第8話 強化週間突入
500mlのスポーツドリンクを二本手に、坂田が走って戻ってくる。
「はい。飲んで。」
「....どうも。」
「しかし、アンタめちゃくちゃ強いな...」
「鍛えてるからね~。」
力の証左を曖昧に流す坂田を横目に、蓋を開け中身を飲み干す。
敗北の味が、五臓六腑に染み渡った。
ようやく俺に目標ができた。
俺が何者なのかを突き止めるための、強くなるための目標が。
俺はバディとしての体裁をかなぐり捨て、頭を下げて頼み込んだ。
「坂田。アンタに、俺を鍛え直してほしい!」
「俺は、どうして得たかもわからない力に甘えていたんだ。」
「....その結果、
俺は、教えを乞った。
冷水だったら間違いなく避ける道だろう。
だが俺には、俺のせいで腕を奪われたアイツの分まで強くなる義務があると思った。
「うん。全然いいよ。満足するまで、何度でもブッ飛ばしてあげる。」
「互いに切磋琢磨するのが、バディってものでしょ?」
「....助かる。」
脅しの混じったような快諾に背筋がゾクッと跳ねるのを感じたが、ありがたい。
俺はまだ強くならなくてはいけないんだ。
曲がった心を叩き直してくれる師のような相手は、今の俺に一番必要な存在だ。
「...冷水ちゃんかぁ。二人に追い抜かれちゃ、流石にプライドボロボロにもなるよね。」
「....ちょっと待て、二人...?」
「私ね、結構前に冷水ちゃんに稽古つけたことあったんだ。」
「その時はもう、荒削りって感じで。鼻血垂らしながら絶対に追い越すって息巻いてたんだよ~。」
そんな事実があったのか。
俺は冷水の痩せこけたプライドに、止めを刺すような存在になっていたんだ。
「今、入院中だって聞いたよ。利き腕落とされて、もう引退なのかな...寂しいな。」
「...あの人なら何度でも生き返ってきそうだが。」
「ふふっ、それもそうだね。」
「不破くん。少し早いけど、お昼にしよっか。そろそろ帰ってくるかもだし。」
「....あぁ。」
部屋の前に向かうと、首をかしげながらドアをガチャガチャと動かし開けようとしている人影があった。
それは、ビビッドな赤いパーカーを羽織った一人の少女だった。
ツーサイドアップに結わえた、胴の中程まで伸びた明るい金髪を揺らしながら、ドアの前を右往左往している。
「....誰だ...?妹か?」
「あぁ、うちの娘だよ~。私、普段はこの時間外出しないからさ。」
娘、いたのかよ。
そうならそうと先に言ってほしい。
せっかく同居の決心がついたところなのに、またハードルが引き上げられてしまった。
「
「んおっ、お母さ....え。」
「な....なに?」
「お母さん....彼氏出来たのかぁ...!?」
「「違う。」」
つい食い気味に、同じタイミングで否定してしまった。バディとはいえ、まだ会って一日も経ってない間柄だ。
自分の早とちりに気づいているのかいないのか、尊は少し残念そうな顔をしている。
「お、おぉ...なんだぁ。」
「お昼食べに来たんでしょ?ホラ、玄関開けるからどいたどいた。」
尊の怪訝そうな視線を浴びせられながら、俺達は部屋に入った。
俺が座椅子に座ると、こちらをじっと見つめたまま尊も向かい側に正座で座る。
坂田は冷蔵庫から食材を取り出し、テレビを見ながら昼食を作り始める。
「それで、オマエはアタシのお母さんとどーいう関係なんだ!答えろぉ!」
「.........」
大げさにテーブルを叩き、腕を組んでどこか嬉しそうに尊は俺を問い詰める。
縋るように坂田を見ても、ニコニコとこちらの様子を見守っているだけだ。
「....職場?の、同僚...?です。」
「ふんふん。じゃあ、なんでウチにアンタの荷物が置いてある!」
