第11話 ギブ&テイク・ダウン

 玄関を飛び出し、廊下を走り抜け階段を飛び降りるように下る。

 骨を芯に響く衝撃が脚に走るが、それを無視して走り出す。


 "四丁目の廃ビル"。


 居場所の唯一の手掛かりが、脳内をグルグルと回り続けている。

 朝っぱらからこんなに血眼になって一つの廃ビルを探し回る人間は、傍から見れば異常者でしかないだろう。

 冷や汗が頬を伝い、顎から滴り落ちる。

 一刻を争う状況、照りつける日がもたらす暑さに体力を奪われていく。


 やがて町外れにまでやってきた時、視界に一棟の廃ビルが飛び込んだ。

 扉が開いた形跡と、粉砕されたコンクリートの上に残る足跡を見つけ、俺は中へ進む。


 ボロボロの階段を駆け上がり、最上階に到達すると、そこには二人がいた。

 尊は手を縛られた状態、後ろから石動が片腕を通して首をホールドしている。

 か細く、震えているその首には、バタフライナイフが突き付けられていた。


「思ったより早いやないか。流石国のイヌは足で稼ぐだけあるわァ。」


「黙れ。黙ってその子をこっちに渡せ。」


 我ながら冷静さを欠いた返答だ。

 警察なら、まずは交渉に応じる姿勢を見せるのが定石だろうが。


「嫌に決まってるやろ。アホちゃうか?」

「取引しようやァ。あんたら、オカルト的なアイテム集めてるんやろ?」

「せやったらいくつか持っとるはずや。それを全部俺に寄越せ。」


 まだ諦めていやがらなかったのか、つくづく見下げ果てた強欲野郎だ。

 だが俺は立場上は下っ端、保管庫には一人で近づく権利すら与えられていない。


「そしたらこの子は返したるで。どうや?」

「信用を売って命助けるか、保身のために見殺しにするか、や。」

「さっさと選べやワンころォオオ!!」


「それは出来ない。俺はまだ、オブジェクトの扱いを許可されていない。」


「...はァア??なんや、せやったら俺は木っ端の雑魚掴んだっちゅうんか!?」

「やたらスカした態度してると思うたら、雰囲気だけの中二病ってェ!!」


 静まり返った廃ビルに、心からの軽蔑を湛えたような石動の哄笑が響き渡る。


「はァ~アホらしくなってきたわ。」

「ほな、そろそろ逝こか?お嬢ちゃんよォ。」


 ナイフの切っ先が、ゆっくりと首筋に近づいていく。

 すると、何かを決意したように歯を食い縛った尊が、震えた声を張り上げて叫ぶ。

 その目には、大粒の涙が浮かんでいる。


「アタシは....アタシは!!この町の自警団、団長だ!!」

「こんなクソッタレ、野放しにするくらいなら私が犠牲になる...!!」

「ふわっち、アタシごとコイツ殴って!!アタシが刺されても...気にしないでボッッコボコにしちゃってぇえええ!!」


 幼くつたない、自らをなげうった覚悟の言葉。

俺の心臓が、強くドクンと跳ねる。

全身の血が沸騰する。怒りでたぎる。

 腹の底から、沸き起こる感情でハラワタが煮えくり返る。


「いいのか、尊...?」


「だいじょうぶ...アタシは、だいじょうぶ、だから...!!」


 嗚咽で途切れ途切れになりながら、こんな状況にも関わらず俺に笑顔を見せた。

 涙でぐしゃぐしゃになった口を引きつらせながら、俺に勇気を分け与えた。

 この敵を倒せと。正義を貫けと。


 一歩、また一歩と、眼前の敵へ近づく。


「オイ、石動ィイ....」


「な、なんやお前!?さっきと面ァ全然...!」


 こうなったらもう、なるようになってしまえばいい。

 一時の感情に身を任せ、頭に来たヤツをただひたすらに叩き潰す。

 今は、それでいいじゃないか。


、殺すぞ...!!」


 石動が怯んだその瞬間、尊が歯を剥き、自分を拘束する腕に思い切り噛みついた。

 予想外の激痛に叫び、怒り狂いナイフを首へ突き立てようとする。


「アタシは...皆を守る団長なんだぁああ!!」


 次に、跳ね上げた踵が石動の股間を強打する。

 連続して襲い来る痛みに顔を歪め、思わず尊を手放し、うずくまりながらナイフを取り落とした。


「グッアァァ....!!っ、ヤバ───」


「───ッくたァァッ、ばれェエエ!!!」


