第42話 蟻地獄
腹ごしらえを済ませた僕達は、雲間から差し込む日差しを窓越しに受けながら車でハイウェイを疾走する。
だが決してお気楽なドライブとは言えない。
車窓の外に流れる民家が少なくなっていくにつれて緊張が高まっていくのを感じる。
そこで、錦さんがとある話題を出した。
「そーいやさー。最近本部に来たっていう新人の話聞いた?」
「
不破 睦月。噂はかねがねって感じだ。
会ったことはないが、随分と謎の多い人物であるらしく、なんでもあらゆる魔術を無効化する"オブジェクト"の刀を使うとんでもないトラブルメーカーだと聞いた。
引き入れた経緯も血みどろで近寄りがたい。当分は本部に身が置かれるようで安心した。
そんな話をしながら僕達は、鬱蒼と生い茂る山林の中に走る砂利道を進む。
空気が澄んでいる。人の手が加えられた形跡がどんどん減っていく。
青々とした葉が陽光を隠し薄暗く、人目を避けてなにかやましいことをするにはうってつけのロケーションだ。
資料と照らし合わせながら目的地を探し、獣道を見つけたところで僕達は降車する。
植物のツルを避け、小枝を踏み折りながら奥へ奥へと歩みを進める。すると、先導していた錦さんが小さく声を上げた。
その視線の先には切り立った岩壁にぽっかりと空いた洞穴が見える。
投げ渡された懐中電灯の光を頼りに、あらゆる方向を警戒しながら進んでいく。
湿った石の地面を踏み締める靴音が至るところに跳ね返って、不気味さが背筋をおどろおどろしく撫でる。
しばらく何もない洞穴を調べ続けると、錦さんが突然走り出した。
「陽樹くん!こっちこっち...!なんか怪しいのあったぜ...!」
小声でこちらに手招きをする錦さんに近寄ると、したり顔で足下を指差していた。
そこには、金属製の錆びたハッチがあった。
削られた岩の地面に直接フレームが取り付けられている。
例の怪物が管理しているのか、それにしても不用心なことに鍵などはかかっていない。
軋む音を立てないようゆっくりとハッチを開き、懐中電灯を咥えて人が出入りするには広い縦穴を梯子を伝い降りていく。
一番下まで降りた時にはもはや陽の光は届かず、違う感触が靴を通じて足に伝わった。
タイルだ。ところどころ苔が生えているが、明らかに何者かによって敷かれたものだ。
地面だけでなく、壁全体にも張られている。
僕達は即座に、持参した武器を装備する。
排莢した初弾がタイルに落ちる甲高い音が、暗い奥まで響いた。
進めば進むほどにここがどんな場所なのかを理解させられていく。
ここはおそらくなにかの研究所。広い空間をいくつか中継する廊下を経て、さらに奥へ踏み込んでいく。
留守中だというならば、この場所の存在、構造の情報だけでも把握し、すぐに持ち帰らなければならない。
得体の知れない器具、解読不能の文字が刻まれた大型の機械が並んでいる。
白く、余計な色彩を介在させない妙な清潔感を纏ったそれらは、外科手術に用いる道具の数々をどこか想起させた。
それでいて人の扱うものではないと同時に理解できるだけの異常な形状。
しかし調べる余裕はない。錦さんは、最奥に繋がるであろう鉄扉を開く。
相変わらず暗く、周囲を確認するために僕達は光を振らせて闇を破っていく。
辺りにところ狭しと並べられていたものは、これまた異常の一言。
いくつかのボタンが取り付けられた装置基部にセットされたガラス容器。
満たされた液体の中で浮かんでいるのは、人間の脳だった。
錦さんは息を呑み、思い出したかのように以前本部に共有されたある情報についてを呟くように話した。
「"脳の入れられた缶"...!例の不破くんとやらが持ち帰ったやつと一緒じゃんか、コレ...!」
すると、光の端になにかが入り込んだ。
