第66話 熾る導火線
───数日後。特事課員、水上 省吾。
自宅。ダイニングの椅子に座り、淹れたてのコーヒーを啜りながら膝に飛び乗ってきた
バッサリと切り裂かれた傷痕は残ったが、なんとか勲章だと思うようにしている。しかし、復帰早々に召集命令とは参ったな。
現場に出られなかった内に、いよいよ敵性組織の動きが大きくなってきているらしい。不破があれほど課に馴染んできたようだから、俺の後任には困らないようで良かったが。
橘課長の娘さんは、現在坂田さんの自宅で普段通り生活している。習慣らしい"パトロール"については、不破に加え
もっとも、そうなるまでに評議会が提示してきた条件に不破が真っ向から立ち向かって、抗議文を11回に渡り送り続けたのだが。ああ、書かされたさ。俺がな。
心眼の所有権も不破からは移らない。尊ちゃん側も心眼に許可なく触れないことを快く了承してくれた。
だが正直なところ、評議会の意見は人道に反していると俺ですら思う。
表には出していないつもりなのだろうが、不破の尊ちゃんに対する溺愛ぶりは随分と透けて見えていた。沖縄に救出に向かった後も、話題はその一点で持ち切りだ。
やれ拘束して24時間監視だの、危険因子は排除すべきだのと当たり前のように言ってきていたが、そんなことをしたら不破はなりふり構わなくなるに決まっているだろう。
止める俺達を全員微塵切りにしてでも乗り込んで、皆殺しにするかもしれない。
すると、ふと玄関の呼び鈴が鳴った。今日は来客の予定はなかったはずだが。
また召集依頼の類いだったら流石に断ろうか。そんなことを考えながら、ドアを開けた。
「おっす!水上センパイ!」
「...麗か。何の用だ。」
「えぇ...何スかそのしかめっ面!歓迎する気ゼロッスか!?」
「お前からわざわざこっちに来るなんて、多分ろくなことじゃないからな。」
「まぁまぁそう言わずに~。ほら、オレお見舞いあんま行けてなかったでしょ?ここんとこ忙しかったし~。」
「良いもん二つ持ってきたンスよ~。上がってもいいッスか?」
「...ああ。」
よく見ると、麗は後ろ手に紙袋を手にしていた。あれが"良いもの"なのか。どうにもまだ疑わしい。
原則、課員のバディ同士は同居することになっているのだが、俺と麗は特例として完全分離型の二世帯住宅という形を取らせてもらっている。なぜなら麗が、とんでもないズボラだからである。
部屋にゴミを溜めるのは当たり前、服の裾をお手拭き代わりに使うし、飲みかけ食いかけ放置は上等。俺が時々掃除に行ったりハウスクリーニング業者を呼んだりしても、一ヶ月あればあら不思議。元の木阿弥である。
顔も良ければファッションセンスも高い。だがこの素性の前ではそれらは持ち腐れに過ぎないのだろう。
そのため同じ家に住むとこちらのスペースまで侵食されそうだと考えたので、家を分けることにしているのだ。
麗は持っている紙袋をテーブルに置くと図々しくソファーに座り、脚に身体をこすり付けるカインを抱き上げわしゃわしゃと撫でている。
人懐っこいのも、俺の独占欲も大概だな。二杯目のコーヒーを用意して麗に差し出す。
「...ブラックでよかったか?」
「えー!俺苦いの無理!知っててやってるッしょ意地悪だなァ!」
「もちろんだ。ほら。」
取り出したスティックシュガーとコーヒーフレッシュを親指で弾き飛ばして渡す。麗は器用にも片手でその両方を空中でキャッチした。
そして湯気を立てるコーヒーにそれらを流し込み、軽くかき混ぜて飲んでいる。
筋金入りの甘党である舌にはどうやら物足りなさそうだ。
「あと二つずつくらいくれない...?」
「それで十分だろ。まったく、虫歯になっても知らないぞ。」
「この間もドーナツをデカイ箱で持ち帰ってきていただろ。一人で全部食ったのか?」
「そりゃ俺が食う用だし。何スか何スか、言ってくれればセンパイの分も買ってきたのに。」
「...それについては今度頼む。」
「で、袋の中身だが...」
嬉しそうに袋から取り出された一つ目の"良いもの"は、たまに広告を目にする高級店のチョコレートアソートだった。
お見舞い品として予約したものを渡しそびれていたため持ってきたらしい。しかし曰くこれは前座、二つ目が本題なのだという。
