第23話 最初で最後

「もしもし。はいはい、えっ。場所は?」

「了解。すぐ行きます。」


 着信は、橘課長からの出動指示。

 某デパート屋上遊園地にて、ローブを着込んだ不審人物が複数人現れ近くにいた民間人を殺害、現在はそのまま立てこもっているとのこと。


 廊下を走りながら、俺は考えた。

 現場に向かうのはいい。直近にいるのが俺達だから仕方がない。

 だが今はまったくの丸腰だ。

 しかし俺の迷いを察したのか、稲葉さんはホルスターから自身の拳銃を片方抜いて渡した。


「貸してあげる!お守り程度にはなると思うから、持ってなさい!」


「で、でも俺まだ人なんて...!」


「いーから!連中は私が片付ける!たかがカルト数人なんて、一挺で足りるよ!」

「いい機会なんだし、見学しな!」


 よく思い返せば、この部署は対オカルト専門。

 ならば自然と、相手取る組織がカルトの類いへ寄っていってしまうのは当然だ。

 必ず俺にも、引き金を引かなくてはならない場面がやってきてしまうだろう。


 もしかしたらそれは今から訪れるのかもしれない。

 そう考えていると、高鳴る心臓、ポップアップ広告のように次々と浮かび上がる恐怖心が止まらない。

 そんな気持ちを抑え込みながら、俺達はハイエースに乗り込んだ。


 そして車を走らせること十分。

 封鎖線が張られたデパート前へ到着、稲葉さんは警察手帳を取り出す。

 応対をする刑事は、顔を嫌悪にしかめさせながら俺達の異名を口にした。


「.....やっと死神が来たか。奴らなら上だ、とっとと片付けてくれ。」

「柴崎ィー...オメーも落ちぶれたもんだなぁオイ。まったく、ハズいったらありゃしねえ。」


「.......そうですか。」


 言い方は間違っていると思うが、この刑事は確かに真実を告げている。

 思わず目を細め、睨むような視線で刑事を見てしまった。


「んな目で見んなよ。みーんな、お前なんか仲間だなんて思っちゃいねー...ッ!?」


 刑事が小さく呻き、言葉を詰まらせる。

 稲葉さんが、抜いた拳銃を刑事の顎に突き付けていた。

 見開いた瞳は鋭く、死神と言うにはあまりに凶暴で酷く冷たい。

 獲物を本能のままに狩る猛禽、あるいは血肉を食らう獣の眼をしていた。


「次なんか言ったら、本当に死神がここに降り立つことになるよ。」

「役立たずは道を開けなさい。」


 喉元に牙を食い込ませられたかのように、その言葉と凶器に刑事は無様に尻餅をついた。

 俺達はそれを尻目にデパートの中を走り、屋上への階段を駆け上がっていく。


 あの行動はなんだったんだろう。

 俺を思っての行動と考えるのは、自意識過剰になる。きっと。


「稲葉さん、なんであんな...!」


「気に食わなかったの~!ああいうヤツ、柴崎くんはムカついたりしない!?」


「そりゃあ、そうですけど...」


「だったら撃っちゃいなよ!スッキリするよ~きっと!ははは!」


 冗談であってほしい発言。

 警察組織内の団体でありながら、それを大きく逸脱したやり方に毎度驚かされてばかりだ。

 息が切れるまで階段を上り、関係者以外立入禁止の看板を蹴っ飛ばしながら現場へ向かう。


 屋上の扉の前で止まり、拳銃を手にしゃがみ「静かに」のジェスチャーをする稲葉さん。

 俺は頷き、ゆっくりと慎重に、開かれた扉の向こうへ歩いていく。


 転々と遊具に身を隠しながら進むと、報告の通りに深紅のローブを纏った人物が数人、床に描かれた魔方陣のようなものを囲みブツブツとなにかを唱えている。


 さらにその手前には一人二人、見張りだろうか。ライフルを携えた者がいた。

 稲葉さんは、囁き声で俺に指示を出す。


「私がやる。ここで隠れてて。」


 そう告げると、稲葉さんは物陰から飛び出す。

 そして銃口を向け、流れるような動作で武装している者のみを排除した。

 飛び散る血潮と銃声の残響が、どこか物悲しく殺伐とした戦場と化した遊園地を彩る。


「警視庁公安部、特殊事象対策課、稲葉 郁梨だ!お前ら全員神妙にしろ!」


 魔方陣を取り囲んでいた者は、突如現れた闖入者ちんにゅうしゃに驚き、呪文の詠唱を途切れさせた。

 すると、魔方陣に変容が表れる。

 白いチョークで描かれたそれは泥のように色がくすんでいき、蚯蚓みみずのようにうねり始めた。


「稲葉さん!何か変だ、こっちへ!!」


 俺の叫びを聞き、稲葉さんは迷わず踵を返して走り、元いた物陰へ滑り込む。

 魔方陣が瓦解し、形を失っていく様子にローブ姿の人間たちはうろたえ、必死に同じ呪文を唱えようとしていた。


 それでも変化は止まらない。

