第40話 アネクメーネ

 あたしは、日本に帰ることにした。

 冷水家の実家があるのは日本だし、あの臆病者はきっとそこに籠っているだろう、という確信めいた予感があったから。

 アテが外れたとしても、化けて出てでもブッ殺しに行ってやる。

 数日かけて自力で密航業者を探し出し、ありったけの金を注ぎ込んで日本へ向かう。

 飛行機やフェリーは使えない。アイツを殺すには武器は必要不可欠、到着する前にバレたら元も子もない。


 向かう途中、乗り合わせた人間や業者が話しかけてきたけど、全部無視を決め込んだ。

 もう二度と他人と関わりを持ちたくない。

 なにせビビっていた。仲を深めた末に失ってしまうのが、怖くて怖くてたまらなかった。


 何隻かを海上で乗り継いだのちにどこかの波止場で船を下りて、深呼吸をする。

 人気ひとけの湿りと排気ガスが混ざり合った、懐かしくも最悪な空気が肺に流し込まれた。

 あたしは殺意の詰まったウェポンバッグを背負い直し、深夜の路地を一人歩く。

 実家の場所はまだ憶えている。そんな自分に、今は吐き気さえ覚える。


 金は使い果たしたのでタクシーは拾えない。

 できるだけ実家から近い土地に下ろしてもらうように頼んだための追加料金が重たかった。

 道程は遠かったが、足の疲れなんてこれから迎える決着に比べれば些事そのものだ。

 田舎道を通り、山道を通り、字が濡れては擦れて消えかけた立ち入り禁止の立看板を蹴っ飛ばして進む。


 やがて見えてくる。電灯の消えた和洋折衷、三階建ての終の棲家が。

 手前の樹木に隠れて、持ち込んだ全ての武器を身に付けていく。メンテナンスは万全だ。

 あたしは玄関のドアに針金を突っ込み解錠、ゆっくりと忍び込む。

 迷いなく、父とは名ばかりの下賎な人間が眠る二階寝室へと歩みを進める。

 ライフルの銃口を向けながらあたしはそのドアを開いた。


 突如、意識を埋めるビープ音。

 扉を開けたとき、わずかに手に伝わったワイヤーを断ち切る感触に気づいた時には、既に爆風は眼前に迫っていた。

 身体が吹き飛ばされ、後ろのガラス窓を背中で突き破りながら落ちていく。

 とっくに迎え撃つための手は打ってあったというわけか。


 受け身も取れずに身体を強かに地面に打ち付けて、視界が揺らいで暗転する。

 明滅する暗闇に、雨が降っていた。

 その中を淀みない足取りで歩く、拳銃を手にした父。リボルバーのシリンダーを開き一発ずつ弾丸を込めている。


「お前ならここに来ると思ったよ、美月。」


「貴...様....ァッ!!」


「そう睨むな。私はお前を信頼したんだ。」

「きっと、生き残ってくれるとな。」


 そして父は、驟雨の中で真実を話した。

 この男は、自らの家族を使って「蠱毒の壺」に似たような行為を決行した。

 訓練した者たちを盗賊団に襲わせて、生き残った一人を自らの護衛として迎え入れると。

 あたしが断ったなら、このまま撃ち殺されて終わりだ。

 攻撃しようにも、主要な武器はすべて吹っ飛んだ。鞘やホルスターに保持したものを抜く暇はないだろう。


 心の底からハラワタが煮えくり返る感覚を味わったのは、これが初めてだった。

 リボルバーを片手に、こちらに手を差し伸べる父。あたしはその手を迷わずに取った。

 そのまま助け起こされ、固く抱き締められる。

 そして心にもない賛辞と、感謝の言葉をペラペラと述べやがる。


「お前の力を、お前だけの力を。私の下で存分に振るってくれ。」


 この時を待っていた。


「そうさせてもらうわ。」


 歯を剥いたあたしは、その首に食い付く。

 父が反撃しようと拳銃を腹に突きつけようとしても構わず、肉を食い進む。

 鼻と口が溢れる血に満たされて溺れそうだ。

 傍から今のあたしを見れば、単なる人を食らう怪物なのだろう。

 それでもいい。どうでもいい。なんと言われても、あたしの人生は自分で決める。


 大量の血液を失わせて、痛みと意識の薄れですぐに抵抗する力が消えていく。

 取り落とした拳銃を拾い上げ、一発、一発。

