第64話 約定は折れず

 と、言ってもどうしたらいいだろうか。俺はスマホのライトで周囲を照らしながら縁側の木板の上にあぐらをかいて座る。

 しかしどんだけチョロいんだ俺は。旅行という状況そのものによって気が緩んでいたんだろうが、少し考えればわかることだったろ。

 善意でカモフラージュされた悪意は、俺を騙すにはうってつけの手段らしい。

 この職務は他人を疑ってナンボだ。まだまだお人好しを捨てきれていない証拠だな。


 與那嶺が俺の死を急かない限り、俺がこのまま餓死するまでは考える時間は腐るほどあるはず。少なくとも今は無事だ、それを喜ぼう。

 やはり無理してでも心眼だけは持ってくるべきだっただろうか。いや、待て。今まで俺を狙ってきたMECの連中は心眼にかけられた懸賞金が目当てだったはずだ。


 ならなぜ呑気に海水浴をしに来ただけの手ぶらの俺を襲う?仲間の仇討ちか?

 いやいや、そんなに義理堅い組織なら月曜日を憎めだなんていう陰湿な信条をわざわざ名に表さないだろう。

 月曜日なんてたかが繰り返される日々、その七分の一だ。過ぎ去ってしまえばなんてことない。その日を如何に良く過ごすかが大事だ。


 解さないだろうな。今、外とを隔てる壁を、なにかをくぐもった声で叫びながら必死に叩いている少女と過ごす朝が、食事が、何気ない一瞬一瞬が。どれだけ尊いものなのかを。お前らなんかは。

 その日常を、下らない逆恨みなんかで奪おうとするお前らなんかにはな。

 持つ能力から所属はMECで間違いなさそうだが、お得意の口上、確か「ファッキン・マンデー」だったか?あれも言わなかった。

 そして"ファーザー"とは一体誰のことだ?


 立ち上がり、浮かんだ疑問のヒントを少しでも見つけるためとりあえず家中を歩き回ってみる。しかし半端じゃない金属の量だ。

 隅々まで固められてしまっていて、一つの隙間さえない。出口を探すのは無理だな。

 そして元いた場所に戻ると、いつの間にか壁を叩く音が止んでいる。二人を呼びに行ってくれているんだろう。

 こちら側からはどうすることもできない。やはり廃屋でのケースと同じく、外部で本体を叩いてもらうしかないか。

 仮に時間をかけて心眼を本部から持ってきたとしても、扱えるのは現状俺だけだしな。


 どうやって暇を潰そうか考え始めた時、背後で物音がした。畳に重たい何かが落下するような音だった。

 恐る恐る振り返ると、そこには信じがたい光景が広がっていた。與那嶺が寝転がっていた。

 しかしその四肢はない。それらは根元から切り落とされたようになっており、顔はこちらを向いてにやにやと笑っている。

 俺は即座に攻撃しようと構えるが、その意志はすぐに目の前の敵が見せるあまりにも憐れみを誘う有り様によって消え去っていった。


「....なんのつもりだ。」


「挨拶です。最期を共に過ごす者として、これぐらいはしておかなきゃ。」


「ふざけるな!!早くここから出せ!!」

「お前を殺すことなんて、俺には容易いことだと知っての監禁か?甘いんだよ!」


 俺の挑発に與那嶺は答えず、小さく微笑む。

 すると、與那嶺の四肢、それらがあった場所から液体金属が流れ出て形を成していく。先程見た腕や脚と全く相違のない形に。

 四肢が流動しているようだという俺の見立ては間違ってなかった。こいつは失った身体を液体金属で模倣し、補うことが出来るのか。

 そしてすっくと立ち上がり、可憐な笑顔を見せながら俺を真っ直ぐ見据える。


「出すことは出来ません。けど、確かに私を殺せばこの壁はすべて消えます。」

「貴方だってこんなに可哀想な子供を一方的に嬲り殺しにする趣味はないんでしょう?」

「もしそうしようというのなら、私はもがいて、やめて助けてと叫んで、少しでも貴方の心にキズをつけてから死ぬことにしますね。」


「ナメんじゃねェよ...そこ動くな。」

「折角の休暇を潰した代償は、払ってもらうぜ...與那嶺ェッ!!」


 知ったことか。俺は床を蹴ってそのか細い命をくびらんと突進する。俺は、あの廃工場で魔術師の少女を頭から真っ二つにしたあの日から。自分でも知らない内に六人を手にかけたいつかの日から。

 お前が思うような人格者なんかじゃないんだぜ。"可哀想"だ?そりゃ俺に対する慰めか?


