第19話 歓迎会

 俺は稲葉さんの運転するハイエースと、心中に積もっていく不安に揺られながら、どこかもわからない合流地点へ向かう。

 予約を完了した橘課長との会話を聞く限り、向こうには三人が待機しているらしい。


 やがてたどり着いたのは、人気のない郊外にある物々しい雰囲気を放つ雑居ビル。

 いかにも詐欺グループや諸々の犯罪組織がねぐらにしていそうな場所である。


「ん?もう終わってやがる、早ェな。」


 手前の縁石に座ってスマホをいじっていた白髪の青年がこちらに気づき手を振っている。

 その後ろに立っているスーツの女性、マスクをつけた男性、みすぼらしい服装をした少女。


 そして真っ先に気になったのは、例外なく全員が返り血を衣服につけていた点だ。

 特にスーツを着た女性はそれが顕著であるように思われる。


「あ、あれ血ですよね!?一体...」


「奴らの任務は、ここの一室を拠点にしてたカルトの撃滅だ。そりゃ返り血くらい浴びる。」


「ですね~。何人掃除したのかな。」


 まるでごく当たり前のことであるかのように目の前の状況を説明する二人。

 身の毛がよだち、背筋が凍る。

 上曰く、彼らが「殺人の免許」を得ているのは真実だったのだ。


 ドアが開き、"四人"がぞろぞろと鉄の臭いを漂わせ乗り込んでくる。


「...その子は?」


「現場で見つけたッス。何人か子供いましたけど、洗脳が浅かったのはこの子だけ~。」

「他はダメっすねぇ。ナイフやら銃やら振り回してきたんで、ハジきました。」


「引き剥がすまで、爆薬を工具で組み立てていました。おそらくは戦力にするため。」


「まったく、趣味悪いわね...課長ぉ~!血でベッタベタだから家まで送ってくれない?」


「....着替えなら積んでっから公衆トイレでも寄ってそれ着ろ。今からそいつの歓迎会だ。」


 今まで得てきた倫理とはなんだったのか。

 全ての常識が破綻した会話が次々と目の前で繰り広げられ、冷や汗が止まらない。


 着替えの条件にブー垂れている女性の膝から、少女が降りる。

 少女は俺の方に近づくと、みっともなく顔をひきつらせている俺をじっと見つめてくる。


 そして、か細い手を伸ばしたかと思うと、俺の額に走る一滴の汗を優しく拭き取った。


「あ、そーいえば新人クンじゃん?ヤッバ!懐かれてやんのウケる~!」


 意地の悪い甲高い笑い声を車内に響かせながら、女性は手を叩きこの状況を写真に収めようとスマホをこちらに向けた。

 シャッター音が聞こえても、俺はただ借りてきた猫のように身体を強張らせたまま座っていることしかできなかった。


「メチャ緊張してんじゃん!つーか、特事課ウチがどんなトコか聞いてないっしょ。」

「上の連中すーぐ濁すから、どうせ曖昧なことしか伝えられてないよね~わかる!」


 まったくもってその通り。

 俺が得ている情報といえば、ここはオカルト専門事件への対処専門部署で、国が秘密組織として設立した場所であるということ。

 そして、課員による殺人、およびあらゆる武器所持の許可。


 俺はそれらの話を全て、なにかの冗談だと思い込んでいた。

 しかし、瞳に映る冷たすぎる答えが俺の抱き続けた正義の概念をひび割れさせていく。


「あ~疲れた...早くビール飲みたい。アンタが入ってきて丁度良かったわ。」


「オレもハラ減った!ただ肉が食いてェ気分ッスわ今!」


 頭の中を整理する暇もなく、ハイエースは現場を発った。

 すれ違う無数のパトカーと救急車のサイレンが耳を裂くようにつんざく。


 俺はこれからこんな場所で働かないといけないのか。

 人を殺す覚悟?あるわけがない。

 鑑識をやってきて、人の死に直面することはなことはなかった。

 そうして俺には耐性がついたと考えていた。


 それは間違いだったんだ。

 命をる側に回るのが、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。


 公園内の公衆トイレ近くにハイエースが停まり、四人が後ろからボストンバッグをそれぞれ持ち出して中へ入っていく。

 呼吸が浅くなっている。

 今の今まで息を止めていたかのように、肩でぜえぜえと酸素を取り込む。


「大丈夫~?」


「最初のうちはこんなもんだ。すぐに慣れるだろうさ。」

「すぐにな...」


 物憂げに低くそう言いながら橘課長が煙草に火をつける。

 立ち込める紫煙に稲葉がむせ返り、運転席の窓を開けながら大きく手で煙を扇ぐ。


「ちょっと課長!車ん中でタバコ止めてくださいって言いましたよね!?」


「え~だって、禁煙席しかねェって言うから今のうち吸っときてェなって。」


「帰ってから吸えばいいでしょ!もう、いくら若い子の前だからって...」


 稲葉は煙草を素早く奪い取り、灰皿へ力任せに突っ込み呆れたように腕を組む。

 しょんぼりと肩をすくめ、ホルダーに入っていた缶コーヒーを一口飲む橘。

 そこへ、着替え終わった四人が再び乗り込む。


