第38話 破壊の前は
あたしはルーカスに連れられるままに、集落の広い砂地の道を駆ける。
暖かく湿った風が髪の間を抜けていった。
その先に停められたバンの前には折り畳みの椅子とテーブルが置かれ、カセットコンロの上で寸胴が黄金色をした具沢山なスープをグツグツと煮込んでいる。
ルーカスがプレートに盛られたパンと、ひき肉だろうか、半固形の煮物。
カップになみなみ注がれたスープをダンから受け取ると、すぐにあたしに
食べ盛りの年頃だろうに、最初に配られた分をすぐに渡して健気にも自分の分、次が用意されるのを待っている。
あたしもプレートを持ったまま立って待つ。
ダンに頭を下げたルーカスが食事を手にこちらに向き直り、空いていた席に座らせた。
そしてプラスチックのスプーンを手に、次々と目の前のものをうんうんと唸りながら美味そうに頬張るルーカス。
しばらくしてそれを眺めていたあたしに気がつき、こちらを上目遣いで見つめながら食べる手を止める。
「お姉さん、食べないの?美味しいよ!」
「....あのさ。」
「"お姉さん"って呼び方、変えない?」
「なんで?」
「いや....なんか、慣れないから...」
「...わかった....あっ!そういえば名前聞いてなかった!お姉さ、あっ違うや...」
「フフッ、
「ミヅキ....ミヅキ!覚えた!」
満足げに弾けるような笑みを見せ、再びむしゃむしゃと食べ始めた。
あたしもスプーンを手に取り、ザク切りにされた野菜と一緒にスープを口にする。
...美味い。こんなに手の込んだ料理は久々に口にしたかもしれない。イチからジックリと出汁を取った上品な味がする。
野菜はほどよく食感を残す程度に煮込んであって食べ応えがあり、優しい塩気も相まって五臓六腑に染み渡るようだ。
最近はもっぱら海外にいたし、作戦行動が長かったおかげで食べるものは保存の利く簡単なレトルト食品ばかりだったから、満足感が違う。
バンの横に停まっているもう一台の車で他も調理しているのだろう、ガラス窓から覗く中はキャンピングカーのようになっていた。
煮物もなかなかいける。ひき肉とひよこ豆が主な具材で、スパイスが効いたコク深い味わい。
それにしても抜きん出たクオリティを持つのはパンだった。
既製品に感じられるような安っぽさやパサパサ感はなくて、香り高くしっとりしている。手作りなのだろうか。
そこへ、冷たい水が入った紙コップを二つ持ったダンがやってくる。
「どうだい、楽しんでもらえてるかい?ほら、ここいらは暑いぜ。飲みな。」
「ありがと。しかしここまで質の良い食べ物を、しかも無償で配るなんて驚いたわ。」
「ま、ウチは慈善団体だからな。困ってる人には尽くしてナンボだぜ。」
「....シェフとか雇ってるの?」
「まさか。ウチの仲間の一人だよ。元一ツ星シェフ、料理に関しちゃプロさ。」
「おかわりは用意した分が許す限り自由だ。いつでも言ってくれ。」
ダンが戻り、あたしたちは互いに空になった皿を見つめ合う。
そして、二人同時に吹き出した。
あたしは警戒のために
ルーカスは口の端についた煮物にも気づかず、黙々とがっついていたあたしが可笑しくて。
滾りに滾っていた復讐心も忘れて、あたしたちは晴天の下で笑い合った。
周りの人々もそれを見て笑う。
昨夜目撃したはずの、自らのなにかをめちゃくちゃに壊した殺伐をぼやけさせる幸福。
葛藤だけが心のフィルターに目詰まりしたまま溶けず、消えない。このまま綺麗さっぱり流して次へ向かうべきなのか、一生抱えて生きるべきなのかがわからない。
でも、なんとなくでも決めた。
あたしはこの子を、この笑顔を維持するために生きる。
傭兵業からは足を洗おう。日本に戻って、ひっそりと喫茶店でもやろう。
空になった皿をダンに返却して、早くもおかわりに手をつけているルーカスをただ眺める。
不思議そうにこちらを見返しても、抗えずに食べ続けてしまっている。
あたしは席を立って、バンに寄りかかってタバコを吸うダンのところに向かう。
ルーカスと出会ってから、ずっと確かめたいことがあった。
「おう、なんか用か?」
「...ちょっと、ルーカスについてなんだけどさ。聞きたいことあって。」