「へぇ...なら。」


 だったらお生憎様だクソ野郎。相手が風邪だろうが骨が折れてようが、歩けなかろうが、立てなかろうが。

 俺の敵であることには変わりない。俺はそういう手合いをひたすらブッ飛ばす為に飼われてる、ていとしちゃそんなもんだ。

 持ち合わせる能力や技術もろくなものでなく、人体を如何に迅速に破壊するかを突き詰めたもの。

 身をもって知らしめてやる。俺がお前なんかに阻まれて...


「...たまる、か...」


 首を絞めかけた手が、離れる。俺は呆然と口を開けたまま後退りし、情けなく声にならない声を絞り出して尻からへたり込む。

 あははと笑う口、華奢な身体、ツーサイドアップの金髪。赤いパーカー。

 液体金属のヴェールに包まれたかと思えば一瞬にして変化したその姿、"本物"との共通点は、見れば見るほど狂ったように増えていく。

 コイツの能力は模倣だと推察していた。だがまさかここまでとは思ってもみなかった。


「これならどう??」


「あ...ぁあ...ッ!!」


 俺の手によって気道を塞がれ、苦しそうな、聞き慣れた嘲笑う声に正気が削られていく。

 尊の姿を、完全にコピーしやがった。小柄な背丈、目鼻など一つ一つのパーツや仕草に至るまで、本物と何一つ変わらない。

 偽物とわかってはいる。わかってるんだ。それでも攻撃する手が、どうしても伸びない。

 本能がそれを拒否しているのが己の震えから伝わる。クソッタレ、最悪だクソッタレが。


 身動きの取れなくなった俺の身体を、変形した床が蔓となって拘束し、壁に叩きつけ、磔にする。いつもなら笑って唾でも吐きかけてやるつもりだが、湧いた生唾は喉の奥へと消えていくばかり。


「しばらくそこにいてね。ふわっち?」


 やめろ。その声で、その身体で、その笑顔を向けて俺に話しかけるな。でも、止める手段を俺は持っていない。

 例えこの拘束から解放されたとて、俺はアイツにあの姿でいられる限り、指一本手出しできないだろう。


 俺はあの笑顔に救われた、陰に生きるしがない草花の一縷だった。何処へもその根を伸ばすことなく枯れていくだけ、そんな運命を陽だまりで照らしてくれ、生きる理由という花を咲かせてくれた。

 気丈に自らを焼いて、輝きを放って、希望を分け与えてくれる、そんな俺にとって太陽のような人間を。

 例え虚像であっても。例え他者の被った皮であっても。傷つけることは俺自身が絶対に許すことはない。俺という存在を成してくれたのは、紛れもないあの子だから。


 だから俺は、このまま指先から輪切りにされてしまったとしても、守る。絶対に。

 己に課した約定だけは、誰にも侵させない。

 しかし俺は我に返る。俺が死んだとしても、アイツは生き残る。その後は一体どうなる?

 俺は力を振り絞って、與那嶺に話しかけた。


「...なあよォ、俺がこのままくたばったとして、外の三人はどうなるんだ...?」


「もちろん殺すよ。ふわっちを先に消すのはあくまで最優先だから。そういう命令なんだ。」


 可愛らしいいつもの声から絶対に発することのないような言葉が容赦なく俺の心を抉る。意地の悪いことに、尊の雰囲気に合わせて丁寧だった喋り方まで変えていやがる。

 声は同じなのに、ところどころ真似しきれていない尊らしからぬ部分があり、点在する違和感が相乗して、最早拷問だ。


 でも、折れるわけにはいかない。死ぬのは俺が先だ。この悪魔と心中することになろうと、尊だけは傷つけさせない。

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