第99話 簒奪
刀を船体に突き立て、腕を
やっとの思いで身を滑り込ませた頃には、苦しそうに呼吸しながらうつ伏せに倒れる四季と、暴れるナツキを押さえ込むファーザーの姿があった。
徐々に手足のバタつきが鎮静化していくナツキにはファーザーによってなにかの薬剤が注射されていて、抱き締められながらゆっくりと眠りに落ちていくようだ。
もはや瀕死の状態である四季のもとに駆け寄るが、俺には治療の心得は皆無だ。空の両手を右往左往させながらただ慌てふためくことしかできない。
涙が目に滲んできた。光を失っていく四季の目がどんどんぼやけてしまう。
確かに気に入らないヤツだった。それでも仲間の一人としての自覚はあった。だから言い様のない悲しみが押し寄せてくる。
嗚咽が漏れ、作った握り拳をほどくことが出来なくなってしまう。爪が食い込んだ掌から血が流れる。
殺しに殺して見下してやろうという計画も忘れて、途方もない喪失感に泣き叫ぶ。ファーザーの慰めの腕に包まれながら、死屍累々が転がる船上で。
力の源泉たるナツキはとっくに活動を停止。状況終了、帰投、目を覚ました後に彼女を取り囲んだメンバーの熱烈な要望により、
しかし、不安定な魔術をコントロールさせるためRUSH DOMAIИにより投与され続けたドラッグの影響は甚大。
ファーザーの行った"教育"で、近づくものすべてを傷つけようとする攻撃性は抑えられたが、それでも壊れゆく情緒は止められなかった。
突然暴れて周りの物を壊しては大笑いしてみたり、冬眠するように大人しくなったり。
最終的に、そこには己の感情は介在しておらず、単に薬に引っ掻き回された精神状態が表に出ているだけという見解にまとまった。
メンバーは皆、ナツキに憐れみや慈愛の目や手を差し伸べて至極デリケートに扱った。だが俺はそれが気に入らなかった。
典型的な反抗期の表れだとは思うが、超常的な力を押し付けられ可哀想な出で立ちを持つだけのぽっと出、とでも見ていたんだろう。
自分だけの力でのし上がることを一つの拘りとしていた俺にとっては、邪魔な存在だった。知らない内に、自分へ注がれる羨望の眼差しが癖になっていたことに気づいた。
仲間を失った悲しみと、自身の持っていた見えない理想とのギャップに吐き気を催した。というか、毎晩吐いていた。
それでも俺はひたすら殺し続けることのみに集中した。予定を割き、時間を割き、睡眠を割いてでも本来自分のでない任務へ割り込み手柄を横取りし続けた。
所詮は醜い、人殺しエリートの集まり。俺を咎める者は誰一人いなかった。ここに関しては少々面食らったが。
同時に、いかに自分達が残酷極まりない存在であるかを思い知った。それを踏まえて今更正義面しようってわけじゃない。
殺すことには罪悪感もなにもなかったし、反省なんてもっての外だ。唯一の生きる目的だった行為を否定する思考そのものを、頭が拒んでいたからだ。
訳のわからないジレンマに苛まれ、死にそうになりながらも殺した。命令に従い屍の山を築き上げた。
そんな日々を続け、歳月が流れて、俺は18になった。
しかしある日、例の出来事が起こる。失ったはずの仲間が、再び姿を現したのだ。
いつものように任務から帰ると、四季が玄関から迎えに出てきた。久しぶりの再会だったんで思わず喜びを表に出してしまった。
なぜ甦ったのか。もしそうだとして誰が甦らせたのか。この世に魔術が存在するならばあり得ない話ではないと、俺は思った。
その予感は的中、ファーザーはとある魔術師に掛け合い、死者を蘇生させる術を手に入れたと話した。
しかし四季には、妙な違和感が残った。記憶に残っている限りではあいつは、何時でもズカズカと人のパーソナルスペースに踏み込んでくるようなやつだった。
年下の想い人を意味もなくからかうような鬱陶しい振る舞いも。それらが影も形もなくなっている。
どこか慈しみ、親愛、心からの庇護を感じさせるような、柔らかな鬱陶しさとも形容できるものに変わっていた。
なんと言ったらいいのだろうか。ずっとつきまとうこの不気味さに、俺はタジタジだった。
