第26話 キリングタイム

 隣同士になった客室の前でドレイクは思い出したように立ち止まり、腕時計を一瞥する。

 すると、なにか良いことでも思い付いたかのように歯を見せた笑顔を浮かべて、ある提案をした。


「夜まで時間あるんだからさ、お前らショッピングでも行ってこいよ!」



 ...というわけで俺と智歩は現在、ドレイクにキャッシュカードを渡されてミラノの街をブラブラと歩いている。

 麗は来なかった。眠気に負けたようで、客室のベッドで爆睡中である。

 ドレイクも任務で使用するドローンの組み立てと動作確認を行うため、今は宿にいる。


 智歩は珍しくゲーム機を持ってきていない。

 街道、左右の店に広がる豪華絢爛の品々が並ぶショーケースにきょろきょろ目移りしている。

 このカードにどれだけの額が入っているのか知らないが、今ガラスに手をついて食い入るように見ている高そうな洋服類はやめておいた方が良さそうだ。


 それにしても意外だ。

 インドア趣味ばかりに興味を示すと思っていたが、年相応なところもあるんだな。

 距離を離すとその度小走りでついてくる。

 俺は特に欲しいものはないし、申し訳ないのでなにかを買うつもりもない。


 すると、智歩は時計店の前で再び立ち止まる。

 注目している台座に飾られた銀の腕時計は、線の細いデザインでありながらも装飾が控えめ、普段使いも出来そうなシックな品だった。

 掲示された値段もそれほどでなく、これなら気兼ねなく与えることが出来そうだ。


「...それ、欲しいのか?」


 俺の言葉に、智歩は丸い目をぱちぱちしながら強く頷く。

 俺はクレジットカードを手にアンティークのドアをくぐった。


 中はいかにも老舗店といったような内装で、ゆったりと落ち着きのあるジャズミュージックが流れている。

 カウンターの奥で、椅子に腰かけた老父が新聞を読みながら出迎えてくれた。


 通訳を務めていたドレイクがいないため、なんとかボディランゲージと拙い英語で銀時計を指定し、購入。

 勧められ、中身がわかっているというのにラッピングまでしてしまった。


 店を出て、きらびやかな包装紙に包まれた箱を渡すと、智歩は結ばれたリボンを解かずに微笑んでそれを手にしたまま見つめていた。


「開けないの?袋。」


「...うん。戻ってから開ける。」


 少し恥ずかしそうに箱を抱きながら、頬を染めて答える。

 喜んでいるならそれでいい。

 ただ今はどうか、その時計と共に無事に帰れることを願うばかりだ。


 過ったそんなささやかな祈りを踏みにじるように、どこからか悲鳴が響く。

 俺はホルスターに差した拳銃の安全装置を切り、声の方向を探りつつ歩き始める。

 ついてこようとする智歩を、俺は止めた。


 なにか嫌な予感がする。

 課の一員とはいえ、こんな少女を巻き込むのは出来る限り避けたいんだ。


「智歩、先に宿に戻ってくれ。」


「.....わたしも行く。」


「駄目だ。もし何かあれば、二人同時に人員が欠けることになる。」

「戻ってドレイクに報告するんだ。いいな?」


「.......わかった。」


 慣れない笑顔を投げ返し、俺は智歩と別れて、迷わないようルートを記憶しながらミラノの街道を走る。

 徐々に拡大していくざわめきを頼りにして、遂に裏路地の前にできた人だかりを発見した。


 隙間を進んでいくと、視界には飛び散った赤色が混じり始める。

 察することが容易になり、それに驚きもしない自分に戦慄する。

 薄暗く細い路の真ん中に死体が転がっていた。


 全身を刃物かなにかでズタズタに切りつけられているようで、かなり広い範囲に血痕が付着している。

 それに、単に刃物というにはあまりに傷が深く刻まれているようだ。


 怨恨が源の殺害なのか肉を裂いている傷の数も多く、なにより両脚が輪切りにされている点に目がいった。

 ナイフなんかじゃこんな芸当はできるはずもないだろう。

 現場を一通り確認し、俺は人だかりから離れてドレイクに電話をかける。


 すると、1コールも経たずに応答があった。


「もしもし。」


『もしもし、ソウ。チホがダッシュで戻ってきたが、何かあったか?』

『あたふたするばっかりで要領を得ねェんだ。説明してくれるか。』


 俺は確認した情報を出来るだけ細かく、現時点での考察も含めて話した。

 途中、すれ違うサイレンの音を拾ったのか、ドレイクは話を一旦打ち切りすぐ戻ってくるように言った。

 考えることは同じ。悪目立ちをすると面倒なことになる。


 宿へ戻り、速やかにドレイクのいる部屋で合流する。

 ベッドに座った智歩が戻ってきた俺を見て胸を撫で下ろす。

 傍らに置かれた腕時計の箱は、まだ封が切られていない。


 俺とドレイクは、飛び込んでくるように発生したこの事件について互いの意見を交換した。

