第43話 マスターキー

 どれくらいの時間が経っただろう、無様に倒されてしまった僕は目を覚ました。

 身体がどこかに寝かされたまま動かせない。なにかベルトのようなもので全身が固定されていて、もがいても軋む音が空虚に響くだけだ。

 頭上にある白色灯がずっと顔を照らし続けている。焼き付いた光の痕が瞬きをする度に視界に明滅した。


 すると、ヒタヒタという明らかに人ではない足音が近づく。十中八九あの怪物だろう。

 そして僕の横たわるベッドがモーター音を立てながら起こされ、身体を拘束されたまま垂直に立てられる。

 目の前にはもはや見慣れた怪物が何匹も、こちらを見つめながら立っていた。

 手前にいる一体の身体には、おびただしい血がべっとりとこびりついていた。


 その瞬間、僕はゾッとする。その血液が一体誰のものなのか、無意識に詮索してしまった。

 その裏付けもないままに、拘束具に阻まれるのにも構わず僕は身体をガタガタと揺らしながら絶叫した。

 さっきの電撃玉に思考回路でも焼き払われたのか、僕の頭は目の前の事態を認めず子供のように駄々をこねるばかりだ。


 手前にいる怪物は頭部の楕円体をチカチカと光らせ、カラフルにその色を変える。

 なにかの信号を送ったのか。それでも虚しく抵抗を続ける僕の前に、キャスターのついたステンレスの作業台がもう一匹の怪物の手によって滑らされた。


「お前たちは我々について何を知っている?」


 ダメだ、いけない。錦さんに常日頃から、口を酸っぱくして言われてきたじゃないか。

 熱くなった頭を冷やすんだ。いかなる状況にあっても、特殊事象対策課員は冷静でいなくてはならないんだ。


「少なくともこっちの方は」


 錦さん、僕は。


「口を割らなかったが。」


 喉が張り裂けそうだ。目の前の現実に、えずき涙を流し、ショートした頭が言葉にならない絶叫を伝播して、発された否定のみがただひたすらに繰り返される。

 表情があるのかも知れない怪物はなにも言わず立ったまま。僕に同情でもしようってのか。

 頼むからなにか言ってくれ。お前らからの言葉だっていいから、慰めてくれ。

 ただ一言、嘘だと言ってくれればいいんだ。


「陽樹くん!?何も見えない...そこにいる!?返事して!!」


 液体の中に浮かぶ脳は、どうして見知った人物の声でこちらに話しかける?

 どうして身体がない?なぁ、なんでだ?

 それ、いやあれを、どこにやったんだ?

 靡く髪も、小さな背丈も、後輩に元気を分け与える言葉をかけてくれる口だってどこにも見当たらないんだ。

 こちらの叫びが聞こえていないのは不幸中の幸いと言うべきだ。

 この脳髄に返事をしたら、会話をすることでが彼女であると仮初めにでも認めてしまったら、僕の全てが本当にぶち壊しになるんだよ。


 お前らみたいなヤツのことなんか知ったことじゃないんだよ。早く身体戻してやってくれよ。

 なぁ、聞いてんのかよ。

 そんな想いだけで届くと思い込んでいる。

 ただ叫び散らすだけではこいつらはおろか、たとえ人間相手だったとしても僕の願いを読み取り聞き入れることなんて出来ないことはわかってるのに。


 僕はきっととてつもなく幸運だったんだろう。

 配属されてから三年もの間、ゾンビや魚に似たようなザコを相手にしたことはあっても仲間を失ったことなんてなかった。

 任務も、良いことではあるが外れ続き。ほとんどが目撃者の見間違い、物見遊山の無駄足に過ぎないものばかり。

 喪失から来る痛み、不本意ながらもそれで鍛えられる精神の形を知らずに身分知らずにもこんなところまで辿り着いてしまった。

 こんな僕を咎めてくれ。叱ってくれ。いつものように笑い飛ばしてまた飯でも奢ってくれ。


 ああ、こんなことじゃすぐにいつものでバレてしまうな。割り勘か...

