第30話 ダッシュ

 "心眼"を背に帯びながら、俺は家へ急いだ。

 尊をきっと待たせてしまっているだろう。

 茹だる陽炎と青空が妙に清々しく思えた。

 謹慎から解放されたからなのだろうか、なぜか俺はそう思えない。


 俺があの時無理にでも動かなければ、きっと全員皆殺しにされていた。

 だがこの謹慎をきっかけに野蛮極まりない目的への思想から心変わりもできたし、自身の研鑽も積めた。守るべき人間もできた。

 結果的にこの謹慎は俺にとってプラスになったはずだ。


 ネガティブな思考はきっと悪いものを引き寄せる。

 "悪いもの"。きっとこの世界のどこかに無数に存在するであろうそれらを、消し去るのが俺達の仕事。責務。生きる意味。

 束の間であってもいい、ただ俺は普通を手に入れたいだけなんだ。


 そんなことを考えながら玄関のドアを開くと、バッグを背負って準備万端の尊が出迎える。


「ふわっちおかえり!あ、なにその背負ってるヤツ~!」


 この"おかえり"も何度目か、俺はすっかりこの家にも馴染んできたらしい。

 俺は謹慎が明けたことと、武器を所持することを正式に認められたことを話した。

 尊は笑いながら飛び跳ねて、自分のことのように喜んでいる。


 そしていつもの調子で俺の手を引き、自警団の集合場所である空き地へと向かう。

 いつもは盛夏が一人で待っているのだが、今回は一人多かった。

 そのそばに、物々しいサングラスをかけて腕組みをした蓮が仁王立ちしていた。


 盛夏は居づらそうに蓮の顔とこちらに視線を行ったり来たりさせながら、軽く手を振る。


「セイカちゃん!待った?って、なんでセイカちゃんの兄貴がいるんだぁ...?」


「護衛だ。パトロールなら人手が多い方が絶対に有利だろ。」


 しかし盛夏はそれを即、否定した。

 MECの魔術師による一件があってからというもの、蓮がやたらと家の中で不審な動きをしているという。

 いきなりハードな筋トレを始めたかと思えば翌日筋肉痛で寝込んだり、今までやったこともなかった警棒の素振りをしてみたり。


 蓮は「嘘をつくな」とか「気のせいだ」とか言っているが、盛夏を指差すその手は小さく震えているように見えた。


「...私が心配なのはわかるんだけど、いつまでも子供扱いしないでよ?」


「してない。兄として当たり前のことだ。」


「はいはい...二人とも、そろそろ行こっか。」


 非正規課員N-Rのエースが同伴するのは俺としても心強いことだ。

 俺一人だけではなにかあった時、二人とも守りきれる自信がない。

 立ち話もそこそこに、俺達はパトロールを開始した。


 いつもと変わらない、のどかな商店街の風景。

 コロッケの美味い肉屋、ガラガラのブティック、色褪せた広告看板、虫食いになったペンキの文章。

 何度見ても、パトロールをする必要性をうっかり感じられなくなってしまうほどの穏やかさを持つ場所だ。


 しかし、そんなことを考えている時こそ悲劇は振りかかるものなのだろう。


「うわぁ!?」


 背後から自転車のチェーンが回転する音が接近したかと思うと、ぐいっと後ろから引っ張られる感覚があった。

 俺の隣にいた盛夏を突き飛ばしながら嘲るような笑いと共に走り去っていったサイクリストの手には、肩紐が切断された心眼の袋が握られていた。


 息を呑んだ俺と蓮は、同時に追跡を開始した。

 呆気に取られながらも追いかける俺と、純粋な怒りのみで走っているように見える蓮。

 閑静な商店街に二つの靴音が響く。

 サイクリストはなぜか一気に突き放さずに、一定の距離を保ちながら走っている。


「あの野郎ナメやがって。」

「俺が回って追い込む。不破、逃がすんじゃねぇぞ。」


「当たり前だろうがッ!!」


 蓮が迂回を始め、俺はこちらの視界から積極的に外れるように自転車を走らせ始めた犯人に必死に食らいつきながら足を動かす。

 しかし再び建物を曲がろうとした自転車がいきなり前方に傾き、乗っていた男が派手にスッ転んだ。


 曲がり角で待ち伏せていた蓮が、ホイールの隙間にバールをねじ込んでいた。

 アスファルトの地面を勢いよく転がりながら大きく吹き飛んだ男だが、なおも立ち上がって逃走を続ける。

 挫いた足を引きずりよろよろと歩く男の後ろを、蓮が展開した警棒を肩に弾ませながらついていく。


 目がマジになってる。

 抵抗するならそれなりの鎮圧は必要だが、放っておけば一方的な虐殺になりかねない。

 いつでも止めに入れる位置を保持しながら歩いていくと、辿り着いたのは住宅街の袋小路。


「もう終わりか?クソッタレが。」


「お前、そいつを早くこっちに寄越せ!!大人しく従えば命までは取らねェ!!」


「盛夏に泣いて土下座すりゃあ半殺しで許してやるよ。」


 だが男は絶望するどころか不敵な笑みを浮かべると、心眼を足下に置き懐から金属のホイッスルを取り出して力の限り吹く。

 高らかな音色が響き渡ると、それを合図にぞろぞろと周囲を取り囲む多数の気配に俺達は気づいた。


 ブロック塀の裏、路地裏、ゴミ箱の陰などから現れた男女交々だんじょこもごも

 マスクで顔を隠した二十人を超える数の若者たちが、短剣や刀、槍など様々な武器を手にしてじりじりとこちらに近寄ってくる。

 その刀身は流動して動いており、人間を傷つける形に特化した残忍な刃を形作っていく。


 さらに笛を吹いた男の両袖の隙間からも液体金属が出現、鉤状に湾曲した刃を成した。

 まさかこいつらが全員MECのメンバーか?