 あたしは想いを噛み締めるように、頭蓋へ全ての弾丸を撃ち込んだ。

 今までに感じた、恩義、怒り、慕情、好意。

 それらの全てをこの場で清算してやる。


 でも結局、残ったのは空っぽ。虚しさだけ。

 返り血を雨水で洗い流しながらその場を後にする。本当の意味で身以外の全てを失った今、あたしには殺ししかアイデンティティが残らなくなってしまった。

 ルーカス。あたしも、誰かの役に立てたらいいなって思うよ。


 だから、頑張ってみることにした。


 それからは、二年の時を裏社会で過ごした。

 非公認のスイーパー、ヤクザの寄越す鉄砲玉、犯罪組織の用心棒まで。

 殺しが絡むことならなんでも引き受けた。

 あたしが唯一持つもの、麻痺させられた倫理の感覚を最大限に利用して、数えきれないほどの人数をひたすら斬って撃ってブチ殺した。

 こんな形だけかろうじて保ったボロボロの精神じゃ、真人間になんて戻れそうになかった。


 そして、ある時受けた流れ者の暗殺依頼。

 現場に向かってもターゲットはいなくて、代わりに武装した人間がたくさん出迎えてくれた。

 多勢に無勢、あえなく捕らえられた後で、その団体が警察組織であることを知らされた。

 あたしは余罪を全て話した。ここまで来て生き永らえたって仕方がない、どうせなら懲役ではなく死刑にしてほしかった。


 せっかく段取りよくいってたのに、あたしは面会に来た金髪の男に引き留められた。

「その力を使わせてほしい」だって。ホントにヘドが出るような話だ。

 あの腐れ親父と言ってることが何一つ変わってなかった。

 それでもこの男は、警察内に存在するとして活動していると言った。


 その言葉を、あたしは信じた。

 生きる選択肢があるのなら、このまま死ぬよりも生きて殺していたかった。

 いつだってあたしの人生には呪いみたいに人の生き死にが伴ってきた。

 逃れられない業、背負った罪は消えない。

 なにかの、なんでもよかったのかもしれない。


 特事に所属してからは殺しこそすれ、築き上げてきた自分を否定され尽くされる日々が続くことになった。

 やたら強い女にボコボコにされたり、機械オタクの外国人と組まされたりした。

 救いの手を差し伸べられても、生来の負けず嫌いが消えることはなかったらしい。

 誰にも超えられない領域に自分はいると思っていたのに、いとも簡単に飛び越えられていってしまう。


 とどめに、あのガキだ。

 もしルーカスが生きてたらあれくらいの歳だったんだろうと思うと、顔を見るだけで虫酸が走ってたまらない。

 一発であたしを負かしておいて、あの態度。

 許せない。絶対に超えてみせる。

 特事においてあたしの上に立つ人間は、絶対に存在してはいけないんだ。


 そのためにあたしは。





 ....................



 ─────約四年後。



「新しい腕の調子はどうだい?冷水さん。」


「....すっごくイイ。」


 ...簡単に、魂を売った。

 血潮を運んでいた心臓は今は最早鉄のように冷たく、全身に迸るものは鈍色をした流動金属。

 失った右腕はとうにコレに置換された。

 鉤爪でも剣でも、思い通りに自由自在に形を変える、では禁忌とされた力。


 眼下に転がる血の海とたくさんの死体。

 あたしが立つこの場所は、ヤクザの事務所だ。

 こののデモンストレーションのためにと、矢嶋が連れてきた場所。

 昔の顔見知りもちらほらいたけど、関係ない。

 命乞いをしても無視して全員殺した。

 あたしに与えられた新たな目的は、矢嶋の手駒となることだから。


 決して逆らえはしない。

 プライドなんて、病室で出会ったあの時に丸々どこかへ消えてしまった。

 あたしは不破アイツを超える。

 あたしから全てを奪ったアイツを、許さない。


 八つ当たり?身勝手?

 一体全体、なんのことだか。

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