第31話 おもちゃ箱

 ささくれたような声で叫んだ俺の背中を、女は後ろからそっと抱いた。

 震える頭を、か細い指を束ねた手で撫でた。

 優しい手だった。今の俺には不釣り合いなほど暖かく、優しい。


 手の温度から、背中に伝わる鼓動から。

 感じ取れる全てが。

 ───懐かしい。


「....はぁ...?」


 懐かしい?なにがだ。

 俺はこんな女のことなんか何も知らないはずなんだ。

 それでも背後から、心の壁を食い破ってくる想いが、慕情が、愛が、温もりが。

 頭痛が、血の臭いが、硝煙が、が。


「────気持ち悪ィんだよぉおおぁあ!!」


 俺はもがき吼え、女を突き飛ばしていた。

 尻餅をついたまま目を丸くして、複雑に混ざり合ったなにかを孕んだ顔をこちらに向ける。

 女は立ち上がり、驚きか、半ば納得のような微笑を浮かべて目を逸らした。


「...おい不破、これはどういう状況だ?」


「俺が知るかよ...!?クソ、一体....」


 気まずい沈黙が流れ、頭を抱えるがどう記憶をつなぎ合わせても辻褄が合わない。

 なぜ俺はこいつを、んだ?

 しかしそこへ、追い付いてきた尊と盛夏がやってくる。


「ここにいたぁ...うおっ!引ったくりもうやっつけ、て...」


 俺はすぐに駆け寄り、俺が作り出した血塗れの死体を見て言葉を詰まらせる尊の目を塞いだ。

 困惑する声を遮って、毅然とした態度を装いながら告げる。


「...いいか?今見たものは悪い夢だ。帰ったら全て忘れるんだ。」


「....ふわっち。」

「ふわっちたちって、"死神"って呼ばれてるんでしょ...?」


「尊....」


「前、お母さんから聞いたコトあるんだよ!ふわっちたちには、人殺しの権利があるって...」

「冗談だと思ってたよ!?でも...!」


「何も言うな....何も、言うな!!」


 つい声を荒げてしまい、俺は肩を跳ねさせた尊の目隠しを外す。

 この様子を、女は穏やかな笑みを見せながら眺めていた。


「わかった...もう忘れるから...!」

「ねぇ、この人は...?」


 尊は恐る恐る、側にいる女の存在を問う。

 俺が答える前に女は口を開いた。


「私は宇佐見四季ウサミ シキ。"睦月君"の、うーんと...彼女みたいな?」


「お前───ッ!!」


 こいつ、ふざけているのか。

 そう思った瞬間、俺は頭の中を掻き回されるような感覚に襲われ、同時に発生した激しい頭痛に喘鳴を漏らしながら後退りする。


 俺は、「宇佐見 四季」。この名前を確かに知っていた。たった今思い出したのだ。

 なぜ知っているかはわからないが、だけがここにある。

 どのような人間で、俺にとってどのような存在であるのかも知り得ない。

 感じたことのない奇妙な、断片でしかないような過去と仮初の現在が素早く錯綜する痛みに、思わず苛立ちで叫び出しそうになる。


 だが、待て。

 こいつは俺の隠し持つ本当の過去に、なにか関わりがあるんじゃないか?

