第20話 フィーバー
ジョッキをぐいっと呷り、ウーロンハイを中程まで一気に飲む。
アルコールが喉を流れ落ち、鼻腔へその風味が駆け抜けていく感覚。
お通しの漬物をつまんで、さらにもう一口。
店で酒を飲むのは久しぶりだった。
家で飲むことはしょっちゅうだが、ボーッと面白くもない深夜テレビを眺めながらコンビニで買ったホットスナックをつまみに缶チューハイを啜るという、至極退廃的なもの。
こうして誰かと飲む気分なんて、ずっと忘れていた。
横を見ると、皿に盛られた大量の唐揚げを冷水さんと麗が貪り合っていて、自分のテリトリーに勝手にレモンをかける攻撃を受けた麗が騒いでいる。
少女はというと、自分に運ばれたオレンジジュースのグラスを両手で持ったままちびちびと飲んでいた。
その視線は一体どこに向いているのか。
座って虚空を見つめたまま、なにかを話す様子もない。
ほどよく回り始めた酔いに任せて、俺は少女に話しかけてみることにした。
あの日の歓迎会でもそうだった。
どうにも居心地が悪かった。
「...なあ。」
軽く声をかけると、少女は少し驚いたようにグラスの氷を鳴らしつつこちらを向いた。
ずっと羽織っていた俺のジャケットの肩口を、惜しそうに痩せた片手で握りシワを作っている。
返せと言うとでも思ってるんだろう。
二の言を迷っている俺に、少女は言う。
「......これ、返す。」
「......後で、返すから...もうちょっとだけ...」
「....いや、それはあげるよ。ただ名前を聞きたかったんだ。」
「......そう。わたし、古木屋 智歩。」
「俺は柴崎 宗太郎。よろしく。」
「ソータロー....覚えた。」
俺の差し出した手を、智歩が小さく握り返す。
酒が回って火照り出した俺の手と対照になっていたのか、グラスを持っていた智歩の手はとても、冷たく感じられた。
すると、智歩はそのまま俺の手を引っ張り、手元へ手繰り寄せる。
そしてその手をゆっくりと、マッサージし始めた。
凝りをほぐすには物足りない弱々しいものだ。
グラスがもたらした冷えを溶かすように、俺と智歩の体温、温もりがじわりと混ざり合う。
するとその手を、割り込んできた冷水さんが引き離す。
著しい頬の紅潮が見て取れる。
早くも、かなり酔っ払っているようだ。
「な~にイチャイチャしてんのよ~ッ!!」
「若いヤツらばっかりアタシを置いていってさ~!?当てつけのつもりなんでしょ~!」
「あぁあぁちょっと!イイトコなんだから邪魔しちゃあマズイッスよ!」
「アンタま~だ独り身なんだからさァ、みっともなく僻むようなことは....」
フラフラと歩きながら絡んでくる冷水さんを羽交い締めにしようとした麗が、脇腹に鋭い肘鉄を食らう。
声にならない声を喉から絞り出しながら畳の床に麗が倒れ込む。
そのネクタイを掴みながら、冷水さんは麗の顔面目掛けてレモン汁を振り掛ける。
「うッぎゃァァアア!?目ェ!目ェにブッかけやがったこの行き遅れ女ァァ!!」
「ま、だ、行き遅れじゃ、ねェ!!」
そのまま激痛に悶える麗を馬乗りになりながらぐわんぐわんと揺さぶり、口へ唐揚げを次々と詰め込む。
とうに慣れたものなのだろう、俺と智歩以外の三人はこの状況を笑って見ていた。
「すッげェ!味全然わかんねェ!!というか早く降りて!?重いんスけど!」
「だ~れがデブで重たいってェ!?ああ!?」
「んなコト言ってねーし!!」
一頻り取っ組み合いが続いた後、冷水さんはジョッキを数杯空にし、横になったかと思うと寝息を立て始めた。
麗は残った唐揚げをおかずに、注文したチャーハンをかきこんでいる。
それを烏龍茶で流し込んだところへ、豪勢な器に盛られたパフェが運ばれてくる。
「うっひょ~来たぜ来たぜェ!こん為に来たようなもんだ!」
スプーンを取り、その手によって甘ったるい具材の数々が混ぜ合わされていく。
コーンフレークが砕けるザクザクという小気味いい音と、ストロベリーソースの甘酸っぱい香りが辺りに充満する。
