第97話 反目

 ポケットに両手を突っ込み、脇目も振らず森の中を進む。しかし目的地はひとつ。

 ここのところだ。雨風にさらされ切れっ端しか残っていない赤テープが巻かれた木。

 これが見えたら左に曲がって、後は真っ直ぐ歩くだけ。しばらくすれば枝と葉の揺れる音に混ざり、波音が耳に届き始める。


 踏み締めた跡のある落ち葉。獣道。しかしほとんどが俺が残した痕跡だろう。

 先へ進むと、岩肌に波が打ち付けられ、飛沫が派手に飛び散る様を一望できる山の端へ出る。雄大な自然を五感で感じ取ることの出来る素晴らしい場所だ。

 ひどく疲れた時、嫌な出来事があった時、誰かと諍いを起こした時。俺は決まってここに来ることにしている。

 崖のところに座り、眼下の光景を眺めてモヤモヤをリセットしようとする。これまでに何度か試みてきたことだが、成功したことはない。


 頭の中でごちゃごちゃと考えすぎて、結局微妙な気持ちのまま戻ることになる。多少の気休め、リフレッシュにならないこともないが。

 草の座布団に腰を下ろし、頬杖をつき海が見せる流れの機微に惰性の眼差しを向ける。今日もいつもと同じように、日が暮れ始めた頃に踵を返すことになるのだろう。


 すると、どこからか物音がする。落ちた小枝が踏み折られる音だ。俺はすぐに立ち上がり周囲に目を光らせる。

 施設の敷地周辺で、滅多に人の立ち入らない場所ではあるが、警戒は怠らない。足音はまっすぐこちらに向かってきているようだ。

 しかしながら一切対策を講じない、それでいてゆったりとした歩み。俺を何らかの理由で探しに来た仲間であると考えるのが妥当か。


 ファーザーはしょっちゅう外出はしているが、よっぽどの事がなければ些細な問題で外へ出向かない。ということは、やはり。


「やっぱりここにいたな。」


 目の前からゆっくりとガンバッグを担いで歩いてきたのは、黒いウィンドブレーカーを着用した一人の女性。淡い陽光がセミロングの茶髪に透け、靡く度に細やかな柱が舞い降りた。

 身長は確か183、だったか。こちらを見下ろす真っ黒な瞳は冷たい、尋常ならざる眼差しを降り注がせている。


 九条クジョウ 耶宵ヤヨイ揺篭オーファニッジ最年長、19歳。俺を含む二十五人ほどのメンバーが利用する第三ベッドルームの室長にして、作戦時においての総指揮者である。

 メンバーからの信頼の厚さとその優れた狙撃の腕から、「ナイトオウル」「現代のシモ・ヘイヘ」「死の眼光」など、幼いメンバーたちがつけた中二病的なあだ名には枚挙の暇がない。