空間の奥に佇む、なにかの存在。即座に向けた二人の光によりその全貌が明らかになった。
1.5メートルほどの体躯、ピンクがかった甲皮、胴体。背中にあたるであろう位置から生えた膜のような、背びれのような翼。
頭のあるはずのところには、イソギンチャクのような短い触手が寄り集まった渦巻状の楕円体がついている。
聞いていた目撃情報とは一致する。しかしその異様すぎる姿形は、錦さんの握るサブマシンガンの引き金を引かせるには十分すぎた。
45口径弾が
弾丸は数発食い込んだが、緑色にてらてらと淡く発光する体液のようなものを多少漏れ出させた以外に目立ったダメージは与えられていないようだった。
その瞬間、強烈な閃光が目を焼くように降り注いでくる。
突然電灯が点けられたのだ。
そして僕達は同時に、辺りを取り囲むたくさんの気配に気づいた。あの怪物がいつの間にか群れを成して僕達を包囲していた。
そのハサミの形をした手には、小突起がついた黒い金属のような機械が握られている。
そんな絶体絶命の状況、張り詰めた空気を錦さんの持参したスマホのコール音が破った。
それを見た手負いの怪物は、無機質で抑揚のない、昆虫の羽音のようなブゥーンという声で人間の言葉を話した。
「電話に、出ろ。」
「.....いーんだね?ホントに。」
「我々も貴様らについてのことは認知している。こちらも、知りたいことがまだある」
錦さんは無言のまま、通話に応答した。
わずかに向こう側から聞こえてくる声は、加賀美支部長のものだ。
しばらくは明るく、調査に向かった僕達を激励する言葉をかけてくれていたが、次第に自らの言葉に返答がない錦さんを訝しむ一方的な声かけに変わった。
そして錦さんは「あー」という声で加賀美さんの声を一時遮ると、声量を絞った淀みない、確かな口調で電話越しに告げた。
僕達が現在立つ、この謎の研究所の位置を。
「行くよ、陽樹くんッ!!」
次の瞬間、錦さんはそのまま通話中のスマホを背後にいた怪物の一体に投げつけた。
頭の楕円体に命中し、その一体が怯んでいる間に走り出し空になった
僕はその鮮やかな手際を見ながら、数秒の間ただボサッと突っ立っていた。
「陽樹くん早く隠れて!!」
その声が届く時には既に奴等の手に握られた装置が作動して、青っぽい火花の塊のようなものを飛び出させていたところだった。
まるでゲームのクイックタイムイベントだ。
身体をうまいこと捻って、まぐれながらも数発をかわしたが、至近にまで迫る。
僕は咄嗟に三節棍を振って、一か八かその火花を打ち落とそうと試みた。
「....ッ!受けちゃダメ!!」
投げ掛けられた彼女の勘は、いつも通り間違っていなかった。
振るう三節棍が火花と衝突した瞬間、全身に激痛と共に電流が走った。
金属製だったのが災いしたんだ。あの火花の正体が電撃だと瞬時に見抜くなんて、流石は錦さんだな。スタンガンを食らったように痙攣し、弛緩していく筋肉。
ノイズがかったように薄れていく意識の中で、僕は呑気にもそんなことを考えていた。
揺らぎながら身体が倒れて視界が落ちる。
錦さんの叫びとヤケクソの銃声を最後に周りの音がくぐもったように耳に入らなくなり、瞼が勝手に閉じていく。
囮にでもなんでもして逃げてくれ。
そんな声を紡ぎ出すこともできないまま、成す術もなくあちこちに電撃を食らう錦さんの様子を、僕はただ指を咥えて眺めていることしかできなかった。
こんなところで。
まさか、こんなところで、か。
どうせ殺されるなら、僕からにしてほしい。
喘息のように途切れながらの息を言葉の代わりに吐きながら、ただそう願うばかりだった。
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