思い切り突き返せば落ち込み、こちらまで気分を沈ませる
絶対的な壁のような何か。言語化しようとしても徒労に終わってしまって、新たな任務によってその意識が掻き消される流れの繰り返し。
生還を共に喜んだ仲間たちでさえなにも感じていないらしい。この謎の違和感を提唱したのは、俺ただ一人。
ファーザーでさえ「何だろうね」の一点張りで話にならない。四季は本当にただ生き返っただけなのだろうか。
ずっとわずかだった疑念が心に引っ掛かったまま大きくなり、終いには、組織ぐるみで俺になにかを隠しているんじゃないか、と。
ずっと身を置いてきた場所だ。その度そんなことはないと強く思うことにしているが、一度考え出したことは止まらなくなるものだ。
さらに時は経ち、19歳。俺はある物品の回収任務に単騎で向かった。
場所は廃墟となったビル。しかし草の根を掻き分ける思いでありとあらゆる場所を引っくり返してみても、ブリーフィングにあったようなモノは見当たらない。
そして、何故か踏み込んできた警官たち。通信機越しにファーザーは、「殺せ」と命じた。
当然俺は従った。手に持った刀で、ショボイ弾を撃ってくるのにも構わずそいつらをバラバラにしてやった。
その直後だった。ここまで遡ってきた記憶が全て飛んで、六人殺しの殺人犯として確保されてしまうまでは。
それからはトントン拍子に特事課へ入れられ、殺し、辛酸を舐め、普通を手にしたかと思えば殺してまた殺され、殺して殺された。
常に死が纏わりつく人生。何もかもが破綻した今思えば、何てことないが。悲観すべき要素の塊であることは間違いない。
記憶のスライドショーが現在に近づくにつれ、水中から水面を見上げるように視界がぼやけていく。みるみる深いところへ潜っていき、代わりに手足になにかが絡み付くような感触が沸き起こる。
これはなんだ。薄い、なにか滑らかな布のようなものだ。そう例えるなら、ベッドの白いシーツのような。
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思い出した。全てを。
「...ァアアアァアアッ!!」
喉から張り裂けんばかりの声を出して絶叫し、シーツがめちゃくちゃになったベッドから跳ね起きる。全身がひどい寝汗でベトベトと湿気を帯びていた。
俺は、死んでいなかった。しかしながら胸につけられた心電図は隣で横線、もとい死のメタファーを示している。
今一体なにがこの身体を動かしているかは知らないが、これはチャンスだ。驚いた表情で駆け寄ってくる医者と橘を振り切って、洗面台へ走り舌を出す。
「....やっぱりな。」
紋章が跡形もなく消えている。やはり俺の身体には心眼が浸透している。
あれはタトゥーの類いじゃない、身体に刻まれた証なんだ。上書きされる形で失くなった。
今となっては、四季が残したものはあれだけだ。昔の俺が随分と想っていた相手だとわかってしまったから、居たたまれなさだけが染み着くように離れない。
「穿傀、来い。」
当然、来ない。ここまでは想定内だ。カーテン裏の壁に心眼の鞘と共に立て掛けてあった穿傀を探し当て、鞘に無理矢理突っ込む。
時計を確認すると、もう12時へ近づきつつある。急がないと木知屋を逃がす羽目になる。
「お、おい睦月...!?お前、なぜ...!」
「知るか。もう時間がやばい、アレどこやった。早く出せ!」
「え?あ、アレって...」
「インカムだ!着けんだろ!?早く渡せ!!」
取り落としながら橘が手渡したインカムを耳にねじ込んで、俺は部屋を飛び出した。いくら走っても体温の上昇を感じ取れない。
やはり俺には心臓がない。さっき握り潰されたの、マジだったんだな。
どうやら過去も現在も、心臓を失ってもなお、俺のやることは変わらないらしい。ただ一つ、人殺しだ。
もう失うものは全て失った。これからお前の全てを奪い尽くしてやるよ、木知屋。お前が俺をそうした責任を取る番だ。
今から既に胸が高鳴る思いだ。鳴る物、無いんだけど。
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