第67話 ザ・イグニッション

 ややドリフト気味に、ブレーキを握り込みながら店の脇に自転車を停める。時間にはなんとか間に合った。入り口の扉を開き、いつものように腹から挨拶をする。


「おはようございますッ!今日もよろしくお願いします!」


「...おう。着替えてこい。」


 俺は物置部屋を改装したロッカー室に向かい、この店の正装である白Tと黒い前掛けに着替える。おやっさんは頑固で寡黙な人だが、あまり表には良心を出して見せない。

 それでも俺のために、不器用ながらこの部屋を己の手で作り替え用意してくれたと思うと、毎度胸が熱くなる思いだ。心から尊敬する人の一人である。


 気合いのために鏡の前、頬を叩き店に出て、仕込みの手伝い、皿洗い、配膳などをこなしていく。学生時代から三年も勤めている、仕事は慣れたもんだ。

 この店は規模こそ小ぢんまりとしているが、地元の常連客が足繁く通う隠れた名店として知られている。常連客のほとんどとは顔馴染みになった。

 看板商品のラーメンは昔ながらを体現したかのような優しい醤油味が特長。飲み会明けの朝には自腹で食いに行ったりしたっけ。


 それにしても、おやっさんの手際は素人目に見ても惚れ惚れするものがある。一人でこの店を切り盛りするには、あれほどのスキルを必要とするのか。

 奥さんが亡くなってから、ずっと孤独に自らの味と向き合ってきた職人。

 バイトに落ちまくった俺が頭を下げに来た時には、喜が混じった、呆気に取られたような顔をしていたのを憶えている。


 そして昼休憩。畳の居間でまかないに出してもらった餡かけチャーハンを頬張っていると、珍しくおやっさんがやってきた。タッパーをひとつ持って。

 いつもは忙しくしているのに。俺がレンゲを止めると、どこか怪訝そうな顔をして向かい側に座った。


「...なぁ、ショウゴよォ。」

「最近、この辺で妙なヤツを見てねェか。」


「妙なヤツ...?いやぁ、特に心当たりないですけど。どうしたんです?」


「菅井さんが話してくれた。魔法使いみたいな服を着てるヤツが町をうろついてるらしい。」


「えぇ...どう考えても怪しい人じゃないですかそれ...なんでまたそれを俺に?」


「一応な。気を付けろって話だ。」

「...お前は俺の息子みたいなモンなんだ。何かあったら、店が回ンなくなっちまうよ。」

「俺にはこのくらいしかできねェ。早く食ってこいよ。」


 おやっさんはタッパーを開けると、俺の食べかけのチャーハンの上に炙った焼豚を二枚乗せてくれた。そして気恥ずかしそうに、巻いたタオル越しに頭を掻きながら厨房へ戻っていく。

 あんな暖かい言葉をかけてもらったのは初めてだった。滲み出る心を知れど、俺はこれまでそれを指摘したことはなかった。

 噛み締めるようにチャーハンをかきこむ。塩味が少しきつく感じたのは、頬を伝い流れる塩水のせいに違いない。


 食べ終わり、目元が乾くのを待ってから俺は仕事に戻る。「おう」「着替えろ」「ご苦労さん」くらいばかりを話しているおやっさんの口数が、この日はずっと左右に振れるメトロノームの針のように増えたり減ったりしていたような気がした。


