第18話 新・人
ブリーフィングを終え、昼下がりのハイウェイを車で走る。
荷造りは済ませた。23時からのフライトまでしばらくは時間がある。
助手席でダッシュボードにだらしなく足を乗せた智歩が、バッテリーの切れたゲーム機を片手でプラプラさせながら退屈そうに窓を開け閉めしている。
どこかで時間を潰すのもいいが、とりあえずは家に帰らないといけない。
俺はアクセルを踏み込み、固く握ったハンドルを一瞥して一時の帰路へ急いだ。
駐車場に車を停め、うとうとし始めていた智歩をなんとか下ろす。
「ほら、今のうちにゲーム充電しとけ。」
俺の言葉にぴょこんと肩が跳ね、智歩は小走りで玄関へと走っていく。
鍵を開けてやると、迷わずに居間へダッシュしテレビに繋がったケーブルにゲーム機を繋ぎ、ソフトを起動する。
それを確認し、俺は自室へ向かった。
後ろ手に扉を閉め、閉め切った黒いカーテンを勢いよく開けると、舞った埃にちらちらと日光が反射する。
窓の外に広がる、誰かの日常を眺めて深呼吸をすると、自分がまるでただの一般人であるかのように錯覚させられる。
だがそれは違う。
俺はそれらから、大いに逸脱したことをするんだから。
デスクに向かい、引き出しからボールペンとコピー用紙を一枚取り出す。
「遺書」の表題で締め括り、書き連ねたごく普遍的な最期の言葉。
流れ落ちた涙滴でぐしゃぐしゃになってしまったそれを、封筒に仕舞い込む。
これを始めてから、多分もう一年になる。
俺は任務のあるないに関わらず、遺書を毎日書くことにしている。
書いた遺書は一日持ち歩いて、その日の終わりにもう一枚書き、前の一枚を燃やす。
書いていて、無意識に泣かなかったことなどなかった。
別に、死にたいわけじゃない。
俺はいつ死ぬかわからない
最初のうちは泣き叫びながら書いていた。
でもひとつ前のバディが止めに入ってくることが多かったので声を殺すようになった。
誰に宛てたものでもないのに、止めてほしくなかった。
自我の保全のためでしかない、ただの自己満足の産物だから。
いつ何時も、
街を歩いていたら突然風のように首をはねられるかもしれない。
隣で話していた人間に突然腹にナイフをねじ込まれるかもしれない。
いつものように眠りに入った翌朝、二度と目覚めないかもしれない。
異常な存在がどこかに潜んでいることを、
そんな可能性を考え始めれば、頭の中をグルグルと回っておかしくなりそうになるのは当たり前なのかもしれない。
これを書いている間は、俺は多分違う人間。
心の中に巣食うなにかが無理矢理身体を動かして、負の気持ちだけを享受した憐れで声なき叫びを紙の上に吐き出し続ける。
一頻り涙を流せば、どこか晴れやかで、スッキリとした気分になる。
今までの自分を捨て去った、死ぬ準備のできた新たな自分だ。
泣くことは心身に良いことがあるらしい。
もう何度生まれ変わったかは数えられない。
n番目の自分を閉じ込めた遺書に、取り出したマッチで火をつけ、部屋の中心に置いた空っぽの金属バケツに放り込む。
揺れる炎と白煙を、なにも考えずにそれが燃え尽きるまで椅子に座りただ見つめる。
少なくとも、これを終えるまでは部屋から出られない。
こんな俺が、理性的な人間を自称するのは間違っているんだろうか?
半分衝動的に身勝手な遺書なんか書いて、燃やして、忘れたと思えばまた書く。
俺は、頭のおかしい人間なのか?