「アンタ長く一緒にいるみたいだったからさ。あの子とはいつ?」
「...かれこれ、もう一年になるかな?」
「あの子、拾う前は何を?」
「......聞きたいか?」
タバコを踏み消し、ポケットに両手を突っ込んだまま口ごもるダン。
あたしはそれにも構わずに話を聞いた。
拾った当時、ルーカスはまだ12歳。
ギャング団に夜の繁華街で連れ回されているところをダンが見つけ、無謀にも単身ながら交渉に出たのだ。
結果、金でルーカスをギャングから買い取るということで話は落ち着いた。
保護してからしばらくの間のルーカスは常に怯え、何をするにもまず自分たちに許可を乞う、なんとも痛々しい癖がついていた。
それもそのはず、両親を失ったルーカスはギャング団に奴隷のように扱われていて、今こそほとんどが抜けきったが、薬物を投与された痕も見られた。
時にはその華奢な身体と端正な顔つきを気に入った物好きの団員に、夜な夜な慰み者にされることもあったという。
旅行にも連れていったし、レストラン顔負けの食事も与えた。
この一年で今までのトラウマを消し去ることができたと思っている、とダンは語った。
しかしその痩せた瞳には、深い不安が沈み込むように灯る。
「.....聞かなきゃよかったわ。」
「だから言ったじゃねぇか。わかってるとは思うが、くれぐれもその事についてはあいつの前で喋るなよ。」
「わかってるわよ.....ありがと。」
二本目に火をつけようとするダンに礼を言い、ルーカスの元に戻る。
既におかわりの分も食べ終わっていて、あたしが戻ってくるのを待っていたようだ。
「おかえり!ダンとなに話してたの?」
「料理について....かな。」
家に戻るまでの道すがら、あたしの答えを聞いたルーカスは嬉々としてこの団体の出す料理について説明してくれた。
例の元一ツ星シェフの名はスティーブ。
手を抜けない性格であり、炊き出しのメニューは豪華なことに日替わり。
食材はいつも現地の市場で手に入れた新鮮なものをふんだんに使っている。
買い出しをした直後に調理を始め、それから戻ってくるため彼の車が見えたらもうすぐ料理が食べられるサインなのだという。
家に着いたあたしは、すぐにトレーニングを再開した。
任務もない、ショッピングに打ち込む余裕もないのなら、やることはただ一つ。鍛えるだけ。
ルーカスも横で同じ筋トレをするが、すぐにバテる。でもすぐに復活して動き始める。
それでも、一時だって笑顔を欠かさなかった。
疲れた疲れたと言いながらも、決して諦めずに食らいついてきた。
そして、知らず知らずのうちにあたしは教える側に回っていた。
殺し、戦いに直結するものじゃないからいいだろうと自分に言い聞かせて。
これだから嫌なんだ。勝ち気なくせして内心の優柔不断を地で行くあたしは。
夜になり、食事を摂り、朝が来て身体を動かし、また美味い食事を楽しむ。
そんな今までの日々とはかけ離れた時間をただ繰り返す。
とても楽しかった。家族と過ごした宴の夜も、初めて連れていってもらった遊園地も、任務の合間に訪れた碧い海も。
とっくに追い抜いていってしまった。
あたしは尚も、戦闘に関するテクニックの教えを乞うルーカスの望みだけは突っぱね続けた。
ルーカスは森で訓練の真似事をしては、至るところに傷を作って帰ってくる。
その度に彼は謝る。自分は不甲斐なく、役に立たない人間だと。
それでも絶対に、人殺しにはさせない。自衛のためと言えばそれまでだが、それだけは自身のプライドが許さなかった。
しかしある夜、あたしは身体にかけた布団の中に潜り込んでくるルーカスに起こされた。
「っ、おい...なんで入ってきて...」
両手を、枕に沈んだあたしの頭の両脇に押し付けて息がかかる距離まで近づいてくる。
宵闇に包まれながらもわかるほどの頬の赤らみと、茹だる熱帯夜の空気をも容易く通り抜ける熱すぎる吐息。
一瞬にして、恭しさの温度が布団のドームの中で広がった。
「ミヅキ、オレ気づいたんだ。」
「オレがどうやったらミヅキの役に立てるか、オレなりに考えてみた。」
そのままルーカスは、あたしへ唇を重ねた。
