第63話 憂いの旅路

─────一週間後。


 俺達三人は、キャリーバッグにまとめた荷物を持って橘の待つ空港へ向かっている。それはもちろん、これよりきたる二泊三日の沖縄旅行のためである。

 橘が部屋にやってきた翌日に、尊の要望ですぐにデパートに向かうことになり、海遊びの道具を様々買った。

 それまでの葛藤はどこへやら、あれが欲しいこれが欲しいとあちこちの店を駆け回り、坂田に諌められながらも最終的には緑色の、ウミガメを模した人一人が乗れるビニールのフローターを購入した。他には水鉄砲、忘れちゃいけない水着、シュノーケルも。


 それらを抱え車を走らせている最中なのだ。

 尊は気の早いことに、まだ目的地に着いてすらいないのにシュノーケルを取り出して装着、窓の外を楽しそうに眺めている。

 武器はもちろん置いてきた。空港で引っ掛かるのもそうだが、なにより持ち歩く重さがついて回ることで自身の立場をいちいち実感したくないからだった。


 今回はせっかく旅行で来ているのだから、責務もしがらみも忘れていたいものだ。坂田と橘の「話したいこと」に関しては、俺はおそらく当事者じゃない。

 視界の外へ追いやろうって訳じゃないが大事なことなら二人きりでじっくりと話してもらいたいし、俺と尊はその間存分に海を楽しめる。今思えばWin-Winな計画なのかもしれない。


 開けていた窓から流れ込む涼しすぎる風に、閉めてしまおうか迷っていると車は空港に着いていた。トランクから荷物を下ろして、場にそぐわないシュノーケルを外させる。

 そして、エントランスの外で煙草を吸っている橘と合流することができた。特にこれといって私的なやり取りをすることもなく、沖縄へ向かうためのごく事務的な会話だけをして俺達は飛行機に搭乗する。


 尊は飛行機に乗るのは初めてらしく、眼下に望んだことのない厚い雲と青空のギャップに大興奮。常識の範囲内ではしゃぎながらスマホで写真を撮りまくっていた。

 今のところ、旅行らしき旅行というムードを持っているのは尊だけのように思える。座席が隣同士になった夫妻は顔を背け合って喋らないし、俺は尊の楽しそうな様子をただ眺めているだけ。


 しかし、やがて写真にも飽きたのか次第に沈静化していき、最終的には寝に入った。起こす理由もないし、俺も大して眠くない。

 なにもせず無為な時間を過ごすことには少しばかり経験がある。このまま着くのを待とう。





 ...............






 ...いつの間にか寝ていた。沖縄到着のアナウンスと、既に起きていた尊に揺り起こされる感覚で俺は目を覚ました。

 疲れなのだろうか。朦朧とした意識を叩き起こして座席から立ち上がり身体を伸ばす。自分がいかにブッ飛んだ状況下に置かれていたのかを痛感したような気持ちになった。

 飛行機を降りると、非常に温暖で潤った空気が全身を包むのがわかる。荷物を受け取り空港を出てからの道程は、行き当たりばったりなものだった。


 橘は仕事に追われていたため旅行日程はほぼノープランの状態だったらしく、食事は適当に近場の飲食店で済ませることになった。曰く、「海さえ行ければよかった」とのこと。

 坂田の呆れた溜め息に、ホテルの予約はしてあると対抗している。そういうことじゃないという視線が、ハンバーガーをかじる尊によって向けられた。


 その後は水族館に行ったり、スマホで調べた観光スポットを回ったりした。ガタガタの計画ながらも、ここでしか味わえないような体験をさせてもらった。

 しかし二人は尊に話しかけこそすれ、直接互いに言葉を交わすことはない。間違いなく、計画のボロが出る度に雰囲気が険悪になっていっている。

 そんな中、俺達はついに海にやってきた。先が思いやられる。


「...二人とも、好きに泳いでてくれ。俺達は...いや、俺は。霞と話すことがある。」


「ああ...いいのか、本当に。」


「馬鹿野郎、今更気にすんな。好きに楽しんでこいよ。」


 砂浜に出てみると、客がちらほらいるが想像していたよりも数は多くなかった。遊泳可能かつ人の少ない穴場を選んだそうで、計画する時間のほとんどをここを探すために充てたらしい。

 尊はこんな湿っぽい話題が繰り広げられているにも関わらず、向こうに停めたレンタカーのトランクから引っ張り出したフローターに黙々と空気を入れている。安っぽいプラスチック製の、踏むタイプの空気入れ。