それを証明する人間がどこにもいない。
かといって、この異様な
曖昧な位置に好き好んでもいないのに立ち続ける。
思い返してみれば俺はずっと中途半端だった。
上には突き放され、下には追い抜かれていく。
中継地点でも給水地点でもない、人生のランナーがただ追い越していくだけの電柱みたいな存在。
視界の端で顔を知っていて、ただそこに居たから、挨拶しただけってな人間なんだ。
考えれば考えるほど、弱さだけが止めどなく滲み出てくる。
他の
そして自分が死地に居ると悟った時、最期になんと言うんだろうか。
人の心を読めるなら、そこのところをよく知っておきたい。
俺になにか出来ることがあるなら尽力する。
空っぽの器は、空っぽのままじゃなんの役にも立たない。
俺がまだ、満たされていた頃は────
─────────────────────
.....二年前。
荷物で一杯になった段ボールを抱えて、廊下を淡々と歩く。
場所は上の人間から苦虫を噛み潰したような顔で教えられたのでわかっているが、如何せん遠い。
以前から問題視されてたアクセスの悪さは本当だったらしい。
元いた鑑識から、なんで俺は
俺がなにか悪いことをしたなら謝りたい。
通称が"死神"の部署なんて、ろくな場所じゃないのは誰だってわかってる。
散々面倒見の良い先輩に口酸っぱく言われてきたことだ。
「あそこにだけは堕ちるな」と。
だがいざ俺が堕ちたことを知ると、口も利いてくれなくなってしまった。
ずり落ちてきた
すれ違う顔見知りの刑事たちは、掌を返したように後ろ指を指して俺の噂をする。
あまりにも早すぎる冷遇に、溜め息をつかずにはいられなかった。
「辞職」の二文字がよぎったその時、入り組んだ道の先にようやく寂れたドアが見えてきた。
段ボールを置き、ドアノブを捻る。
その瞬間、いくつかの破裂音と共に俺の頭に紙吹雪と紙テープが降り注いだ。
「....へっ?」
俺が呆気に取られていると、火薬臭い煙が立ち上る束ねられたクラッカーを持った若い女性が声高らかに告げた。
「初めましてぇ~!!」
「あ、ビックリさせちゃったか?歓迎のクラッカーだから、気にしないで気にしないで!」
女性は至極楽しそうに俺の段ボールを奪い取り、こんなものはいらないよとばかりにソファーの横へ置くと、俺を座らせた。
部屋にいるのは、俺を含む三人。
妙にチャラチャラした雰囲気を持つ金髪の男と、八重歯を覗かせ快活な笑顔を見せる、非常に背の高い短髪の女性だ。
それを煙草をふかしながら見ていた金髪の男は、呆れたような笑いを浮かべて名乗る。
「いきなり悪ィな、こういうヤツなんだ。」
「俺は橘 丈一郎だ。特殊事象対策課の課長を務めている。よろしく頼む。」
「私は稲葉!
「柴崎、宗太郎...です。よろしくお願いします...」
差し出された、血管の浮き出たゴツゴツとした橘課長の手と稲葉さんの細くしなやかな手を交互に取り握手を交わす。
予想を大いに裏切ったフレンドリーな歓迎に、俺は固まったまま頷くことしかできなかった。
もっと死んだ魚のような眼の、軍人じみた性格をした人間がたくさんひしめき合う殺伐の権化のような場所なのだと思っていた。
乾いていく舌をなんとか動かし、俺はようやく抱いていた疑問をぶつけることができた。
「.....あ、あの...他の方はどこに?」
「あぁ、今任務中!夜には帰ってくることになってるから、後で合流する....んですよね?」
「おう。歓迎会やるから店の予約しねェとな。柴崎、お前酒は?」
「まぁ、ほどほどに....」
...飲み会か。
警察の人間になってから、飲み会にはいいイメージをどうしても持てないでいる。
以前にも一度歓迎会をやったが、酒好きの部長にしこたま飲まされ人生で始めて酒で嘔吐したというトラウマがあるからだ。
「というか、もうそろそろいい時間じゃありません?迎え行ったげましょーよ。」
「あー...そうだな。行くかァ。」
「柴崎くんおいで!ちっこいから膝ん上座ってもいいよ~!」
あなたがデカイから相対的にこっちが小さいのではないのか?
いや、まだ新入りなんだから下手なことは言ってはいけない。
「いやお前運転役だろうが...行くぞ、柴崎。」
「は、はい...!」
俺は事務室をよく見る間もなく、二人に連れ出され駐車場に停めてあったハイエースに乗り込んだ。
稲葉さんがやたらと膝に乗るよう誘ってきたが、橘課長が軽く頭をひっぱたくとむくれ顔になりながら運転席に着いた。
橘課長は助手席、電話で居酒屋の予約を取っているようだ。
課の実態も掴めずに、歓迎されてしまった俺はこれからどうなるんだろう。
少なくとも今は大丈夫そうだが。
俺は伸ばした背筋を少しだけ、緩めた。
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