第10話 招かれざる客

 脱いだ服をカゴに入れ、扉を潜り冷たいタイルの上に立つ。

 磨りガラスの向こうから聞こえてくるお祭り騒ぎをシャットアウトするべく、俺は水温を下げてシャワーのレバーを捻った。


 冷水が雨のように、火照った身体を強く打つ。

 上がりきった体温をじわじわと奪いながら、垂れた前髪を伝って落ちていく。


 俺はゆっくりと時間をかけて汗と疲れを洗い流しながら、今ある情報を整理し、石動への対応について逡巡していた。

 普通に考えれば確かに厚かましく、人を食ったような態度を取る怪しさの塊のような奴だ。


 しかしこちらを警戒するような様子もない上、人生を賭して収集していたのであろうオブジェクトの回収にも笑って応じていた。


 ...本当にただの、俺の疑心暗鬼なのか?


 一頻り身体を冷まし終わった。

 戸棚からバスタオルを借りて水を拭き取っていると、居間の方から石動の甲高い悲鳴が上がった。


 何事かと思い急いで着替えを済ませ向かうと、居間で石動が酔っ払った坂田に腕ひしぎ十字固めを食らっていた。

 さほど長くシャワーに入っていたわけではないのに、坂田の顔は紅潮し呂律が回っていない。


 床にはビールの空き缶がいくつも転がっており、石動が暴れる度に手足が缶に当たり音が鳴っている。


「ちょお、もう勘弁ッ!!ギブ!ギブやって!聞いてんのコノ人!?」


 許しを乞う石動にも構わず、坂田はガッシリと掴んだ腕をめ続ける。

 タオルを頭に乗せたまま呆然と立ち尽くす俺に気づき、尊が駆け寄ってくる。


「ふわっち~!やばいよ!....見ての通りなんだけどさ...」

「ユウジがおだててたくさん飲ませるから...お母さん酔っ払うとめっちゃ暴れるんだー...」


 一触即発の酒乱、止めに入れば俺にも飛び火しかねない。どうしたものか。


 すると尊は二人のもとに戻り、プロレスのレフェリーのように床を叩きながらスリーカウントを始める。

 カウントが終わると、ようやく坂田は石動を解放、手近な飲みかけの缶を引っ掴み、中身を呷りながらガッツポーズを決めた。


「コレやらないと、お母さん技かけるの止めないんだよ~...毎度恥ずかしーよ...」


「痛ってェ~...!ホンマに折られてまうかと思たわ...」


「どうよォ~石動く~ん!わたしの超絶パワーを、思い知ったか~!ふへへ~~」


「いやもう、ホンマ完敗ですわ!」

「あ、姐さん携帯番号教えてーな。」


「えぇ~?いいよぉ~~?」


 互いに携帯電話を取り出し番号を交換しながら、石動は穏やかな口調で坂田に語りかける。


「この家は賑やかでおもろいわぁ。居心地がすこぶるええ。また来たなったとき連絡しますわ。」


「な~にそれ~!そんなの気にしないでいつでもおいで~!」


 石動の背中を満面の笑みでバシバシと叩き、一缶を飲み干すと坂田は大の字に寝転がり、寝息を立て始めてしまう。


「ご機嫌やな~....まっ、酔わせたんは俺やし責任取って介抱せな。」

「尊ちゃん、姐さんベッド運ぶから手伝ってや。部屋どこ?」


「あ、こっちこっち~。」


 坂田の肩を担ぎながら、二人は寝室へ向かう。

 なんというか、すっかり主導権を奪われたというか、居づらいというか。

 頭の中を巡る不安が喧しい。


「俺のもちょっと食ってるじゃねぇか...」


 気を紛らわせるため、俺は開きっぱなしになったピザボックスに乗った、二切れが欠けているハラペーニョ入りのピザを一切れ頬張った。


 予想外の辛味に、思わずゴフッとむせる。

 そこへ談笑しながら二人が戻ってきた。


「お、兄さんそれ食ったん?」

「つまみ食いさせてもろうたけど、辛くてアカンわ~。俺ら一切れで限界ですわ。」


「アタシ、しばらくくちびると舌ヒリヒリしてたよ~。」


「なんでそんな辛いのにしはったん?そういうの好きなん?」


「テメェが勝手に俺のに唐辛子ブチ込んだんだろうが!!」


「アレェ!そうやったっけ!?アッハハ!」


 わざとらしくおどけた笑いを見せながら、手を叩いている石動。

 だんだん腹が立ってきた。

 怪しさやら疑念やらではなく、シンプルなコイツのウザさに。


 感情に対応のベクトルが寄ってきている。

 完全にコイツのペースだ。

 空きっ腹に入れられた、後を引く刺すような辛味が襲い来る。


