第98話 状況開始

──────同日、22時半。港の停泊所。


 かれこれ数十分、ウエットスーツと顔を隠すチタンの仮面を身につけた状態で俺と四季は目標となるヨット、とはまた違う船の陰に潜みタイミングを窺っていた。

 意識して距離を置き、腕時計に視線を落とす時間を多く設けているから会話も、のっぺりとした仮面の上では表情もない。

 しかし時折こちらを見ているのには気づいている。だが言葉は必要ない。

 俺は行動で示す。俺がこの戦いに如何様な思いを込めているのかを。


 ここから近い飲み屋から戻ってきた連中は、船内で酒を飲みながら二次会に花を咲かせているようだ。しかし下っ端が数人、デッキの各所でゴツいライフルを手に見張りを始めた。

 通信機を通した九条が出した指示は、一先ず会話の内容を盗み聞きすること。

 組織を崩す情報の源を仮定に過ぎないだけとするのは些か早計だとの判断だが、もうこの海に体温を奪われかけている、殺るなら早くしてくれ。


 その一心で、俺は九条に耳に入った情報を出来る限り伝えようとする。酔って口が軽くなっているからなにかベラベラ喋っているというのはわかる。

 だが俺は英語が話せない。反面隣にいる真面目な顔をした四季コイツは余裕で通訳できるレベルでペラペラ。水中じゃ物に当たることもできない。余計にイラつく。


 四季の翻訳によれば、連中は「ナツキ」という名の人物、少女だろうか。その相手に頻りに話しかけており、いたく可愛がっている。

 男が一方的に話しかけているという点以外はこれといって特筆することのない昔話ばかり。

 確認した人数は間違いなく船内にいるようだが、カーテンに隠れてしまいその内部を狙撃班は未だ捕捉できずにいる。

 もうさっきから腕が疼いて仕方ない。俺は船舶に近づくふりをしながら岸へ上がる階段に向かって泳ぎ、通信機を九条へ繋ぐ。


「...おいまだ突入しねーのか。」


『...いや、いつでもいいんだが...妙に胸騒ぎがする。民間軍事会社P M Cが女の子なんかをわざわざ匿う理由がわからない。』


「任務中見つけて、ついでに保護したあたりだろ。どうせ...」

「こっちもついでに保護すればいい。とっとと片付けたい。」


『...わかった。では、デッキの見張りを狙撃する。同時に...』


「必要ない。」


 生地が吸い込んだ海水を撒き散らす。陸へ上がった俺は背中に提げていた刀を引き抜きながら船舶の立ち並ぶ港の道を走り抜け、目標へ接近する。

 月明かりが刀身の紋様を這い輝き、かっ開いた瞳孔、視界の彩度が上昇。アドレナリンが分泌され全能感をもたらす。

 四季や九条の制止する声が、ぼやけて聞こえなくなっていく。より多く殺すためだ。一人でも横取りされたくない。


 メインデッキの見張りがこちらに気づき銃口を向けてくるその前に、刀を振り上げ地面を踏み切って船へ乗り込む。

 そして腕を切り落とし武装を解除、腹と首を裂いてトドメ。ハッキリ言って杜撰な突入、これに対処できないようならプロ失格だな。

 するとやはり騒ぎを聞き付け、配置されていた見張りが続々とやってくる。


 月下、返り血を浴びて俺は笑っていた。完全に殺戮のスイッチが入り、低下したはずの体温が跳ね上がる。

 「止まれ」などと警官のようななんとも頼りないセリフで俺を止めようとしている。人殺しの専門家なら迷わず撃ち殺せよ。

 ライフルをめちゃくちゃに乱射して、まるで見当違いな場所へ飛ぶ弾丸。銃声が響き通りを歩いていた市民が散り散りに逃げていく。


 この分なら小細工は要らない。こいつら、とんだ烏合の衆だ。

 応援の二人を斬り捨てると、ようやく船の縁を掴んで四季が上ってきた。もう遅い。後は中へ突っ込んで適当に刀を振り回せば全滅だ。

 四季に不敵な笑みを見せつけ、居住スペースの扉を蹴り開けようとした、その時だった。


 扉が向こう側からバラバラに切り刻まれて、波濤となった瓦礫が俺を吹き飛ばした。デッキの木板の上を転がり、そのまま手すりに背中を打ち付ける。

 呻き、突き立てた刀を支えに起き上がろうとすると、破られた扉の奥から残る傭兵の男たちが現れた。

 手前に出てきた一人は無防備にも堂々と葉巻を吹かしながら、華美な彫刻エングレーブが施された45口径フォーティファイブをこちらに向けている。


