第16話 何者

 玄関の扉を開けると、そこには橘と警官が数人待機していた。

 手錠と警棒を装備し、万全の態勢である。

 橘は俺達に声をかけ、未だに伸びたままの少年と、脳の缶詰めを担ぎ出させた。


 その体格のため運び出すのは容易だった。

 手錠を二重にかけた上で身体に布を被せ、手足を拘束したまま慎重に持って運ぶ。

 そしてこれだけの人数がいる中、俺だけが護送と取り調べに同行するように言われた。


 忙しい一日になる。

 今日のところはもう、本部と家の往復は御免被りたい。

 車窓の外を流れていく夕陽と入道雲、隣で液体の中を細かに揺れる脳を眺めながら、俺は呑気にもそんなことを考えていた。


 警視庁本部に到着し、空き部屋と取調室へ脳缶と少年がそれぞれ運び込まれる。

 上層部うえの指示で、少年が目を覚ますまでは脳缶の方を調べたいとのことで、俺と橘は空き部屋のデスクの上に置かれた装置を黙ったまま見ていた。


 壁に張られたマジックミラー越しの視線が気になり、どうも落ち着かない。


 機械の基部にはボタンやツマミがいくつかついているが、ラベルや注意書きの類いもないためどこを押せばどうなるのかがまったく想定できない。


 俺達は腕を組んだまま、時折なにもない側面をちらりと見ては、元の位置に戻り、もう一度うーんと唸る。

 そのようなことを繰り返していると、痺れを切らした向こう側の一人が呆れたような声でスピーカー越しに指示を出した。


『...とりあえず、端から一つずつ押してみたまえ。眺めるだけでは埒が明かない。』


 待て、そんなに適当でいいのか。

 まだ本物とわかったわけではないが、人間の脳が格納された用途のわからない装置のボタンを手当たり次第にいじるだと?