 俺の仕事は日が暮れる頃に終わる。おやっさんの配慮で、あまり夜遅くまでは働かせないようにしてくれているのだ。

 言わずともわかってます。あなたが誰よりも俺に良くしてくれることは、会話がなくとも俺が一番知ってます。

 暮れ泥んだ深いオレンジ色の空を見ながら顔を思い浮かべると、また涙がこぼれた。くれたあの言葉は大切に心の中にしまっておこう。

 明日も仕事がある。優しさは素直に受け取るべきだ、やたら重く受け止めて変にギクシャクしても申し訳ないからな。


 自然と口の端が吊り上がり、足取りが軽くなる帰り道。気分が良い。今日の夕飯は奮発して何か高いものでも買ってしまおうか。

 確か駅前の方にフライドチキン屋があったな。テンションに任せた、後先を考えない散財は身を滅ぼすと知ってはいるのだが、今日くらいはいいじゃないか。


 すると、店の方へ進行方向を切り替えた時、裏路地に入っていく人影が目に入った。

 それは物々しい白いローブを身に纏った男で、腕には揺らめく炎を象ったようなマークが刺繍された腕章が巻かれている。

 まさかあれがおやっさんの言っていた、魔法使いみたいな服を着てるヤツか。こんなに早く出くわすとは。


「早すぎんだろ...!」


 思わず声を漏らしてしまった。男は俺に気づきそそくさと足を早めて路地裏にするりと入り込んだ。俺は迷わず後を追う。

 身体を横にして、棄てられた自転車やゴミ箱を避けながら速やかに移動する。正直なところ俺の頭の中は不安でいっぱいだった。

 名誉目的が三割、不安が六割。そして、ヘタレのわずかな勇気が一割だ。身体が勝手に動いていたと言えばウソになる。


 それでも、俺は町を守る探偵になりたかった。どうしても捨てきれずズルズルと引っ張ってきた思いが原動力になって、今度は自分の

 男は建物の隙間を次々と通り抜けて、視界から逃れるように走って逃げ去ろうとする。鍛えられた逃げ足をナメるな、必ず追い付いて撮った写真を警察に垂れ込んでやる。


 やがて辿り着いたのは、一軒の廃屋。町外れに位置していて、ここに来るまでがむしゃらに走り続けたせいでかなり息が上がってる。

 追いかけながら目的地はおおよそ検討がついていた。

だからあえて距離を離させてから向かい、振り切ったと油断させる作戦を実行する。即興のとんだ浅知恵、上手くいく保証はないが。


 足音を殺して、扉が開きっぱなしになっていた玄関から忍び込む。外観からも把握していた、二階裏手にある広いバルコニーに近づいていくにつれて声が聞こえてくるようになる。

 緊張に拍車がかかり、心臓が高鳴る。銃とか持ってたらどうしよう。変な波動とか撃ってきたらどうしよう。


 響く声は話し声、というには抑揚が妙に一定を保つ水平線。何を言っているかもわからない。一体何語なんだ?

 まるで不気味な呪文のように、数人でハモっている。俺は壁の陰に隠れて、半身を乗り出しバルコニーを覗き込む。

 そこには追いかけていた者と同じような白ローブの男が四名ほど両手を広げ、幾何学模様が描かれた魔方陣を囲んで立っている。


 さらにその魔方陣の中心には、一人の少女が寝かされていた。即座に「生贄」のワードが脳裏を過る。

 少女はややウェーブのかかった真っ赤な髪を持っている。そう、真っ赤だ。

 単に赤毛というようなレベルじゃない。ペンキでも頭から被ったみたいにハッキリとした赤色をしている。それはまるで、爛々と燃え盛る炎のようだ。

 としての直感が働く。あの少女はおそらくこのカルト共の被害者だ。一刻も早く助け出さなくてはならないと、俺は思った。


「お前ら!!そこで何をやってる!!」


 血迷った、というやつだ。俺は男たちの前に躍り出て上擦った声を張り上げる。

 どうせ俺は半端者だ。これまでずっと空回りで、大した成果も挙げずダラダラと、大層な肩書きだけを自慢に生きてきた。

 それでも、少女一人を救えるのなら、いや救えなかったとしても、俺が捧げてきた人生に有終の美を飾れるなら。それで構わない。

 ゴメン。おやっさん。俺もう、店行けないかもしれない。


 覚悟を決めたその時。呪文を途切れさせた男たちはいきなり慌てふためき、その場から散り散りになって逃げ始める。

 俺にビビったな、と一瞬思ったが奴等の眼中にはないようで、行く手を阻む俺を押し退けながら屋敷から飛び出していってしまう。

 そうだ、少女を助けなくては。連中が逃げ出したのなら好都合だ。


 俺は少女の方へ向き直る。すると、周囲の様子が変容し始めた。色が渦を巻き、温度が急激に低下していく。

 そして、空間の中心に突如として炎が現れる。炎はみるみる内に拡大。それは円形に広がり、三つの燃える花弁を成す。

 奴等はこれを呼び出したのか。なら一刻も早くこの場から離れないと。


 恐怖に引きつる脚に鞭を打ち、俺は走る。踵を返すのではなく、真っ直ぐ、前へ。

 そのまま引ったくるように横たわる少女の脚と肩を抱えながら、顕現する炎の塊のそばを突っ切る。

 走れ、走れ、走れ。身をもって、探偵としての力を見せつけてやるんだ。眼前にはバルコニーの柵。だがあんなもの、飛び越えるまでだ。

 俺はこの飛翔を経て、"覚悟"を手に入れる。


「うらぁぁッしゃあぁあああッ!!」

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