唇を唇で食むようにする、そのあどけない顔からはとても想像できないほどに健気で、官能的な口づけ。柔らかな感触が伝わる。
思わず全力で跳ね退けそうになるのを抑えて、肩を掴んでゆっくりと引き離す。
「......なにすんだよ。」
「ダンと話したの料理のことなんかじゃなかったんでしょ。オレが、男たちに...」
「───言わないで!!」
気づけば叫びが口から飛び出していた。
拒絶ではない、引き留めるための。
そして今度はあたしが自分からキスをした。
文字通りの口止め、張本人の口から続きを聞きたくはなかったからだ。
君の行動は間違っているということ。そうでないとしても相手が相応しい存在ではないこと。
雑ざる複雑な思いを、一言に込めて。
「....十年早いっての。」
「あははっ、ありがとう。ミヅキ。」
「止めてくれなかったら、最後までシてた。」
「.....ったく、バカじゃないの。」
あたしは人差し指に反りをつけて、爪の先で額をコツンと叩いた。
照れたような顔をして額をさする彼と、約束をした。
二人きりでどこか安心できるところに行くまで、この事は絶対に秘密にすること。もちろんお互いに、話題にも出さない。
さっきのは仮のキス。18になるまで、本番は取っておくこと。
「....わかった?」
「うん。おやすみ、ミヅキ!」
いつもの笑顔を向けて、いともあっさりとルーカスは布団から出て自分の部屋に走っていく。
これでよかったのだと思うが、一体なんだ。胸に付きまとうこの妙な寂しさは。
まだ唇と、布団の中に彼の残り香が居る。
彼は成長しすぎてしまった。それも、ひどく歪んで間違った方向へ。
これが運命であるなら、あたしは彼を真っ直ぐに正す責任がある。
そう考えながら、再び浅い眠りへと意識を沈めていく。
翌朝、あたしたちは普段と変わらない挨拶を交わして、朝食を食べた。
余所余所しさすら持ち込まずに。
約束がある、決して秘めた気持ちを表には出さないようにする。
共に積む研鑽も。過ごす時間も。かえがたいものにしなくてはならない。
そうして、このキャンプを発つ日、その前夜がついにやってきた。
スティーブと連絡を取っていたダンは、「とっておきの料理が待ってる」と、少しばかりいつもよりも帰りが遅くなることをあらかじめ教えてくれていた。
しかしそれを差し置いてもおかしい。
既に辺りはすっかり暗くなり、時計の短針は10を指している。
待ちきれずにあたしたちは広場に出て、ダンと共に雑談を交わしながらスティーブを待った。
そして、今一度電話を入れるとバンの陰に行ったダンは、やはりと言うべきか首を傾げながら戻ってきた。
「どういうこったこりゃあ...スティーブの奴、電話にも出やしねぇぜ。」
「...随分手がかかってるみたいね。」
「まったくだ。凝り性なのは知ってるが、ここまで時間かかったことは...」
すると、あたしたちの耳にすっかり聞き慣れたエンジン音が飛び込んでくる。
ここ三日、炊き出し前はルーカスと共にスティーブの車を広場で待つのが習慣になっていたから間違いない。
「...ミヅキ!」
「ようやくね...あぁ、お腹空いた。」
土煙を巻き上げながらやってきたスティーブの車が広場の真ん中にドリフトしながら停まる。
何かがおかしい。料理を運んでいるのだから、いつだって彼の運転は慎重さを欠かなかったはずだ。
待ちかねた人々やダンが、車へ駆け寄る。
しかし一向にスティーブが下りてくる気配がなく、全ての窓にはカーテンがかかっていた。
「スティーブ...?おーい、みんな待ちくたびれたんだぜ?」
「早いとこ"とっておき"を見せてくれよ!」
ダンが助手席の扉を開こうとした瞬間、あたしはわずかに隙間の空いたカーテンに黒いものを見つけた。
見紛うはずもない、あの形状。
あらゆる戦場で腐る程見てきた、"世界一使用されている"汎用アサルトライフル、AK-47の銃身だ。
あたしは隣に立っているルーカスの身体を抱え走りながら叫ぶ。
「...ッ!!みんな、早く離れ───」
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