 慎重になりすぎるのも良くはないことだが、そこまで単純なやり方もどうかと思う。

 倫理のネジが外れているのか、それともただ頭が足りないのか。


 この国を背負っているのかもしれない人間たち、ふと過ってしまうその顛末に辟易しながら、俺は渋々左端の緑色のボタンを押した。


 すると装置から、ザザッというノイズのような音が走る。

 すると、少しの間を置いてから人間の呼吸が聞こえ始めた。


 すると。


『こ、ここ...どこですか...?』


 なんと、脳が口を利いた。

 くぐもったようなか細い少女の声が、不安げに吐息を混じらせながら周囲に自らの居場所を問いかけている。


『何も見えない...誰かそこにいるんですか...?いるなら返事して...!』

『身体が動かない...怖い...』


 意識はあるようだが、五感が全て機能していないようだ。

 俺達の発したどよめきも、その耳には届いていない。

 もう一度押せば声は途切れて消え、さらに押せば元に戻る。


 脳そのものの、意識のオンオフを切り替えられるボタンなのでは、と橘は予想した。


 続けて先程指示を出した上層部の一人が、興奮気味に淀んだ声を上擦らせて指示を投げる。


『つ、次は隣のボタンだ。押したまえ。』


 なにを愉しそうにしてやがる。

 これはお前らの見世物なんかじゃないんだ。

 込み上げる舌打ちをこらえ、少々力を込めた指で隣の赤いボタンを押す。


『な、なに!?機械...の音...?』


 どうやらこのボタンは、聴覚のオンオフを行うもののようだ。

 駆動していた部屋の空調のブオーンという音に反応したらしく、少女は必死に音の正体を知りたがっている。


 続けて隣のボタンを押す。

 奴等の薄汚い声を二度と聞きたくなかった。

 聞かせたくなかった。


『わっ、眩しい...!』

『誰...?誰ですか!?』


 ついに視覚が甦った。

 部屋にいる人数も把握しているらしい。

 俺と橘を交互に、キュルキュルと音を立てながら交互に見ているカメラのようなパーツが視覚の要なのだろう。


 ついにまともなコミュニケーションが成立するようになった少女へ、橘は声をかけた。


「...俺達は警察だ。君を助けたんだよ。」

「君、名前は?言えるかい?」


『お、乙部桜オトベ サクラ...です...』


「...!?待て、乙部桜だと...!?」


 その名前を聞いた途端、橘はなにかに気づいたように驚愕し、聴覚・視覚のスイッチを切り大急ぎで部屋を出ていった。


『うぇっ!?ちょっと、また見えなくなりましたよ...!?』

『怖いよぉ!返事してよ...!』


 自分の状況を理解していないことが幸いか。

 まだ暗闇と無音に狼狽えているだけで、自身の身体が存在していないことには気づいていない様子だ。


 そして橘は一冊のファイルを手に、扉を押し開けながら戻ってくる。


「睦月...!これ読め!」


 強引に押し付けられたファイルを言われるがままパラパラとめくってみると、中身は数ヵ月前に起こった失踪事件の捜査記録と資料がまとめられたもののようだ。


 被害者は14歳の少女、下校中に忽然と姿を消しそれ以降消息を絶った。

 最後に目撃されたのはスーパーの監視カメラ。

 路地に落ちたままの買い物袋とスマートフォンが見つかっている。


 被害者の名前は、乙部 桜。


「....乙部 桜ァ!?」


「そうなんだよなァ...なあ、どうしよう?」


 頼むから俺に聞かないでくれ。

 説明しようにもややこしいし、さらわれてから今までの間に何があったのかも知らない。

 なにより今、身体が脳しか残っていないなんて知ったら精神的に大きなダメージを受けることは火を見るより明らか。


 俺は少し考え、とりあえず緑のスイッチを押し乙部の意識をシャットダウンした。


『ちょっ───』


 再び腕を組み、長考の姿勢に逆戻りだ。

 ここまでの外科的技術を持つ人間など警視庁にいるはずもない。

 不幸中の幸いは、乙部の話し方から察するに、この状態脳ミソになってから今までの期間の記憶はないらしい。


 数ヵ月もの間ずっと音もない暗闇の中放置されたなら、普通の人間ならとっくに気が触れてしまっていることだろう。


 見ての通り、無闇に手を出すことはできない。この機械を分解するなどもっての他だ。

 もしもバッテリーなどが入っていて、その内に電源が落ちてしまいこの脳そのものがお釈迦になる可能性も否定できない。


 俺達が成すべきことは、一刻も早く犯人と乙部の身体を見つけ出し、元通りにすることだ。

 だが現状、手がかりがまるでない。

 関係があるとすればこの脳缶を奪おうとしていた、魔術師の少年だ。


「....八方塞がりだ。」


 橘は、ミラー越しに上層部の者へ試行操作の停止、および然るべき場所にこの装置を安置する通達を行う。

 コソコソと話す声が聞こえ、それを嫌そうに受理した上層部は引き上げ、取調室へ移動していった。


「...なんなんですか、上層部あいつら。」


「やめとけ、聞かれたら消されるぞ。」

「上が無能なら下も無能になる。俺達がそうならないよう踏ん張らなきゃあならないのさ。」


 俺達は、不安を飲み込んで廊下を歩き始めた。




 取調室の扉を開くと、椅子に縛り付けられた少年とその隣に立つ木知屋がいた。

 木知屋の手には銃身の長い古風な拳銃が握られており、その銃口は少年のこめかみに突き付けられている。


「おや、二人とも来たかい。」


「...首尾は?」


「いいや、全くだね。」

「魔術を行使すれば撃つと釘を刺してはいるのだが、反抗的でね。名乗りさえしないんだ。」


 少年はすでに目を覚ましていた。

 拘束はかなり厳重で、歯軋りをしてもがきながら恨めしそうにこちらを睨み付けている。


「僕がその気になれば...オマエらなんか2秒でバラバラなんだ!2秒だぞッ!」


「だからこうして、何時でも処分できるようにしているんじゃないか。」

「自分の置かれた状況を考えたまえ。」


 木知屋は容赦なく、啖呵を切る少年に向けたままの拳銃の撃鉄を起こす。

 それに情けなく悲鳴のような小さい声を上げ、少年は頬に脂汗を伝わせる。


「早く喋った方が君のためになる。」

「さあ、君の魔術は一体誰に与えられたものなんだ?答えたまえ。」


「....クソッ!言えばいいんだろ言えば!」

「あいつは───」


 渋々ながら名前を言おうとした瞬間、少年は突如黙り込み、こうべを垂れて項垂れる。

 そして、全身がぶるぶると震え始め、半開きになった口から流動する金属が大量に流れ出、床に水溜まりを作っていく。


 液体金属は瞬時に硬化、巨大な一つの刃となって周囲にあるテーブルやランプを次々と斬り裂き、間髪入れず触腕がその破片を掴んで乱暴に振り回す。


 狭い室内、横薙ぎにされた俺達は成す術もなく壁に叩きつけられた。

 木知屋は怯まず発砲するが、少年の身体を覆う盾によってあえなく弾丸が弾かれてしまっている。


 すると、だらりと頭を下げたままの少年の喉から声が発される。

 まったくの別人。落ち着いた雰囲気だがどこかガラの悪い口調をした若い男性の声。


 口は一切動いていない。

 その声は、未だ溢れ続ける液体金属に伝播して聞こえてくるようだ。


『ファッキン・マンデー。ごきげんよう、愚かな官憲ども。』

『我々は、月曜日撲滅委員会Monday Eradication Committeeだ。名前を知ってる奴等には、そのまま頭文字を略して"MEC"と呼ばれてる。』


『俺の部下が世話になったようだな。』

『時間がないんで早速だが、あの脳は我々の求めるものじゃない。くれてやるよ。』


『だが、捕まるようなヘマをやった者には、相応の処分を与えなくっちゃな。そうだろ?』


 矢継ぎ早にまくしたてる声が熱を帯び始めたと思うと、少年の喉が大きく脈動を開始した。

 ごぼごぼと泡立つ音を立て、内側に発生した円形のなにかが素早く膨張していく。

 その正体は、すぐにわかった。


 次の瞬間、斬り飛ばされた少年の首が血飛沫を撒き散らしながら宙を舞う。

 高速で回転する電ノコのような刃が、内側から現れ残酷に命を奪ったのだ。


 続けて、事切れた口から言葉が吐き出される。


『ついでだ、これはお前らにプレゼントしてやるよ。』

『あばよ。また会おうぜ。』


 ノコギリを大量に束ねたような、無数の刃が空気を切り裂き回転しながらこちらに迫る。意思の介在しない冷たい殺意が近づく。

 幻聴しかけたモーター音を、乾いた破裂音が吹き飛ばした。


「───全員、退避ッ!!」


 橘が出入り口のドアノブを銃弾で撃ち抜いた。

 ドアはその衝撃で勢いよく開き、俺達はすぐさまそこから飛び出す。

 背後から風が首をなぞり、死の刃が先程まで自分達の居た室内を二、三度周回した。



 しかしそれを最後に金属はすべてどこかへと霧散していき、刃や触腕、何者かの声が現れることは二度となかった。

 残ったのは、無惨に首をはねられた少年の亡骸と、じっとりと広がり続ける血の海。


 謎の声が名乗った、月曜日撲滅委員会M  E  Cという組織。

 くだらない組織名ではあるが、その規模と持ち得る力は未知数。

 しかし、今後進んでいくであろう調査よりも俺が気になったのは。



 目の前に転がっている、死体ソレの処理についてだった...。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る