 土埃の尾を引いた渾身の回し蹴りを、下がった頭へ力の限りブチ込む。

 こめかみへクリーンヒット、鈍い音を奏でて、首を90度に蹴り折った。

 石動はそのままの姿勢で、力なく倒れ込む。


 俺は尊を助け起こし、拘束を解いてやる。

 緊張が解けたのか、尊は俺の肩に顔を押し付けせきを切ったように泣き叫ぶ。


「よく頑張ったな。あいつが心配してる、早く帰ろう。」


「うん...うん...っ。」


 すると、致命傷を受けたはずの石動がゆっくりと起き上がり、ゆっくりと自身の頭を掴んで動かし始める。

 メキメキと生々しい音を立てながら、自力で折れた首を元に戻してしまう。


 そして歪んだ笑みを浮かべながら、俺に口を利いた。


「今のは....効いたでェ、クソガキ...ッ!!」


「...不死身かよ、お前。」


「知らんのかいな...ホンマの悪党は、なんやでェ。」


「知らねぇのか。馬鹿は治らねぇんだぜ。」


「減らず口が、上手いやんけ...?」


 石動は相も変わらずこちらを挑発し続けているが、立ち上がるその脚はよろよろとたたらを踏んでいる。


「止めとけ。もう一回折られたいか?」

「坂田が相手だったらお前、今頃木っ端微塵だぜ。」


「フッ、クッハハハッ...やっぱ、なんやなァ...」

「───ヘドが出るわァアア!!」


 ピィンッ、と、音が鳴った。

 石動は後ろに回していた手を天高く掲げる。

 その手に握られていたのは。


閃光手榴弾フラッシュバンッ───!」


 手の中で炸裂した閃光は、瞬く間に室内を満たし目の前を白一色に染めた。

 強い耳鳴りが起こり聴力を一時的に狂わせる。


 視界が晴れ、周囲の音が蘇る頃には、石動は既にそこにいなかった。

 代わりに、遠ざかっていくバイクのエンジン音と、パトカーのサイレン、階段を上ってくるたくさんの足音が耳に入ってくる。


 現れたのは、何人もの警官を引き連れた柴崎だった。

 柴崎は俺に次々と銃口を向ける警官たちを制して、やれやれとでも言いたげな溜め息をつきながらこちらに近づく。


「お前....謹慎中だろ、何やってんだよ。」


「俺は正しい行いをしたまでだ。」


「そうかよ....で、石動とやらはどこだ?」


「...逃がした。」


「....ったく。要マークだな、橘さんに伝えとく。」

「ところで、お前に上から呼び出しがかかった。早く行くぞ。」


 呼び出し。正直なところ心当たりばかりだが、謹慎期間を延ばされることは最早苦ではない。

 あの家で暮らすことが、俺の幸福になりつつあると思ったからだ。


「....その子を送り届けてからな。」


 泣き疲れたのか寝てしまった尊をおぶり、柴崎の車の後部座席に寝かせる。

 家に着くまで、少しばかり時間を要した。

 この距離を走ってきたという実感が、脚の疲れと共にやってくる。


 玄関を開けると、すぐに坂田が飛び出してきて尊を強く抱き締めた。

 まるでドラマで見るような被害者家族のように、必死に礼を何度も言っていた。

 バディなんだから畏まるなと言っても、無駄だった。


 親子の再会に水を差すと悪い。

 俺はまた戻るとだけ伝え家を後にし、ドアのところで待っていた柴崎に声をかける。


「もう大丈夫だ。行こう。」


「...おう。ったく、橘さんもたまには会ってやりゃいいのにな。」

「自分の嫁と子供なんだからさ。」


「えっ。」


「え?」


 ちょっと待て。そんなこと聞いてないぞ。

 坂田のが、橘?


「なんだ、知らなかったのかよ?橘さんバツイチで、今は坂田さんと結婚してるんだよ。」


「えぇっ、マジ...?」


「マジ。」


 唐突に突き付けられた衝撃の事実に、整理が追い付かない。

 開けっぱなしの口が乾いてきた。

 なぜ橘はそんな大事なことを黙っていたんだ。

 そして坂田もなぜ濁すような真似をしたんだ。


 やっぱりこの家での共同生活は、


「先が思いやられる...」


「は?」

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