第22話 得物

 スペースの余ったベッドの上で目を覚ます。

 テーブルの照明は消されているし、隣には誰もいない。

 代わりに向こうのキッチンから、なにかを焼く音と香ばしい匂いがした。


 二日酔いだ。

 ガンガンと痛む頭を押さえて、目を擦りながら居間へ歩いていく。

 散らかったキッチンに立ち、稲葉さんがフライパンで料理をしていた。


「あ、起きた?軽~く朝ごはん作ってるから、ちょ~っと待っててよ~?」


 夢じゃなかった。

 正夢の中で俺を惑わせた扇情的な姿は、互いに酔いが冷めた今でもそこにあった。

 別居中らしい旦那さんが羨ましいとさえ思ってしまった。


「冷蔵庫に食材なんもなくてさ~?いっそいで買いに行ったよ~。」


「....その格好で?」


「うん。ホント朝方だから、ジャージの下だけ履いて行ったー。」


 それじゃあなぜ今それを履いてないのか。

 頭に浮かんだこの質問を起き抜けにするのは、さすがに自分でも気持ちが悪い。

 テーブルの上にずらりと並んだ缶を端に寄せ、皿を置くための空白を作る。

 すると、生卵を手に稲葉さんが質問する。


「柴崎く~ん。目玉焼きと卵焼き、どっちがい~い?」


「どっちならできるんですか?」


「........目玉焼きデス。」


「....じゃ、それでお願いします。」


 シンクの縁で割られた卵が、熱されたフライパンの中へ落とされる。

 最初こそ好調だったものの、キッチンからは疑問符のついた短い言葉が山ほどこちらに流れてきた。


 そして、皿が目の前に置かれる。

 乗っているのは焦げかけのベーコンと、なぜかぐちゃぐちゃになった目玉焼き。

 照れくさそうに笑いながら、稲葉さんは袋に入ったカレーパンを手渡した。


「えへへ~~、やべぇわ私。目玉焼きの作り方忘れちった。」


「...一体、何年料理してないんです?」


「十年は超えてるかな~?ま、味は普通なんじゃない?とりあえず食べよーよ。」


「はい...いただきます。」


 そう言う通り、味はごく普通だった。

 むしろベーコンはカリカリしていてこっちの方が良くできているんじゃないかと思う。

 カレーパンは言わずもがな、どこにでも売ってるような味だ。


 ずっと朝食を抜いた生活を送ってきたせいか、体が違和感を覚えている。

 たったこれだけでも胃もたれしそうだ。

 課の実態、その一端を目撃しただけでなく、鑑識時代の残業三昧。

 知らない内に蓄積されたストレスと、自分のメンタルの弱さに気づかされた。


「ごちそーさま~。」


「...ごちそうさまでした。」


 稲葉さんはシンクに食べ終わった皿を突っ込むと、別室へ移っていった。

 俺は気を引き締める意味で、借りていたYシャツのボタンを閉める。


 すると、昨日と同じスーツに着替えた稲葉さんが出てくる。

 今日は何か任務でもあるのだろうか。


「柴崎くん、本部行くよ~。」


「...はあ。早速なにか仕事ですか?」


「君が用意しとかないといけないものがあるからさ~。楽しみにしときたまえ。」


 説明もなしに、俺はハイエースの助手席に座らされた。

 本部への道を走っていく。

 昨日はこんな道を通ってきたのか。

 ずっと下を向いていたのでわからなかった。


 警視庁本部に到着すると、稲葉さんは事務室へ向かうのではなく地下への階段を降りていく。

 やがて無機質な廊下が現れ、右の壁にある一室の扉のカードキーを解除、稲葉さんが先に中へ入った。

 ニヤニヤしながらこちらに手招きをしている。


 恐る恐る覗くと、俺は驚愕した。

 壁のラックを埋め尽くす、武器、武器、武器。

 ナイフや日本刀、拳銃、狙撃銃までありとあらゆるウエポンが選り取り見取りである。


「スゲエっしょ?特事専用の武器庫なんだ。」


 眼前に広がる圧倒的な物量に、俺はただ絶句するしかなかった。

 すると、棚の上に並べられた複数のアタッシュケースに稲葉さんが近づく。

 全てのアタッシュケースには名前が刻まれていて、それは全て課員の名と一致していた。


 稲葉さんは自分のアタッシュケースを取ると、ロックを解除して中身を見せてくれた。


「私はこれ使ってんの。ベレッタ90-Two。」

「カッコイイでしょ~?」


 保護スポンジの上に背中合わせに並べられた二挺の拳銃。

 シルエットはおおよそゲームや映画なんかで見覚えのあるようなものだが、よく見てみれば細部が異なっている。


「よく当たるし、銃把グリップがチョー握りやすくて最高なの。」

「私のは40口径モデル。9mmのもあるけど、ちょっと撃ってみる?」