 金にモノを言わせたナメた得物をぶら下げやがって、ふざけるな。しかし同時に、流石に違和感がやってくる。

 自分の所属する部隊への襲撃だ、取り乱してもおかしくない由々しき事態のはずだ。

 それなのに何故コイツは悠々とした登場を決めた上に、勝ち誇ったような表情を浮かべているんだ。

 嫌な予感が走った。俺は通信機を繋ぎ、九条を利用することにした。


「狙撃班、撃てッ!!」


 俺が姿勢を低くした瞬間、背後のホテルからくぐもった発砲音がした。しかし飛んできた弾丸は男の体に当たるどころか、すべて中空に食い込んでしまった。

 男の周囲を、ごく薄いピンク色をしたガラスのようなものがドーム状に取り囲んでいた。弾丸はその表面に突き刺さっている。


 連中の持つ強さの謎を、この現象により確信した。俺達はあの現象を知っている。こちらが利用したこともある。

 あれは「魔術」のバリアだ。そして、俺の握るこの不可思議な刀は、どういうわけか触れた魔術をことごとく消し去る。

 だったらやっぱり、コイツの命は俺がもらうべきだ。体勢を戻し、下段に構え走る。


 斜め下から刃を振ると、バリアはまるで豆腐のようにいとも容易く斬れた。そしてその中に並ぶ驚き顔ごと、間をすり抜けながら刀を数度振り抜く。

 一拍遅れてずり落ちる、半分になった頭と胴体。砕けて崩れていくバリア。

 そこへ歩み出てくる、ひとつの人影。それは白いワンピースを身につけた少女だった。

 しかし何故か、周囲に転がる死体の数々に一切頓着がない。


 あれが例の「ナツキ」か。だが明らかに様子が変だ。涎は垂らしっぱなしで、目は虚ろ。

 常に身体をびくびくと小刻みに痙攣させていて、その様から受ける第一印象は「薬漬け」だった。

 よく見れば露出した腕の関節のところ、二の腕、首元には黒々とした注射痕が大量に残っている。奥にあるスペースの座席には空の注射器や怪しげな錠剤も。


 だがこちらに対し友好的であるわけではなさそうだ。先程のバリアが再形成され、ナツキの周囲を覆い始めたからだ。

 連中が名を挙げてきた証左。それが今恐らく目の前に立っている。

 風の向きもどこかおかしい。大気の中をうねり動き回るばかりか、蛇のように足下を這い撫でている。

 魔術についてはあまり詳しくない。それが確かにこの世に存在して、対処する術を持ってはいるがどのようなものがどこまで存在するかは知らないんだ。


 考えている間に、ナツキはこちらを睨み付けながら右手を挙げる。予備動作か。

 今度は一体何を仕掛けてくる。だが炎を焚こうが槍を飛ばそうが、この刀があればきっと弾けるはずだ。

 立ち上がって刀身を前に出し、盾のように構える。何が来ようと受ける準備は出来た。


 笑うナツキの右手が振り下ろされる。しかし今まで特異な挙動を見せていた風がいきなり、刀を握る俺の腕と腕の間に収束した。

 研ぎ澄まされた神経、至近距離で吹き荒れた旋風が衣服を断ち、皮膚を裂き始める感覚が伝わる。同時にこちらに全速力で駆け寄ってくる四季の足音も。

 即座に懐へ潜り込まれてしまった、刀を差し込ませる反応が間に合わない。

 そう思った直後には、元いた場所に四季の姿がすげ替わっていた。


 突き飛ばされ、デッキの手すりを飛び越えながら海へ落ちていく。フェードアウトする視界には背中を不可視の刃に切り裂かれ、大量の血を流して崩れ落ちていく四季が映る。

 安堵の顔だ。やっぱり気に入らない、どこまでもついてきて俺のために動いて。

 迷惑なんだよ、自分の意志で動きたいんだと何度言えばわかるんだ。

 俺はもう一度、為す術もなく冷たい水中へ身を沈めた。四季が危ない、急いで這い上がらなくては。


 俺は、殲滅部隊のトップなんだ。仲間に庇われて尻尾を巻くようなダサい真似はしない。

 なにより許せない。あんな狡いイレギュラーな手段を使って命を奪うなんて。こっちはお前を助けようとしているのに。

 もういい、こうなったら殺してやる。そんなに薬に苦しめられてるんなら、俺がこの手で解放してやるよ。

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