくる。起こって当然の感情を無理矢理押さえつけ続けた反動。
とうとう守れなかったな。命も、それを失ってなお奪われた尊厳でさえも。
誰もいない、闇夜に包まれた商店街。俺は硬直した尊の身体を抱いて咽び泣く。
決して自暴自棄にはならないだろう。このまま自ら命を絶つようなことは、最もあってはならない結末だと思う。尊だってそう想ってくれるはずだ。
それでも、橘に通じているインカムは外さなかった。怒ろうとしてもできない。もしそれを露にすれば何を招くかわからない。
だから誰かに助けて欲しかった。どうしようもないこの叫びを、唯一残ったたった一人の家族に聞いて欲しかった。
一方的なアピールだ。今まで散々迷惑をかけてきたとわかっているのに、これ以上の赦しを、心の庇護を望むのか。俺は。
人生をかけてまで俺を探し出して、救い出してくれた恩人に。まだ寄りかかろうとして。
しかし、今は尊と一緒に帰ることができる。正しく葬ってやることができる。
些細な、とは言わない。こんな惨めな俺の我が儘を一つ、どうか受け入れて欲しいだけだ。親父。
「商店街まで、迎えを......頼む。」
「お願い、します.....ッ!」
『....了解。すぐ行くよ。』
─────────────────────
商店街での出来事が過ぎ去って数日。尊と坂田の葬儀を終えた俺は事務所で寝泊まりする生活を送っていた。
この間までのネカフェ暮らしとさほど変わらないようだが、行動力の方向性は変わった。気を紛らす目的半分だが、今日は稽古の予定を入れた。
それにしても、経の響きが頭にこびりついている。フレーズを憶えてしまいそうだ。
反面ああして誰かの葬式に参加した数は、頭が記憶するのを拒んでいる。
一昨日、棺の中で安らかに眠る尊の顔を見て、またも情けなく泣き崩れてしまった。
参列した盛夏に背中をさすられ、慰めの言葉をかけられながら過ごした時間は計り知れない苦痛にまみれていた。
尊を救えなかった自分への怒り、諸悪の根源たる木知屋への怒り。心の底に吹き溜まるそれらをどこにもぶつけられないのが、途方もなく辛すぎる。
せめてあいつの分まで生き抜こうと奮起する度に、余計な思い出を想起して悲しみに塗り潰されてしまうのを何度も繰り返した。
でも、死ねない。木知屋をこの手でブッ殺すまでは絶対に。
鞘に差した穿傀を背負い、手元が狂って濃さの調節を大幅にミスしたインスタントコーヒーを流し込む。喉を伝うエグ味に少々むせたが目覚ましには良い、結果オーライだ。
そこへ、あらかじめ連絡しておいた吉峰から着信が入る。
「もしもし。おはようございます。」
『おはよー。迎え来たから電話入れたんやけど...ホンマに大丈夫?』
「はい。大丈夫じゃなかったらわざわざお願いしませんよ。」
「乾はどんな感じですか。」
『ノリノリや。安心しとき、アイツデリカシーないけど、余計なこと言うたらウチがシバいたるから!』
「...了解です。今行きます。」
廊下をつかつかと歩く。自分でも気づかないレベルの極限状況に陥っているのだろう、いつもなら嫌でも気になる刑事たちの冷ややかな視線がまるで鈍い。
この道を、前だけを見て歩けるようになっている。あんな連中に構っている暇はないというのが本音ではあるが。
本部を出ると車に背中から寄りかかって煙草を吸っている吉峰がいた。軽く片手を挙げると向こうもこちらに気づく。
「お疲れさん。コレ吸い終わってからでええ?火ぃ点けたばっかりやねん。」
「全然。どうぞ。」
乾の嫌煙に合わせた徹底ぶり。車の中に臭いがつくのも嫌がるそうで、毎回降りるタイミングで吸っているらしい。
正直なところ、俺は煙草の煙に馴染みがある。むしろ親しみが沸くものと言ってもいい。
しかし、だから気にしなくていいとするわけにもいかない。吉峰は、教習を面倒くさがっていつまでも自分の車を持たないくせに煙を避けたがる乾の愚痴を溢していた。
言葉こそ否定や些細な偏見が混じってはいるが、確かに温かみがそこにあった。世話焼き特有のお人好しというか、そういう人間と接してきたおかげで気持ちがわかるから伝わってくる想いがある。
「ふぅー...ほな、行こか。」
携帯灰皿に突っ込まれた吸い殻が、小さくチリチリと音を立て細く煙を立ち上らせた。死に過敏になっているせいか、吹き消される「命の灯火」を連想してしまう。
だが、死神と呼ばれている以上俺達は、炎を吹き消す側。そんな心持ちでは復讐の一つさえ果たせまい。
白く凍てついた溜め息を虚空に吐き出して、俺は車に乗り込んだ。
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