麗は中から持ち上げたマーブル模様の塊を幸せそうに頬張った。
「うめェ~~!課長イイ店選んだッスねェ。」
「今度から歓迎会ココでやりません?」
「そうだなァ....いいかもな。」
「へっへ~、じゃ、チョコパフェは次に取っときますわ。」
「次、か。できれば来なければいいな。」
橘の言葉に、麗はパフェを食べる手を一瞬だけ止めた。
その次とは、人員欠如の穴埋め。
俺が引き抜かれた理由も、大方そんなところだろう。
再び叩きつけられる、この課が持つ本質。
人死になんて、この寂しそうな顔をしながら泡の消えたビールを飲む男は、いくらでも見てきたのだろう。
居たたまれなさそうに、麗はパフェを一気に口へ放り込み、アイスクリームの頭痛に呻く。
「...いい時間だ、そろそろ出よう。」
「水上、そこの酔っ払いを車まで運んでやれ。」
「...了解。」
水上さんが、すっかり寝こけている冷水さんの肩を担ぎ店を出ていく。
それに続き、支払いを済ませて退店。
歓迎会を終えた俺達はハイエースに乗り込み、素面の稲葉さんの運転で課員を自宅へ送り届けていく。
タワーマンションの一室やら三階建ての一軒家やら、帰る場所は様々だった。
智歩は水上さんが預かることになり、麗はずっと自分のベッドが取られることをゴネていた。
やがて車内には、俺と稲葉さんだけが残る。
稲葉さんはコンビニの駐車場に車を停めると、運転席から振り返って俺に手を合わせ願い出た。
「あのさぁ、私運転役で飲めなかったじゃん?そんでこれからウチで飲み直そうかなって思うんだけどぉ~...」
「...柴崎くん、付き合ってくんない?お願いっ!」
「...はい。」
俺がアルコールで微睡みかけていた頭を縦に振ると、稲葉さんは財布を手に店へ入っていった。
しばらくして戻ってきたその両手には、雑多なつまみが詰め込まれた袋と、酒の缶が大量に入っている袋をそれぞれ持っていた。
口角を吊り上げて歯を見せる、弾けるような笑いをバックミラーに映し、車は飛ばし気味に再び走り始めた。
たどり着いたのは、どこにでもあるような住宅街の中に佇む一軒の家。
広々とした庭がついていて、ボロボロになっているが手製だろうか、ブランコまであった。
靴を脱ぎ、中へ案内される。
「部屋いくつかあるけど、ほとんど物置だからさー。埃っぽいし、入らないでね。」
「...わかりました。」
「適当に座ってていいよ~。」
居間に通され、稲葉さんはつまみの入った袋をテーブルの上に放り、缶ビールやチューハイを冷蔵庫へ詰めていく。
袋を放った時、暗闇の中で空き缶が転がる音が聞こえた。
電灯が点けられると、やっぱり。
テーブルの上は空になったスナック菓子の袋や冷凍食品の空き容器、空き缶の山だった。
俺は、湿った綿が革の裂け目から覗くソファーに座った。
「ごめんね、散らかってて~。呼ぶつもりじゃなかったから片付けてなかったけど、気が変わっちゃったんだよね。」
袋に残った缶チューハイを俺に投げ渡しながら、稲葉さんは意気揚々とペッパービーフの封を切り隣にぼすっと座る。
呷る缶を持つ左手には、プラチナの環、その輝きがちらちらと見えていた。
「かぁ~っ、美味いっ!ホントはジョッキで飲みたかったなぁ~。」
「....稲葉さん、既婚者なんですか?」
「ん?そうだよ。訳あって今、旦那とは別居してるけどね~。」
「お陰で家事やらなくなっちゃって、この
稲葉さんはそう話しながら、かなりのハイペースでグビグビとビールを飲んでいく。
まるでなにか、苦く飲み込みがたい薬でも流し込んでいるかのようだ。
手掴みでつまみを食し、その度酒を飲み、美味い美味いと俺へ笑いかける。
不思議と俺まで、飲む手が進む。
酒がもたらす熱に浮かされたのか、タガが外れたように俺達はどんどん缶を開けた。
ゆっくりと夜が更けていく。
退廃的な飲み方も、悪くはないみたいだ。
酔いでぼやけた一過性の熱病は、まだ治りそうにない。
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