 向こうも名前を呼んだ。俺のことを絶対に知っている。ただの部外者のいたずらならここまでやるはずがない。

 止まない不可思議な痛みを堪えながら、俺は四季の言った存在しない関係を肯定する事にした。


「...ああ、そうだ。深い仲さ。」


 俺に睨み付けられているにも関わらず四季の顔はぱあっと明るくなり、消えかけた笑みが元通りに弾ける。

 向こうが俺をどう思っているか、向こうにとって俺がどれだけ優先すべき存在なのか。

 まだわからないが、俺はその想いを利用した。

 罰されるのは後でいい。今はとにかく、こいつを丸め込まないと。


「へぇ~...ふわっち彼女なんていたんだぁ...」

「ねぇ、"うさみん"。」


「ん?なに?」


 尊は四季の耳元に顔を近づけると、なにかを囁いた。

 しかしそのわずかな声すらも、痛みによって早鐘を打つ心音と呼吸によって掻き消される。

 それを聞いた四季はクスクスと笑い、尊の頭を子供をからかうように撫でた。


「さ~わ~る~な~ぁ!」


 異常な振る舞いをしている俺に、訝しむ目をした蓮が耳打ちする。


「....なんのつもりだ、この女はお前の...」


「いいから、黙ってろ。」

「こいつは俺が取り扱う...戦闘能力はあるんだ、非正規課員N-Rとしてでも引き込むことにする。」


「......俺は帰る、そうしたいなら好きにすればいい。だが責任はお前が持て。」

「妹を巻き込んだらお前でも殺すぞ。」


 そう言い残した蓮は、四季と尊の小競り合いを尻目に盛夏を連れて去っていった。

 俺は残った二人に声をかけて、パトロールを早く切り上げて戻るよう促す。

 一刻も早く、この状況を坂田に説明する必要があるからだ。


 とりあえずは本部に連絡し現場の位置を伝え、その処理を申請。

 装備を受け取ってはいるがまだ謹慎は解けていない。また厄介なことになると困るため、橘の気遣いで報告書の日付と提出を一日遅らせてもらった。

 俺は肩紐を切られた心眼を袋に戻し、家に戻る道を行く。


 俺は観察のためにわざと、二人から一歩下がったところを歩いていた。

 微笑ましげに話す二人だが、尊を映す四季の瞳は笑っていなかった。憐憫すら感じさせる、虫を見るような目をしている。


 家に入り、すぐさま四季についての疑問を呈する坂田を制して、俺は目配せをしながら頭を下げた。

 もちろんこいつが特事課ウチの存在を認知していた情報も添える。それを踏まえての上。


「頼む。こいつを非正規課員N-Rにしてくれないか。」

「戦闘能力は申し分ない。俺がこの目で見たんだ、保証する。」


 これは苦肉の策だ。本来なら即刻課に突き出しキツく尋問するところだが、

 引っ張り出されたこの尾を、逃す手はない。


 この突拍子もない提案は、俺の目的を達成するためだけの我が儘。

 もしもなにかしでかしたならば刺し違えてでも俺はこいつを

 その覚悟を俺は真っ直ぐ見据える目に込めた。


 坂田は何を言うでもなくうなずくとタンスの引き出しから数枚の書類を取り出し、座布団の上に正座している四季に差し出した。

 これらは非正規課員N-Rとなるための契約書、注意・免責事項を記したもの。

 四季は何を疑うでもなく、すらすらと必要項目を書いていく。


「職業欄」に書き込まれた記述は「学生」だった。喫茶店でウエイトレスをやっていたのはただのバイトらしい。


「ねぇ、宇佐見さん...あなたは私達が扱う超常存在について....」


「信じますよ。私、個人的にそういうのを相手にしたことあるので。自信あります。」


「個人的に...というと?」


 話によると、四季は過去にある噂を聞きつけ興味本位で調査に向かったことがあるという。

 それは破棄された地下トンネルに巣食う、人の形をした化け物の噂だ。

 廃トンネルは心霊スポットとしてネット上で真しやかに話題となっており、その化け物は冷酷で、人間に攻撃を仕掛けるらしい。


 そして、夜間においてはトンネル外部周辺の雑木林でも目撃情報があり、夜しか辺りを出歩けないという推測を加味して「吸血鬼みたい」と四季はその化け物を形容した。


 被害に遭った四季の友人だという女性は、化け物が生成した酸味のある臭いを放つ液体を暗闇の中で全身から注ぎ込まれ、数ヵ月後に異形の子を孕んだという。

 四季本人が調査に向かった際には数体を持ち前の古武術で撃退したものの、数が多すぎると判断したため退いた。


 と、世間話をするかのごとく四季は緩く笑んだまま話していた。

 やがて書き終わった書類が提出され、一通り目を通した坂田は「課員1」のマスに判を押す。

 俺はボールペンを渡され、「課員2」の部分に自分の名字を書いた。


「これで宇佐見さんの手続きはオッケー。任務の斡旋だとか、仕事に関係する話は後日連絡するから、今日はもう帰っても大丈夫。」


「はーい。ありがとうございました~。」

「それにしても、こんなにとんとん拍子に進めじゃっていいの?睦月君。」


「ああ、なにも問題ない。」


 立ち上がり、家を後にしようとする四季に俺は心眼を背負ったままついていく。


「ふ、ふわっち...どこ行くの?」


「今日はこいつと居るよ。坂田...俺の分、メシ作らなくてもいいからな。」


「.....はいはい。」


 俺は、後ろめたい心をギリギリと縛るような猜疑を振り切って四季と共に家を出る。

 思惑通りに騙し通せているかはわからない。

 だがうまく懐に入らなければ、こいつの素性を暴けないし、俺の本当の記憶を取り戻せない。


 記憶の入った箱を引っくり返したようにただ考えても、靄がかかったように不明瞭。

 満足げな顔をして横を歩くこの女は、一体何者だったんだ?

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