 とりあえずは「偶発的な殺人事件」であるとして、俺達との関係性はないだろうという結論に至った。


 しかし作戦行動開始までは宿から出ないようにして、一応の警戒状態は築く。

 装備は常時携帯。互いのカバーにすぐ向かえるように距離は置かない。


 食事はデリバリーサービスを利用する。

 予約していたらしいレストランが少しばかり楽しみだったが、キャンセルになった。

 ドレイクのドローンは数機の運用になるらしく、それぞれの組み立てに時間を要する。

 麗はドレイクと同じ部屋で待機、俺も智歩と共に現在部屋にいる。


 智歩は箱から出した腕時計を着けて、満足げに眺めている。

 そちらを見ると背中に腕を隠してしまうので、俺はずっとスマホの画面から視線を移さないようにしていた。


 なにもしない時間がただ過ぎていく。

 しかし嫌気がその先に待っている時、安らぎは長続きしないものだ。

 やがて話に聞いていたオークションの開催時間が近づいてくる。

 ドレイクが部屋の扉を開けて、任務開始の宣言をした。


 麗はパリッとした漆黒のタキシードに着替えており、舞踏会に用いるマスカラを持っていた。

 オークションにはドレスコードが存在し、参加者は互いに仮面で素顔を隠す。

 着慣れないタキシードに落ち着かない様子を見せている。


 しかし「レイジングブル」のシルエットが、それを収納した内ポケットから浮き出ていた。

 背中を曲げてなんとか誤魔化せるか、といった具合だ。

 だからそんな馬鹿でかい銃は不向きだと言ってるじゃないか。

 会場内が、暗い場所であることに期待しよう。


 俺達は装備を全て整えて、宿を出発した。

 目的地へ近づくごとに、街並みがどんどん都会的になっていく。

 そして、件の高層ビルの前に辿り着いた。

 俺は取り出した四機のドローンを地面に設置し、ドレイクにインカムで通話を繋ぐ。


「こちら柴崎。偵察ドローン"蜂鳥コルブリス"、四機とも準備完了。」


『こちらマクレイン。了解した。偵察を開始する。ウララは会場へ、残り二人は裏口手前で待機だ。』


「「了解。」」


 ドローンの羽が駆動を始め、身軽に空中に浮き上がり通気口からビル内へ入っていく。

 一機は配電盤へのルート偵察、残りは会場でホバリングさせてカメラを通じ各ポイントを監視する振り分けになっている。


 俺と智歩は、裏口に通じるハッチを開き、ついてきていた"蜂鳥コルブリス"の一機を中へ入れる。

 しばらくルートを調べ、警備が二人配置されていることを把握、配電盤を発見したそうだ。


『こちらマクレイン。二人、準備はいいか?』


「こちら柴崎。スタンバイOK。」


『ウララはどうだ、入場は?』


『問題ナシ。ヨユーで潜入成功...現在端っこの方で待機中...見える?』


『ああ、確認した。決まってるぜ。』

『報告了解。では全員へ、健闘を祈る。オーバー。』


 忍び足で裏口のハッチから梯子を下りていく。

 埃が溜まり、やたらと薄暗い地下エリアに下り立った。

 俺達は同時に拳銃を取り出して、銃口マズル消音器サプレッサーを装着する。


 物音を絶対に立てないように、衣擦れにも細心の注意を払いながら廊下を進んでいくと、警備員らしい談笑する声が聞こえてきた。

 呑気なものだ。これから、最悪な出来事が訪れるとも知らずに。


 曲がり角の奥にある電気室の前に、ライフルを持った警備員が二人立っている。

 俺は智歩に合図を出し、左右それぞれの警備員に照準を合わせた。


 レディ、ゴー。


 乾いた数度の発砲音。

 警備員たちは断末魔を上げる間も無く、コンクリートの床に倒れ伏した。

 命を奪う感覚。この側に立つのは、何度経験しても慣れないものだ。


 落下した薬莢を回収し、亡骸を跨いで越え、それらのベルトに引っ掛けられた鍵束から合うものを探し当てて電気室へ入る。

 これだけ大きなビルの電力を制御しているのだ、配電盤はかなりの数があった。

 だがそんなことは知っている。爆薬の量は智歩が合わせて調節した。


 リュックから取り出し等間隔に、リモート制御された爆薬を智歩が設置していく。

 俺には取り扱うことが出来ない。

 ただ見守っていると、最後の一つを設置した智歩は振り返り、俺に向けてサムズアップをして見せた。


「...こちら柴崎。爆薬を配電盤に設置完了。地下室を脱し、会場上部のキャットウォークへ移動する。」


『こちらマクレイン。了解だ。Niceな手際だったぜ、二人とも。オーバー。』


 俺達は、固まり始めた血飛沫の痕を尻目に地下室から出ていく。

 これぐらいでメンタルをやられていたら、特事課こんなところに身を置くことなんてできない。


 行こう。任務を遂行するために、俺達はここにいるんだから。

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