 フローターのサイズがサイズだ、交代しながらやらないと泳ぐ体力が先に尽きちまう。俺は二人と別れ、尊のもとに走った。


「はぁ...はぁ...っ、ぜんぜん空気入らないじゃんこれぇ...!!」


「...大丈夫かよ。俺代わるぞ?」


「ふわっちぃ...ちょっとやってこれ、アタシ一人だと無理だわ...」


 軋む黄色い蛇腹状のポンプを踏み、空気を送り込んでいく。徐々に膨らんでいっているようだが如何せん押す毎の手応えが薄い、こいつはかなり時間がかかるようだな。

 すると、近づいてくる一人の足音が耳に入ってくる。振り返るとそこには白いワンピースを着て、対照的にコントラストを生むほのかに日に焼けた褐色の肌を持つ少女が立っていた。

 ショートカットのサラサラとした黒髪が潮風に靡いている。


 少女は両手を背中の後ろで組みながら、まだ三割ほどしか空気を充填できていないフローターをまじまじと見つめ首をかしげる。そして思い出したようにこちらの顔を見ると、ぺこりと頭を下げた。


「あ、こんにちは~。お困りですか?」


「あ、あぁ...まぁ、そうだ。」


「どれどれ...あ~あ~それじゃ全然ダメですよ~。海入る前に日が暮れちゃいます。」

「ウチに自転車用の空気入れあるので、貸してあげましょうか?」


「本当か?そりゃ助かるが...」


「ここまで持ってきたいんですけど...ちょっと重たいのでウチまで来てくれますか?」


「...ああ、わかった。行こう尊。」


 尊を連れ、フニャフニャのフローターを抱えながら赤い瓦屋根の家屋が立ち並ぶ道を歩いていく。のどかな町並みで、空気が澄んでいる。

 この辺りは住民も少ないようで、俺達が発する衣擦れや足音以外にはほとんどなにも聞こえない。時折どこか遠くで車の走る音がするくらいだ。

 すると少女は立ち止まり、庭のある大きな平屋建ての一軒家を指差した。


「ここ私の家です。物置から空気入れ持ってくるので、縁側でゆっくりしててください。」


 俺達はお言葉に甘えさせてもらい、縁側に腰掛ける。眼前の庭は広々としていて、池まである。それにしても、初対面なのにこれほど良くしてくれるとは、心優しい子なんだな。


「すまない...何から何まで。えっと...」


「ははっ、いいんですよ。」

「葵。與那嶺ヨナミネ アオイです。私の名前。」


「あぁ、俺は不破 睦月だ。こっちのちっこいのは...」


「ちっこくないわ!アタシは坂田 尊!ちっこくないからね!」


「不破さんに坂田さん。憶えました。では、すぐに戻りますね。」


 部屋の中へぱたぱたと駆けていく後ろ姿、俺はそこに一つの奇妙な点を見出だした。四肢の動きがどこかおかしい。

 妙に流動的というか、骨の通った身体の挙動ではないように思えた。まるでゲル状のなにかがその肉体を成しているかのようだ。


「お、おい與那嶺ッ!!」


 縁側から身を乗り出して室内に踏み込み、その背中に叫ぶ。與那嶺はチラッと振り返ると、邪悪な笑みを浮かべながら襖の陰へ走っていってしまった。

 やられた。こうなったら海なんて楽しんでる場合じゃない。そして、何処からか聞こえる與那嶺の愉しげな声が家中に響き渡った。


「よく来てくれましたね、不破 睦月さん。」

「ここは私の家、テリトリー。狩り場です。のご命令なので、申し訳ありませんが。」

「ここで果ててもらいます。」


 その瞬間、畳、天井、壁。ありとあらゆる隙間から液体金属が流れ出る。アイツ、MECか。こんなところにまで出張ってきやがって。

 出現した液体金属は、かつてパトロール中に遭遇した会員の少年が持つ操作規模に匹敵しており、瞬く間に出入り口を塞いでいく。


 しかしここで、俺は自分の異常な様子を気遣い近づいてきていた尊の存在に気づいた。與那嶺がやっているのであろうこの攻撃は、あの時と同じ手口。俺を閉じ込めるつもりだ。

 なら、絶対に尊を巻き込むわけにはいかない。迷わず振り返り、傷つけないよう最小限の力でその身体を突き飛ばす。


「尊、早く逃げろ!!」


 罪悪感が心を突き刺す。形成されていく金属の壁が生む暗闇に包まれつつある視界に映ったのは、呆気に取られたまま地面に尻餅を着いて打ち付けた腰をさすっている尊の姿だった。

 だが間に合った。外界と内とを隔絶する壁はとっくに固まりもはや外に出ることは叶わなくなったが、これでいいんだ。


 笑えてきた、ざまあみやがれ。俺は俺一人でお前に殺されてやるよ。その前に俺がお前をブッ飛ばしてやるがな。

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