第65話 心の眼

 ...一体、どれくらいの時間が経っただろう。俺は壁に身体を固定されたまま、ずっと目の前で立って動いたり、畳で眠ったりしている尊の姿をした與那嶺を眺めていた。

 もはや偽物の姿でも、俺はこれをこの暗闇の中での唯一の癒しに変えていた。互いに干渉しなければ、尊がそこにいるだけのように見えるからだ。

 床に落下したままのスマホのライトが消えた。明かりもなく、真に暗闇だけが満ちている。


 時折演技のボロを補うようになにか話しかけてきていた。だが全て無視した。内容は忘却の彼方へ消し去った。喋れば違いに気がついてしまう。

 吊るされたままごく短い睡眠を取りながら、体感では四日は過ごしたような感覚だが実際は二日ほども経っていないのだろう。

 外からのコンタクトも途絶えたまま。ひどく腹が減った。ここを出たら最初に、坂田の手料理が食べたい。

 拘留所の生活で飲まず食わずには慣れていると思っていたが、違った。口一杯に暖かいものを頬張る感覚を知ってしまったら、もうリセットが利かなくなるんだな。


「ねぇ、ふわっち?そろそろ諦めて自殺でもしちゃったら?」


 またそれか。黙っていろゴミクズが。お前ごときがその声であの子を騙るな。お前の誘いに乗っちまったら俺はおしまいだ。

 殺意に枷を揺らすも、びくともしない。元よりこの形で形成されたかのように食い込んで、脱出は叶わない。

「諦め」の文字が頭を過る。手足は動かないが口は動くんだ、舌を噛み切ってしまえば。


 すると、背中を壁越しに叩かれる感触が伝わり、声が聞こえてくる。橘の声だ。

 ほとんどが遮断されてしまい内容はわからないが、必死さが滲み出ているのが嫌でも理解できる。希望が見えた。

 與那嶺はそれを聞いていきなり足の拘束を解くと、いきなり金属の触手で俺の腕を掴み、居間の中心まで引きずり再び固定した。


 姿を「変面」のように一瞬で元に戻した與那嶺が、ゆっくりと壁へ近づいていく。床板を踏み締めるのに合わせて波打つ足を使って。

 そしてその手で壁に触れると、動けず床に転がったままの俺に不敵な笑みを見せつけた。


「...結構粘りますね、貴方は。ちょっと面倒になってきたので、やり方を変えてみます。」

「私の能力は"模倣"ですが、金属での防御、攻撃への転用はMECのメンバーなら誰でも使えるらしいですね。」


「や...やめろ、やめろ與那嶺!!」


「私の特色は模倣能力、そして圧倒的な操作量。そうファーザーに教えてもらいました。」

「家一つを覆える量の液体金属を同時に棘として拡散させたなら、外にいる人たちは一体どうなってしまうんでしょうね?」


「よせェッ!!殺るのは俺が先なんだろ!?」

「俺はまだ死んでない!趣向を凝らす相手を間違えるんじゃねぇ!!手を出すな!!」


「ふふっ...その顔が見たかったです。」


 必死の形相で訴える俺を嘲笑う與那嶺。か細い手がするりと壁の中へ入り込み、壁全体が脈動し蠢き始める。

 そして、剣山のように細かな棘が無数に現れ突出していく。ヤバい、あんな数を一斉に射出したなら皆間違いなくお陀仏だ。

 外からわずかに聞こえるざわつきが強くなる。おそらく向こうも同じ状況なのだろう。


「さようなら、不破 睦月。」


 蠢動が止んだ。撃ち込まれると思ったその時、向こう側から一際大きな叫び声が聞こえた。


『ふわぁっちぃいぃいいぃッ!!!』


 "本物"の尊の声。続いて、なにか硬いものが外側から壁に打ち付けられる音が響く。

 何度も、何度も響く。その度に與那嶺は焦ったような表情を見せて、ついには棘を出現させるのを止めた。


「嘘でしょ...!?あれは、不破 睦月だけの...」


 壁が、脆く切り裂かれる。豆腐かなにかのように、いとも簡単に。そのまま外側から凄まじい勢いで何者かによってズタズタにされていく。

 壁がドロドロと融け出し、何時間ぶりかという陽の光が射し込んで目を焼くようだ。切り口を作り出しながら駆け抜けるのは、光を帯びる刀身だった。


 バカな。を扱えるのは俺だけのはずだ。まさか、橘の話にあった"キッドナッパー"が現れたというのか?

 いや、それはありえないだろう。キッドナッパーは特事課とは事実上の敵対関係にある。それは俺達の活動指針とは逸脱した性質を持っているからだ。


 後退りする與那嶺の前に、完全に壁の形を失った液体金属の水溜まりの上で目映い陽を浴びながら立つ人物。

 手にしているのは、家を覆っていた魔術をことごとく消し去り、爛々と光を放つ"心眼"。

 決意をその瞳に表した坂田 尊が、そこに立っていた。


「ふわっちを...返せッ!!」


 尊は刀を構え、與那嶺に向かって真正面から突進する。俺を拘束していた枷は床に繋がっていたため、既に解けていた。

 ここで俺が動かないとダメなんだ。俺はまた彼女に勇気をもらった。おそらく、その切っ先が與那嶺に届くことはないだろう。


 両腕を伸縮する杭のような形状に変化させて反撃しようとしているが、刀の扱いに慣れていない尊では弾くことは難しい。

 刀身を接触さえさせればいいことはバレている、触手を回り込ませられれば最後だ。俺が與那嶺を掴んで動きを止めるのもいいが、それでは彼女が人殺しになってしまう。


「尊ォォォオォッ!!」


 しかしその全てが杞憂だった。尊は迷わず心眼を逆手に握り直して、投げ槍のように俺の足元に突き刺した。狙いが俺に切り替わる。

 そういうことか。俺はその柄を握り、目を見開いて構える。奴は簡単には殺してやらない。    

 俺の、俺達の大事な人を傷つけようとし、姿を騙り貶めるような真似をしやがった。

 万死に値する。迫り来る攻撃はあえて心眼で弾かず、辺りを動き回り続けることで回避する。当ててしまえば、一瞬で勝負がついてしまうから。それじゃあ俺の気が済まないんだ。