 そんなエリートが、俺に一体何の用だ。まさか自身の研鑽の時間を割いてまで呼び戻しに来た訳じゃないだろうな。

 年齢が高いこともあっての事なのだろう、九条はかなりの堅物で切れ者、さらに任務や自己を高めることにストイックな人物だ。


 知れ渡っているその事実には漠然とした恐怖が生まれる。強さに対する憧れはあれどみんな踏み入った接触を避けるのだ。

 だが俺だってもう12歳。ガキじゃない。自己の意志を持ってあれこれ表に出さなければならない時期。

 任務までには気持ちをなんとか切り替えるつもりだ。わざわざ激励をもらうまでもないが。


「よっ....しょっと。」


 しかしそんな俺の予想とは裏腹に、九条はガンバッグを下ろして俺の隣に胡座をかいた。

 何を言うでもなく、そのまま座り続ける。落ち着きをすっかりなくした俺のチラチラという視線にも構わず、潮風を受ける横髪を人差し指で流している。

 気まずい沈黙が続き、ここに何故来たのかをおずおずと問おうとすると、声を出しかけたところで顔の前に掌がずいっと差し出された。


「お前、宇佐見のやつと喧嘩したんだろ?」

「アイツは昔からああいう性格なんだ。悩むだけ時間を無駄にする。」


「そんなことわかってる。」

「...で、アンタはなんでここに?」


「様子見、もとい監視だ。お前が変な気を起こさないようにな。」

「知ってるか?人生の体感時間は、20歳になるまでの間が最も長いらしい。お前はそこを折り返してすぐ、私はもう過ぎかけている。」

「その点お前の12歳とは、多感だ。色んなものに影響を受ける。」


「...何が言いたい。」


「私と違ってまだ若いんだから、自己の形成は慎重にやれってことだ。」

「私のようには、なるな。」


 理解の及ばない意味深な言葉を投げ掛けられ、俺は答えに詰まる。波の音に砕かれて揉み消されていくモヤモヤが吹き溜まる。

 時間が過ぎるごとに会話する意欲が失せ、座る脚を組み替える衣擦れの音だけがやたらと耳に響き、際立つようになっていく。

 こういう安心できない時間は嫌いだ。それを避けるためにここに来ているのに。

 忠告のつもりか、言われなくてもアンタみたいな仏頂面になんかなるかよ。


 妙に時間の経過が遅い気がする。ここにいなくてはならないタイムリミット、即ち日没までにかなり待つ羽目になった。

 終始言葉を交わすことなく、俺達は海を後にして施設へ戻る。これから任務がある、そのブリーフィングを始めなくてはならない。


 元来た道を辿っていき、玄関の扉を開く。また四季が飛び掛かってくるかと身構えていたが杞憂だった。

 そして施設中枢部にある専用の広間に向かうと、ファーザーが武器の手入れをする作戦メンバーと共に待っていた。

 幸いなことにまだ開始前。柔和な赦しの笑みに迎え入れられながら簡略地図と書類の広げられたテーブルを囲み、ファーザーによってブリーフィングが行われる。


 今回の作戦は俺達、揺篭オーファニッジの競合相手となる民間軍事会社P M Cへの武力介入だ。

 相手方の名前は「RUSHラッシュ DOMAIИドメイン co.ltd株式会社」。ここ最近名を挙げているらしい組織。

 名は体を表すように、磨き上げられたスキルと経験に裏打ちされた実力により、戦場を自らの領域とするような凄まじい制圧力を有すると評判がある。


「...と、いうのが彼らのウェブサイトに書かれている触れ込みだね。」

「だが、これを見てごらん。」


 ファーザーが指したのは、ネットの取り扱いに強い仲間たちがサイト内に含まれるあらゆる要素を統合してできた情報のメモ書き、うちその一文だ。

 違和感はこの場にいた全員が瞬時に感じ取った。先程聞いた触れ込み、「圧倒的な制圧能力を持つ」にしては確認できた相手組織の構成人数が少ないのだ。

 少数精鋭を謳っていたとしても、ある程度の人員は不可欠だ。これまで雇われてきた大きな依頼の情報と照らし合わせても釣り合わない。


「私は、ここになにか裏があるのではないかと睨んでいてね。彼らを丸ごと殲滅してもいいのだが、私としてはその"裏"を暴く決定的な要素があればそれだけでも十分。」

「隠されているとすれば彼らの端末だろう。先遣隊のくれた情報では、現在港に停泊したヨットの上で束の間の休息を取っているそうだ。」


「私達はそこを叩くということですね。」


「そういうことだ。場所はこの通りにある。」


 ファーザーは地図にペンを走らせ、敵の潜む船へのルートを示した。続いて本題、作戦の流れについて触れる。

 今回の急襲は、三つの班に分かれて行われる。港沿いの建物から援護射撃、緊急時のバックアップを担当する狙撃班。地上から射撃し船内へ相手を押さえ込む火力支援班。

 そして俺の所属、水中から船へ乗り込み場を引っ掻き回し、端末の獲得と有らん限りの殺戮を展開する、遊撃班。


 これら全てを同時刻、同時に展開し、RUSH DOMAIИを消滅あるいは機能不全に陥らせるのが目標だ。

 上位の実力を持つメンバーだけが集められた大事な作戦だ、必ず成功させなくてはならない。


「それでは、ブリーフィングはここまで。なにか質問はあるかい?」


「...ファーザー。コレ、どういうこと。」


 俺は、編成の書かれた紙を取り上げファーザーに見せつけた。危険を孕むこともあり、俺の遊撃班は二人だけ。

 それはわかる。だが何故構成するもう一人がよりによって四季なんだ。その異論を表情に強く込めて放つ。


「当然、仲直りしてほしいからさ。互いに高め合うのは結構だが、貶め合うような関係は私も望まない。そうだろう?」

「気晴らしになると思って、四季と組ませたんだ。行って、心行くまで沢山殺しておいで。」


「そりゃあそのつもりだったッ!待ってたんだ、殺せるのを!」

「アイツ、と...仲直りは...したくないっつったら嘘になるけどさ...!?もうあんなのと関わるのはウンザリで...!」


「負けが気に食わないのだろう?なら四季よりも沢山殺して、そこで競えばいい。」

「遠慮はいらないよ。彼らは私達の敵なのだから。殺しなさい。」


「....はい。」


 全くの図星だ。一体なんだ今日は、ムカつく日だ。誰も彼も俺のことを見抜いて、本当のことばかり言いやがる。

 こうなったら、認めさせてやるよ。飛び散らせた血液のリットル、腸のグラム数、積み上げる死体の数一つだって四季アイツに負けてたまるものか。


 ああそうさ、四季は俺にとって謂わば姉のような存在だ。だからこそ俺にするからかいが、腹に据えかねるものがあるんだ。

 全力で狩り立てる。そしてビビらせる。俺の方が上だと改めて、証明する。


「皆殺しに、してきますよ...!!」


「素晴らしい、その意気で頑張りなさい。」

「では解散。最終準備を始めよう。」

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