 しかし少女の分が想定されていなかったのか、煤汚れのようなものがついたTシャツを着たままだった。


「課長。洋服屋にも寄りましょう。集団の誘拐犯かなにかだと勘違いされてはかなわない。」


「あー...オッケー、近くには....」


 俺は、席から勢いよく立ち上がる。

 ずっと固まっていた反動か、身体が勝手に動いていた。

 スーツのジャケットを脱ぎ、軽く埃を手で払ってから少女に着せてやる。


 少女は無表情ながらも、満足げにブカブカに余った袖口を擦り合わせたり匂いを嗅いだりしていた。


「やっさし~い!なに、アンタひょっとしてロリコン?」


「....冷水。」


「マジでウケるんだけど!その子がこれからどうなるかも知らないくせに───」


「───冷水ッ!!」


 シートに座り腕を組んだまま静観していた男性が、声を張り上げて俺をからかい続ける「冷水」さんを怒鳴り付けた。

 マスクを取り払ったその顔には、痛々しい火傷の痕が走っていた。


「まだそうとは限らない。我々は、"命を守るために命を奪う"。早とちりはよせ。」

「...失礼。これから歓迎会、ましてや食事だというのに嫌なものを見せてしまった。」

「謝罪する、柴崎君。」


 男性はマスクをつけ直し、丁寧にも頭を下げて俺に謝った。

 一瞬びくりとし、冷水さんはブツブツと悪態をつきながら脚を組みシートに座り直す。


「ちょっとちょっと、ケンカはよしましょーよ二人とも~。あ、オレ麗 慧羅ってんだ。ヨロシクな。ほぼ同期だし、タメ口でいいぜ!」


「...この際だ、名乗っておこうか。水上 省吾だ。よろしく頼む。」


「チッ....冷水 美月。」


「....んじゃまあ、気分切り替えていこうや。行くぞ。」


 なにやら微妙な空気の中、俺達は再び動き出すハイエースに乗り、歓迎会の会場となる駅前の居酒屋に向かった。

 駐車場に到着すると、全員が身に付けていた武器を置き始める。


 続々と出てくる拳銃、短機関銃、大型ナイフ。

 一体どこと戦争をやるのかというほどの装備。

 硝煙の臭いが僅かに鼻に届く。

 もしかしたら、という希望は脆くも打ち砕かれてしまった。


 俺達は車を降り、入店する。


「六人で予約してた橘です。一人追加なんですけど、大丈夫ですか。」


 店員とのやり取りを済ませ、店内に響き渡るいらっしゃいませの声を背中に受け、小上がりの予約席へ座る。

 手渡されたメニューを開き、回し見しながら各々が好きな飲み物を注文していく。


「俺は...とりあえずビールだな。」


「アタシも生~♪︎あとたこわさ。」


「私は運転なので、コーラで!」


「俺は...赤ワインを。」


「オレは烏龍茶!あ、唐揚げあるじゃん!課長、イイッスか!皿で三十個のヤツ!」


「おう、食え食え。この子は...オレンジジュースでいいかなァー。」

「柴崎は何にする?」


 なんだか上手いように自分の飲みたいものが浮かんでこない。

 例のトラウマのせいではなく、さっき目撃した異様な光景によってなんとなく俺の行く末を察してしまったからだと思う。


「なんだ、遠慮することねェぞ。」


「運転私やるから、どんどん好きなの飲んじゃっていいよ~♪︎」


 だが今こそが、"飲まなきゃやってらんねえ"という状態なのかもしれない。

 アル中になりかけだった親父を見てきた俺に言わせれば、反吐が出るほど下らない思考。


 でも最早俺は社会人としての体裁や、人として持ってなくてはいけない、なにか大事なものをここにブチ込まれたことで失ったんだ。

 飲まなきゃ、やってらんねえ。


「...ウーロンハイ、お願いします。」


「了解。じゃー、以上で。」


 注文を取った店員が去っていく。

 すると橘課長は、俺にとある話を切り出した。


「ウチでは、課員はバディを組むことになってるんだけどな。」

「稲葉に柴崎のバディになってもらおう、と思ってたんだけど、なんか問題とかないか?」


「私は柴崎くんがよければ全然大丈夫ですー。ずっと私バディいなかったんで、むしろ嬉しいな~。」


「俺も、別にいいですけど...」


 バディというからにはおそらく、仕事上の付き合いのみになるだろう。

 俺は特に疑うことなく了承した。


「ありがとう。じゃ、近いうちに荷物まとめておけよ。」


「....えっ?荷物って...」


「バディ同士は一緒に住むことになってるの。上層部が勝手に決めたルールなんだけど、ちょっと面倒だよね~。」


 了承しなきゃよかった。

 殺人だけじゃなく詐欺のライセンスまで持ってるっていうのか。

 ...こんな皮肉が浮かぶ程度には、不思議と俺は落ち着いているらしい。


 そこへ注文した物が続々と運ばれてくる。


「来た来た。皆、グラス持てよ~。」

「それでは、柴崎 宗太郎くんの加入を祝いまして...」


 ええい、ままよ。

 俺はジョッキの取っ手を掴み、高々と掲げた。



「「「「「「乾杯!」」」」」」

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