 さらに加え、シューシューと、なにかが潰れたような湿ったものがのたうつ音が耳に届く。

 その嫌悪感を抱かせる音色を合図に、"それ"が現れた。


 歪んだ魔方陣の中心から捻り出すように、おぞましい、剥き出しの内臓と目玉が膨れ上がったかのような身体を震わせながらそれは全貌を見せていく。

 そして、目の前で身動きが取れなくなった犠牲者たちに対し容赦のない虐殺を開始した。


 嫌らしく、辺りの遊具を巻き込みながらその身体を引きずり、内臓のような触手で手当たり次第に貪り食い、押し潰していく。

 瞬く間に、その場に真っ赤な水溜まりがいくつも出来上がった。


 俺はそれを見た瞬間、頭に大きな雷が落ちたような感覚になった。

 思考回路が著しくショートし、自身を取り巻く何もかもを怠けたくなってくる。

 稲葉さんは、じっと化け物の様子を見ていた。

 俺はといえば、ただその場にへたり込んだまま、目の前に広がる破壊の様をただ呆然と眺めているだけ。


 そして小さく一つ笑うと、稲葉さんは呑気にも俺に話しかけた。


「....ねえ、私が死んだらさ。」

「あの家、柴崎くんが住んじゃっていいから。好きに使っていいよ。」

「へへ、片付けは大変だろうけどさ。」


 なにを縁起でもないことを言うんだ。

 あんなもの、たった二人で対処できるわけがない。

 今にもこの遊園地全体を飲み込もうとしているあれから、逃げなくては。

 稲葉さんは、焦った俺が肩を掴む手を下ろし俺の両頬に優しく手を添えた。


 そして、強引に口づけをする。

 時間が止まったかのように感じられる、柔く蕩けるような深い、深いキス。

 互いの唇に渡された涎の糸が、少しの余韻を残してぷつりと切れた。


 さらにもう一度。

 もはやあの化け物なんて眼中にないくらいに、俺は初めて体験する、たった数秒間の時に酔いしれた。

 ぷはっ、と息を吸い込んだ。


「"正確性と瞬発力"!我ながらよく言ったもんだわ~。」

「ついにしちゃったぜ~。あはは、油断大敵だねぇ、新米ルーキーくん。」


 こんな状況で、俺達は一体何をやっている。

 整理が追いつかず、言葉が出てこない。

 稲葉さんは目の前で拳銃を操作し、荒くなった呼吸を整えている。


 言葉を俺に投げ掛け、立ち上がる。

 これからもたらされる、最悪の結末を詠うような言葉が、足跡のように置き去りにされる。


 待ってくれ、「思い残すことはない」ってなんだ。

 待ってくれ、「久しぶりだった」ってなんだ。

 頼むから、頼むから待ってくれ。

 言葉が出ないだけなんだ、身体が動かないだけなんだ。

 ほんの少しだけでいい、立ち止まってくれ。


 教えてくれ。

「君だけでも逃げて」って。

 一体どういう意味なんだ。




「────稲葉さぁぁぁああああんッ!!!」




 ようやく俺が絞り出した絶叫も、もう届かない場所にいた。

 猛然と突進する死神が、弾丸を放ちながら無謀にも生きた腫瘍の塊に勝負を挑む。

 一発銃声が轟くごとに、ライフラインの綱がほどかれていくよう。


 無情にも最後の薬莢が落下し、その身体が空中へ、高々と掴み上げられる。

 容赦があるはずもない、あれは化け物だ。

 身体中のありとあらゆる開口部へ、無数の触手が侵入していく。


 壊れかけた人形のようにもたげられた首が、こちらを向いた。

 外れてしまった顎にも際限なく詰め込まれる、膨れた肉の塊を口から垂らして、涙を流す。



 笑った?

 なにかを言ったような、そんな気がした。

 それを最後に、彼女の身体はになった。


 まるで縫い包みを内側から引っくり返したように、鮮やかな血飛沫と千切れ飛ぶ内臓、剥き出しになった筋組織の落ちる水音が。

 ファンファーレの如くこの凄惨なる、なんともあっけのない死を祝福した。


「あ....ぁああぁ...」


 呆けたように漏れる声を、食い縛った歯で固く塞ぐ。

 唇を噛み切って、血が吹き出す。

 痛い?まさか。馬鹿を言え。

 目の前で物言わぬ肉塊に変えられた、俺にささやかな幸せを分け与えてくれた。


 この女性ヒトの痛みに比べれば、そんなものは蚊の刺すほどにも矮小だ。

 結果は関係ない。

 殺す。コイツを殺してやる。


 俺が死のうが生きようが、この精神は必ず合点のいく答えを示してくれるはずだ。

 たとえ同じ目に遭ったって、恨まない。

 一歩踏み出し、目の前で酸鼻をきわめる肉体をくねらせる化け物へ銃口を向けた。



 俺は、借りたものを、まだ返せていないんだ。

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