 正気を形成する枠のようななにかがひび割れて、自分でも気持ち悪いと思う変な笑いが歪んだ口の端から自然と漏れる。

 僕は、とっくに壊れ始めている。

 一秒でも早く、同じように頭蓋をこじ開けて、その中身をめちゃくちゃに潰してほしい。

 あいつらの背後に並んでる脳ミソたちが、きっと僕の行く末なんだ。

 なにも知らないんだから、なにも言うことなんてない。すぐに僕達はこいつらにとって不要だってわかるさ。


「これで言う気に──」


 続きを待たずに、目の前の忌々しい楕円体に向かって僕は唾を吐きかけた。

 抵抗には程遠い嫌がらせだが、これで少しは溜飲が下がったような気がした。

 怒っているのか知らないが、怪物は身じろぎすらせずにこちらに寄ってきたかと思うと、「死にたいのか」と言わんばかりに首に手なのかハサミなのかをあてがう。


 対して僕は、挑発にしてはあまりにもひきつったを見せつける。

 なんとも間抜けな最期だ。そう思ったその時、空間を隔てるドアが一瞬全開にされ、なにか筒のようなものが複数投げ込まれた。

 怪物たちは一斉にその筒へ注意を向ける。


 その瞬間、散らばった筒のそれぞれから勢いよく白煙が噴き出した。

 煙は非常に濃く、分厚い煙幕となってあっという間に空間全体を満たし視界に映る全てを白く覆い隠していく。

 その中で聞こえる断続的な銃声、僕と錦さんを呼ぶ声、拘束具をナイフで切り裂く感触。

 熱源感知サーマルビジョンゴーグルを装着した人影が、煙を掻き分けて目の前に現れた。


「か...かっ、かが...みさ.....!!」


「よく耐えたな、新藤!助けに来た!非正規課員NRも連れてきた、もう安心だ!」

「錦はどこに!?一緒にいたんだろ!?」


 その質問に、思わず口ごもってしまった。

 僕は力なく傍らの作業台に乗せられた装置を震えた指でかろうじて指すしかできなかった。

 加賀美さんはその装置を見て言葉を詰まらせ、拳を強く握り込む。革のグローブがギシギシと音を立てるのが、この騒乱の中でもよく聞き取れた。

 そのまま装置を引ったくり、肩を借りながら僕達は脱出を開始する。

 梯子の前まで来たところで、加賀美さんはライフルを装備した非正規課員NRを一人先行させてから僕に梯子を上らせる。


「加賀美さんはどうするんで....!?」


「俺は戻って奴等を片付ける。連中、戦闘能力は大したことないが銃弾の効きがちょいと悪い。中々手こずりそうなんでな。」

「さぁ行け!運転はそいつがしてくれる!」


 意志だけで鉄を掴んでいた。痩せた正気で心を繋ぎ止めていた。もはや満身創痍、全身の震えがさっきからずっと止まらない。

 やがてかすかな光が上方に見えてくる。悠久の時を経たような気持ちで、梯子を上りきった僕は岩肌の上に情けなくへたりこむ。

 でもモタモタしている暇はない。振り下ろした平手で地面を打って立ち上がる。


 そして、護衛役の非正規課員NRが運転する車に乗り込み一足早くこの地を去る。

 きっとこれから取り調べが待ってる。

 あの場所には一時間もいなかったはずなのに、身体はくたびれきっていた。

 ここに来てようやく叫びの跳ねっ返り、血の味が喉から昇ってきた。


 目を覚ましたくない思い、やけに冷静な体力を温存したいという考えが絡まり、再び意識を、今度は安息の下に沈めていく。

 シートの隣で未だに安否を問いかける、脳になった錦さんが元に戻るまで、デブリーフィングの実施は永遠に凍結するつもりだ。






 ─────────────────────






 洞穴内に建造された謎の研究施設を制圧、及び管理していたと思われる異常存在を排除。

 こちらの死者はゼロ。北海道地方本部東方副支部長、ニシキ 御苑ミソノの現在の状態を除けばの話だが。

 特事課は本事案で遭遇した異常存在を、課員の証言にあったその海老を誇張したような特徴的な姿から仮に「シュリンプ」と呼称することを決定、電撃を発射する武装や頭部の発光による独自のコミュニケーション能力。殺傷後の死体の溶解による消失、身体の撮影が不能である点などについて現在解析が進められている...


「....か。」


 そして俺は、溜め息と共に読み終わったその報告書と共に別のタイトルを持つ文書が同封されていることに気がついた。

 取り出してみるとそれは、新たに本部に入った調査任務の通達書だった。

 なんでも例の「シュリンプ」が目撃されたある町に向かうという。


 メンバーは俺、柴崎 宗太郎、古木屋 智歩。

 主点となる調査対象は、その町に深く根付き始めている新興宗教団体、「晴笑セイショウの家」。

 この宗教団体が所有する建物に、シュリンプの出入りが見られたと近隣住民からタレコミがあったらしい。見間違いであろうとなかろうと、そこを調べるのが特事課ウチの役目だ。


 俺はテーブルに広げていた資料を手早くまとめて、雑に口が破けた封筒に突っ込む。

 グラスに残った、溶けた氷ですっかり薄まってしまったコーラをストローで一気に飲み干し、背伸びをして首を曲げ関節を鳴らす。

 丁度分の代金をテーブルに置き席に立て掛けていた仕事道具心眼を肩にかけ。


「......行くか。」


 虚空に、こなれたような独り言を吐き捨てた。

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