 俺は椅子に座り直し、黙々と残りのピザを食べ進めていく。

 嚥下する毎に喉を唸らせる様を見かねて、尊がグラスに牛乳を入れて持ってきてくれた。


「....ありがとう。」


「だいじょーぶ?辛いならやめといたら?」


「いや、奢ってもらっておいて残すのは気が進まないだけだ。」


「なんや、随分健気なこっちゃな。兄さん。」


「ああ、お前よりはな。」


 あぐらをかいて座ったままテーブルに肘をついている、どこか見下したような顔をした石動と目が合う。

 互いの間に、瞬時に心の壁ができていくのがわかった。


 ようやく確信した。

 俺は、コイツと絶対に上手くやれない。


「...ま、ええわ。俺は寝させてもらうで。」

「寝袋あるさかい、ベッドは譲ったるわ。」


 怠そうに首を鳴らしながら、石動は部屋へ入っていった。

 最後の一切れを食べ終わった俺に、困り顔をした尊がおずおずと訊ねる。


「....いいの?これから仲間になるかもしれないのに、あんな風に...」


「なってもどうせバディは決まってる。俺には関係ないんだ。」


「ふーん...じゃあ、私も寝るね。おやすみ。」


「....おやすみ。」


 事務室のような冷たさを持つ白色灯の光が下りる部屋に、俺は一人取り残される。

 今日はなんだか一段と疲れた気がする。


 前の俺がどうだったか知らないが、存外プライドの高い奴みたいだ。

 思わず口をついて漏れ出した、自嘲的な笑いに自ら辟易する。


 溜め息混じりの欠伸を吐き出しながら、俺は与えられた部屋へと向かった。

 ベッドは確かに空いていたが、床の上で寝袋に入りイビキをかいている石動が鼻につく。


 マットレスの上に重たくなった身体を沈め、タオルケットを纏い目を閉じる。

 俺の意識は、すぐに闇に吸い込まれるように眠りの中へ落ちていった。


 ....


 俺は、寝ぼけ眼をつんざく日の光と、バタバタと歩き回る足音で目が覚めた。

 身を起こし、居間へ向かってみると坂田が狼狽した様子でフローリングの上を行ったり来たりしている。


「....どうした?」


「不破くん!尊、尊がどこにもいないの!!」


「はァ...!?」


 俺は、すぐに踵を返し、ベッドの隣に落ちている寝袋を持ち上げる。

 それはもぬけの殻。中は空っぽだった。


「坂田、石動もどっかに消えた!!」

「どこまで覚えてんだ!?」


「えっと....昨日は石動くんにたくさんお酒飲まされて...それから....?」


「.....記憶がない、か。」


 我を忘れて客人に絞め技をかますほどの酒乱、記憶を飛ばしていてもおかしくはない。

 すると、テーブルの上にある坂田の携帯電話に着信が入る。


 坂田は音声をスピーカーに切り替え、応答ボタンを押した。


『あ、もしもし~?おはようさん!』


「石動くん...!?今どこに...!」


『今?今四丁目の廃ビルにおるで。尊ちゃんも一緒やで~!』


 やられた。

 坂田の手から血が滴り落ちた。

 握り込んだ拳、爪が手に突き刺さっている。


「今行くから待ってろ。」


 鬼の形相で部屋を飛び出そうとする坂田に、石動が電話越しに釘を刺す。


『ちょお待ちぃや。ビルには兄さん一人で来てもらうで。』

『隣に居るんやろ。代わりぃや。』


 坂田はわなわなと震える手で俺に携帯電話を突き出す。

 ケースには、大きくヒビが入っていた。


「もしもし!?テメェ、一体どういうつもりだこの野郎!!」


『ッツ...フツーに喋りーやフツーに。声張らんでも聞こえとるわボケ。』

『とりあえずビルまで来いや。筋肉ダルマ連れてきよったら、この子の喉首ぶった切るで。』


『主導権はこっちが握っとるんや。忘れんなや、ポリ公。』


 石動は一方的に通話を切る。

 俺は携帯を坂田に手渡そうとするが、怒りでどうしようもなくなっているのか、受け取ってはくれない。


「坂田!坂田、聞け!!」

「俺が何とかする。橘さんたちに連絡して、ここで待ってろ。」


「......」


 坂田の無言の頷きを確認し、俺はスニーカーに足を突っ込み、玄関のドアを突き破るように開いた。

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