「なんで...なんでここまで動ける!?」


「俺にもわかんねェなァ!!」

「一つ言えんのはよ、全部全部...テメェのせいだってことだなァアア!!」


 すると目が慣れてきて、向こう側の景色が見えるようになってきた。そこには橘や坂田だけでなく、柴崎、古木屋、麗、水上がいた。

 召集を受けたのであろうその全員が與那嶺に向けて銃を構えていて、撃つ隙を今か今かと待っている。與那嶺は俺を殺そうとすることに夢中で、それに気づいていない。

 俺は込み上げる笑いを抑えきれなかった。この様は間違いなく、死神そのものだろう。相手を弄び、笑いながら刃を手に舞踏する。

 殺意の化身、怒りの発露したその先が。


 疾走を止め、右、左と触手を弾く。案の定それらは腕すら形作ることはできなくなった。

 一歩下がって俺を見つめる尊と目が合う。その視線の意味は一体なんだろうな。

 奇異か、恐怖か、それとも侮蔑か。なんだっていいさ。この子を護れれば、それで。エゴで人を救ってなにが悪い。

 往生際の悪いことにまだなんとか片足を動かそうとする與那嶺を前に俺は床に伏せ、腹の底から声を絞り出す。


「────撃てェェェェッ!!」


 応えはすぐに、鉛の雨と火薬のファンファーレと共に訪れた。合計50発を超える弾丸が撃ち込まれ、部屋中に赤色が散らばる。

 弾切れを示す、一足遅い狼煙が立ち上る銃口。全員が全弾を使った。

 與那嶺はもはや魔術を使う気力すら残していない。うつ伏せに床に倒れてブツブツとなにかを呟いている。


 俺は橘に目で合図し、尊を現場から遠ざけさせた。事実からは逃げられないが、直面する時間を一秒でも短くしたかった。

 水上が、弾倉マガジンを入れ替えながら瀕死の與那嶺に近寄る。銃口を向ける手を、俺は刀の柄で軽く払った。


「...なぜ止める。」

「お前はもう休め。丸二日ここで閉じ込められていたんだろう。後は俺達が引き受ける。」


「いいえ、これは俺が殺らなくちゃ意味がないんだ。」

「そっちだって復帰したてでしょう。手を汚すことを急ぐ必要はありませんよ。」


「不破...しばらく見ない内に変わったな。」


「はい、守る人が出来たので。」

「その相手のことならなんだってやることができる。そんな人がいます。」


 足掻き言葉を吐き出そうとする喉元に、俺は剣先を突き刺した。トマトが弾けるような音がして、與那嶺は動きを止め、沈黙する。

 それに一瞥もくれてやらずに刀の血を払いながら縁側から飛び降り、大きく呼吸をする。あそこの空気は淀んで気持ちが悪い。

 そのまま路地に出ると、物陰から飛び出した尊が泣きじゃくりながら俺に抱き着く。頭を撫でてやると、その力はますます強くなる。


「よかった...ホントによかったよおぉぉ...!」


「よしよし。泣くな...自警団団長の名折れンなっちまうぞ、坂田 尊さんよ。」


「うん...っ!でも...でも無理ぃい...!」


 俺はまたこの子の強さに助けられてしまった。心眼の資格者は俺だけではなかったんだ。

 この刀がどういう基準で使い手を選ぶのかは知らないが、特筆すべき点であることは確か。

 尊が暫定的な第三の資格者である事実はいずれ評議会の耳に入り、きっと彼女をどうこうしようとするだろう。


 でもそれは俺がさせない。俺が納得する内容を寄越すまで絶対に認めない。

 より倫理からブッ飛んだ存在はアイツらだ。人を使い捨てることを厭わず、の結果突き止めた人の魂を奪う生首のコントロール方法が「脳ミソをいじる」だった連中だ。

 この子に触れさせるわけにはいかない。もし何かあったら、全力であの組織を文字通り解体してやるまで。


 課員として、団員として、兄として、男として、そしてなによりヒトとして。俺はようやくこの世に甦った、名に背いて選び殺す死神。

 命が平等だなんて真っ赤な嘘だ。人はエゴを押し付け合う生き物、なら俺は俺の身勝手を通してやる。


 理不尽が積み重なるこの世界で。夕陽の中で抱き合いながら、俺は心に誓った。

 ふと横を見ると、この様子を皆が眺めていた。尊も同時にそれに気づき、顔を真っ赤にして俺から離れる。

 皆が笑っている。今し方命を奪ったばかりなのにだ。ハッキリ言って異常な光景なのだろうが、これが俺達の"当たり前"だ。


「ちょっと~ッ!俺だって頑張ったンだからハグのご褒美くらいくれよふわっちィィ~!」


「ッ、おい麗触んな!雰囲気考えろバカが!」

「あとふわっちって勝手にテメェが呼んでんじゃねぇよ!!」


 俺達は生かし、生きていたい。その為ならどんな手段も辞さない。

 それが死神部署、特殊事象対策課。橘一家の壮絶な休暇が、ようやく終わる。

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