 俺はこの提案を受け入れた。

 特事課ここに所属しているからには、いつかはこのような武器を使わなくてはいけない時が来る。

 訓練しておいて損はないはずだ。


「....やります。」


「イイね。それじゃ、隣行こう!」


 武器庫を出て、さらに隣の部屋へ入る。

 そこは広々とした射撃場シューティングレンジになっていた。

 円形の的が書かれた紙をはじめ、マネキンのような形をした立体的な的も設置されている。

 まったく、至れり尽くせりだ。


「20メートルに設定するね。とりあえず最初は思うように撃ってみるといいよ~。」


 吊るされた紙の的が動き、床に描かれた20mの目盛りに合わされた位置へ移動する。

 稲葉さんが、弾の込められた弾倉マガジンと防音イヤーマフを俺に手渡した。


 弾倉マガジンを下から挿し込み、遊底スライドを引き、安全装置セーフティを解除する。

 子供の頃エアガンで遊んだ記憶が、こんな時になってありありと甦ってきた。

 溝に指を沿わせ、両腕を正面に真っ直ぐ突き出すスタンスで構える。


 じっとりと手にかいた汗を吹き飛ばすように、トリガーを引いた。

 乾いた音と共に、弾丸は的を貫く。

 一発、また一発と、狙い直すほんの少しの間を設けながら空になった薬莢は床へ落下する。


 あっという間に装填された17発を撃ち終え、稲葉さんの操作するリモコンによって穴だらけになった的がこちらに近づく。


 自分でも驚きだが、弾はおよそ中心に集中していた。

 真ん中にある10点を中心に、外側へ広がるごとに下がっていく点数だが、7点を下回る位置には一発も当たっていない。


「え、柴崎くん上手くな~い?ひょっとしてやってたでしょ~。」


「...俺鑑識ですよ。銃なんて持ったことすらないですよ...」


「スジ超良いんだから~。もっと誇れ誇れ!」

「それじゃ、今度は照準する間を置かないで一気に連射してみて。」


「....了解。」


 取り替えたペーパーターゲットが再び20mの位置へと戻っていく。

 俺は少し足を引き重心を落として、反動に備える姿勢を取った。

 連続してトリガーを引くと、銃口が意思に反して上へ上へと持っていかれる。

 必死に中心を狙おうとするが、なかなか上手くいかない。


 全弾を撃ち終えて、こちらに寄ってきた的は散々なものだった。

 最初の一発以外、ほとんどが真ん中を外れて当たっている。

 穴を数えてみると、17に満たない。

 そもそも当たってすらいない弾もあるようだ。


「...全然ダメだ。」


「撃ちたてなんだから、ダメで当たり前だよ。私が言いたいのは"正確性と瞬発力の両立"。」

「実戦でいちいち最初みたいに悠長に狙ってたら、すぐに殺されちゃうからね。」


「じゃあ、俺は何をすれば...」


「基本の反復練習だね。ホルスターから銃抜いて、最初の二、三発で確実に狙った場所に弾を当てる練習だよ。」

「ちょっといい?」


 稲葉さんは自分の二挺拳銃に弾を込めて腰の両側にあるホルスターに差すと、25m先にある人型の的の前に立った。


「見ててね~。」


 その姿は一見して、普通に背筋を伸ばして立っているようにしか見えない。

 しかし稲葉さんがヒュッと息を吸った次の瞬間、淀みのない軌道を描いた両手がホルスターから拳銃を抜き放ち、六つの閃光と轟音が空間を一瞬にして駆け抜けた。


 床のレールをスライドして的が近づく。

 木製のフレームを貫通した弾丸は、頭や喉、心臓など、急所のみに命中していた。

 しかも、見た目が良いだけで狙いは散漫でしかないと評判の二挺拳銃でだ。


「ど~よぉ♪」


 当然とまでに腰に手を当て、得意気な表情をする姿に、俺は察せざるを得なかった。

 残酷なまでに広がった、雲泥の差を。

 "悠長に狙った"、ちょっぴりよく当たっただけの射撃でイイ気になっていた自分が恥ずかしくて仕方がない。


「ちょっと大人気なかったかな?ごめんね。」

「とにかく大事なのは、銃口の跳ね上がり。すなわちマズルジャンプの制御と、すぐに急所に狙いをつけられる瞬発力なんだよね~。」


 簡単に言ってくれるな、俺は拳銃なんて今し方初めて握ったばっかりなんだ。

 用語すらも理解するのにワンテンポかかる有り様だ。

 訓練すれば簡単に出来るようになると笑う稲葉さんだが、特事にはこんなのがゴロゴロいるのか?これが当たり前なのか?


 間に合わせの理解力を総動員しても無駄だ。

 思考を掻っ切るスマホのコール音が、俺の耳を無作法にノックした。

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