 見るからに風体は武器を持っただけの一般人、戦い慣れしてなさそうな人間がほとんどだ。


「目的は"心眼"か...?」

「魔術師集団が、なんでそれを欲しがる!?」


「この刀パクって帰れば"委員会MEC"からたっぷり金が支払われることになってる....」

「悪く思うなよ、国の猟犬ども....ファッキン・マンデェェイ!!」


 鉤刃を持った男を筆頭に、武器を携えたMECメンバーがこちらに襲いかかる。

 入れ替わり立ち替わり攻撃を仕掛けてくるが、動きは素人臭く見切ることは簡単だった。

 俺は心眼を奪われているため丸腰、拳銃も持ってはいるがこんな場所で発砲するのは不味い。


 加えて相手はおそらく、魔術を利用した武器を与えられ使の人間だ。

 傷つけることなく捕縛して情報を聞き出したいところだが、またあの少年のように外部からの干渉を受け更なる惨事を招く可能性もある。


 そんなことを考えている間にも、蓮は警棒で既に二人を殴り倒していた。

 こいつらは動きこそ単調だが、絶えず流動する刃のせいで攻撃の軌道が寸前で変化、避けきれずに細かな傷を連続して負わせられる。

 やられる前にやらなければならない。


 暴発を防ぐため、拳銃の遊底スライドをガシャガシャと動かし装填された分の弾丸を全て排出、銃身を握ってL字の棍棒のように振るう。

 肉を切って骨を断つ。攻撃を受けながらも頭を狙って殴り付ければ倒すことができた。

 だが多勢に無勢、蓮と共に徐々に出血が増えていく。


 すると突然、少し遠くの方でナイフを構えていた一人が呻き声を上げながら倒れる。

 その傍らには中身が噴き出している割れた缶コーラが転がっていた。

 踵が地面を叩く音を鳴らし近づいてくる投擲の主を見て、俺は思わずその場で固まった。


 屈託のない笑顔を見せながらひらひらと手を振る眼鏡をかけた女。

 ダボついたパーカーを羽織る、いつものエプロンを脱ぎ捨てたその姿。


「あのウエイトレス...!?」


「ごめん、遅くなっちゃったかな~。」

「結構切られちゃったね。ちょっと私....」


 表情が変化する。あまりにも冷たい、本能で察せるその意味。殺戮のスイッチ。

 女は人間離れした走力を以て瞬時に群への距離を詰めた。


「怒るから。」


 そして直前で身を翻したかと思うと、両手を支えに手近な一人の顎を踵で蹴り上げる。

 それに合わせて放たれた慣れない反撃の刃はあえなく空を切った。

 連中が脅威とする判断、ターゲットが一瞬にして切り替わるのがわかった。


 続いて槍持ちが攻撃を仕掛けるが、俺達を相手取った時と打って変わって全く攻撃が女に当たらない。

 それどころか刀身の操作による不規則な追撃も全て軽々かわされている。

 女は人差し指をクイクイと曲げて相手を挑発、余裕綽々といった様子だ。


 終いには下段に突き入れられた槍を踏みつけ、それを足場に顔面へ靴のヒールを刺した。

 女が転がった槍を拾い上げ悠々と振り回して見せると、流血する顔を押さえた持ち主がニヤリと笑った。


「おっ、手に持ってなくても動くんだ。」


 刀身が柄から離れて液状化し、ドリルのように高速回転しながら頭めがけ食い込もうと迫る。