「二つ目はですねェ...これッス。」
麗が手渡したのは、封筒に詰められた書類。開いてみると、意外なことに中身は特事課の調査報告書であった。
俺の療養期間中に単身調査に向かった結果の報告で、内容はとある山奥の廃墟でカルト組織らしき団体を目撃したという、俺達にとってはごくありふれたもの。
だが末尾に書かれた補足情報に、俺の目は釘付けになった。教団員が身に付けていた腕章に、炎を象ったようなマークが刻まれていたというのだ。
教団員の話を盗み聞きすると、翌日に再びこの廃墟を訪れるという。麗の持ってきた二つ目とは、この廃墟の再調査である。
なぜ麗がこれを隠し球として持ってきたかはすぐにわかった。炎を崇めるカルトに強い興味を示す人間はおそらく特事課、特に本部においては俺ぐらいなものだろう。
俺は記述にある腕章を知っている。この目で確かに見て、一生をかけて追い潰すと誓った存在だからだ。
「...課長による許可は?」
「ホラ右下。ちゃーんともらってますよォ。」
報告書ともう一枚同封されていた調査申請書には、確かに印鑑が捺されてある。課員が調査を申請するには課長の許可が必要で、この印はそれを受理された証明となる。
「どーします?キャンセルもできますケド。」
まさかこんなタイミングで好機が舞い込んでくるとは夢にも見なかった。ニタニタと悪そうな笑みを見せる麗よ、今回ばかりは突然の来訪を歓迎しよう。
「...やるぞッ!!」
今俺の目は、どれほど輝きを得てギラつき、傷はどれほど疼いているのだろう。しかしそれは際限なく沸き起こってくる高揚感に比べれば些細なことだった。
この痛々しい痕を撫でていると、昔を思い出してならない。
クトゥグァ。俺はお前を必ず滅する。
─────────────────────
─────六年前。探偵、水上 省吾。
カーテンを開け、眩しい朝日を浴びながら一杯のコーヒーを飲む。探偵である俺の一日はこのルーティーンから始まる。
...というのはあくまで建前。この状況は今ただ単にフリーターがカッコつけて、大して好きでもないコーヒーをちまちまと啜っているだけである。
探偵という職業、昔から憧れはあった。しかしその実は地道な調査、調査、洗い直し、調査の連続だった。
圧倒的な頭脳をフル回転、無能な警察に代わり事件をズバッと解決!勧善懲悪が信条、戦ったとしても負け知らず!俺はそんな理想の探偵にはなれなかったまったくの落ちこぼれだ。
事件に介入しようとしても警察には迷惑がられるだけだし、特にこれといって格闘技をやっているわけでも身体を鍛えてるわけでもない。
その辺のコンビニ前で
大学を卒業してから俺は現在、ラーメン屋でバイトしながら小さな探偵事務所を家族と同居しつつ営んでいる。
同居といっても、庭に建ててもらったプレハブ小屋を事務所として住んでいるため事実上の別居だ。
建設業をしている親父からは「このプレハブ小屋がお前に対する最後の支援だ」と言われてしまった。家族とは当然のこと会話がないし、飯も別々。
憧れたカリスマ探偵とは程遠い現実とのギャップに打ちのめされ、情けなく隅に追いやられてしまった可哀想な若者。それが俺だ。
でも依頼は来るっちゃ来る。...近所のご老人のご用聞きがメインだけど。あと外出中にペット預かったりとか。そんなもんだ。
これじゃあ何でも屋だ。俺がなりたいのは探偵なんだ。そう喚いても声は届かない。この間部活帰りの妹に玄関前で力説したら鼻で笑われちまった。
「うわっ、やっべもう時間かよ!」
ふと時計を見ると、バイトの時間が近づいていた。急いで見栄にまみれたバスローブを脱ぎ捨てていつものジャージに着替え、小屋...事務所から飛び出す。
そして愛用の自転車に跨がり、力の限りペダルを漕ぐ。おやっさん、遅刻すると死ぬほどキレるから急がないと。
探偵の雰囲気がぶち壊され、一瞬にしてフリーターの現実へ引き戻される。でも生きていくには仕方のないこと。
いつかどいつもこいつも見返して、最強の探偵になってやる。今に見ていろ。
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