 しかし女の敏捷性には敵わない。疾走は首に絡み付こうとするそれを置き去りにした。

 倒れた持ち主の鳩尾に、槍、その刃のあった部分をねじ込まれる方が早かった。

 激しく喀血している。肋骨の隙間を縫って内臓を今まさに抉っているのだろう。


 女は容赦なく、そのままなかを押し潰した。

 追い付きかけていた液体金属が動きを止めて地面に落下し、呆気なく霧散する。

 すると、その光景を見た鉤刃持ちの男以外の全員が逃げ出し始めた。

 男は「付き合いきれない」とばかりに全力で遠ざかる仲間を呼び止めるが、その声は無情にこだまするばかり。


 その隙に俺は地面に置かれたままの心眼のところまで走り、それに反応した男の手と刹那の差で掴み奪い返す。

 袋を取り払い鞘から刀を抜き放ち、三人は三角形に展開して男を取り囲んだ。


「ふっざけ....ふざけんなよ!!こんな女がいるなんて、情報と違うじゃねぇか!!」

「やってやる...!俺はあんな腑抜け共とは違う、エリートなんだァア!!」


 雄叫びを上げながら男は俺に猛然と突進、二つの刃を合わせて振り下ろす。

 それに合わせ"心眼"の刃を

 同時に刀身に刻まれた紋様が輝き始め、刃同士が接触したその瞬間。

 輝きが刃文に収束して弾け、男の鉤刃がドロドロに溶けた。


「バッ...カな...!!」


 お前らなんかとじゃ、背負っているものの格が違う。

 金目的で他者の命を脅かす?大いに結構。

 自信を糧に高みを目指す?勝手にやれ。

 だが何よりも、俺達特事課にとって何よりも許しがたいのは、それらの目的のために人ならざる力に手を染めたことだ。


 そんな存在を専門にした人間であると知った上で襲撃を敢行したのなら、愚行だったな。

 だが俺の口をついて出ていたのは、勝ち誇った決め台詞でもなく戒めの叱咤でもなく。


「........ごめんな。」


 袈裟斬りに振り下ろした刃が、男の胴体に致命的な傷を与えた。

 涙と血、涎でぐしゃぐしゃになった顔を歪ませながらも、男は未だ欲にまみれていた。

 今更叶いようもない願いを自身の死所たるアスファルトの地面で這いずり吐き出しながら、男は死んでいく。


 同時に、今まで得てきた覚悟は勢いによるものでしかないと知った。

 真っ二つにした廃工場の魔術師も、首を蹴り折った石動も、無意識の内に殺した六人の警官でさえもきっとそうだ。


 この鍔鳴りは心眼そのもののせいじゃない。

 俺の、手の震えだ。

 こんな人間にも家族がいて、過去があって、例えどのような形でも信念があったはず。

 俺はそれを、単なる所有品を取り返すためだけにこの手で無に帰した。

 そう考えるだけで震えが止まらない。思考を巡る余計な雑念を止められない。


 これが人間性なのだろうか。これが人間の、さがなのだろうか。

 "死神"で在り続けるためには捨てなくてはならない邪魔なモノ。

 だから、だからといって。


「簡単に捨てちまって....どうすんだ....!?」

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