「....謹慎中でして、家もないので、しばらくお世話になることになりました。」
「なるほど。お母さん!合ってる?」
「合ってるよ~。」
「そーか!では、名乗ってみよ。」
「不破、睦月....です。」
「よーし。ふわっち。決めた、アタシはアンタをふわっちと呼ぶ。」
「....ふわっちィ...?それってもしかして俺の事...?」
「当たり前じゃん!」
早速あだ名を決められてしまった。
こんなのと最低一週間も同居とは、先が思いやられるとはこの事だ。
押されっぱなしは性に合わない。
この状況を何となく楽しんでやがる母親に代わって、今度はこちらから聞かせてもらおう。
「....では、こちらから質問よろしいでしょうかね。」
「おー。なんでもこい!」
「...えっと」
俺が言いかけたところに、坂田の作った昼食の焼きそばが置かれる。
天辺に鰹節が踊り、かなり具沢山だ。
ソースの香ばしい匂いがすると思ったら。
「やったぁ焼きそばだぁ!」
「いただきまーす!」
「いや、ちょ、聞いて?」
満面の笑みを弾けさせ、出来たての焼きそばを食べ始める尊。
美味しそうに頬袋を膨らませてがっつく。
俺の言葉など意に介す様子が全くない。
俺は今、果たしてどんな顔をして目の前の少女を見ているのだろうか。
多分、おそらくだが、無の顔をしている。
「うンまい~!あ、ふわっちなんか言った?」
「いいえ、なにも言ってないです....」
尊は喉に詰まらせた焼きそばを麦茶で流し込みつつ、やたらと急いで食べる。
「頂きます...」
すっかり質問する気など失せてしまった俺も、手を合わせて食べる。
パンチの効いた濃いめのソース焼きそばは、少ししょっぱかった。
「ごちそーさま!パトロール行ってくる!」
焼きそばを完食した尊は、玄関に置いたバッグを引ったくるように背負い、走って部屋から出ていってしまった。
麦茶に入った溶けかけの氷が、カランと涼しげな音を立てた。
「.....いつもあんな調子なのか?」
「そうだね~。一度出ていったらいつも夜まで帰ってこないよ。」
「パトロールと言っていたが。」
「ああ、尊ね、この街の自警団やってるの。」
「自警団...?あの子、高校生くらいだろ。なんというか....いいのか?」
「いいのいいの。罪滅ぼしに、好きなことさせてあげたいから。」
「ちゃんと遠くまで行かないようには言ってあるよ?」
そういえば、父親はいないのだろうか。
坂田の左薬指にはプラチナの指環が光っているが、聞くのは流石にデリカシーがないか。
「....私ね、今旦那と別居してるんだ。」
「仕事ばっかりしすぎて、家族のことなんにも考えてないから。」
「....悪いな。話しにくいことだろ。」
「いいって!ほらほら、早く食べないと練習時間なくなっちゃうよ。」
「わかってる。」
大盛りの盛られた焼きそばを胃袋へ押し込み、結露が溜まったグラスの麦茶を飲む。
コルクのコースターに、ツーッと垂れた水滴が染み込んでいくのを待たず、俺達は再び公園へ足を運んだ。
そして、またスパーリングが始まる。
坂田は体力がまだ有り余っているようだ。
俺はというと、さっき食べた昼食を吐き出さないように腹への攻撃を防ぐことで必死だった。
小休止を挟む度に全身が脱力し、余力が尽きていくのが痛い程にわかる。
高みを目指す事に没頭するままに、無茶とも言えるような鍛練に身をやつすままに、ゆっくりと日が暮れていった。
「はい!今日はおしまい。お疲れ様~。」
俺は汗でビショビショになったTシャツの襟をパタパタと扇ぎながら、切れた息をなんとか整えようと大きく呼吸をする。
唾を飲み込む毎に、喉に鉄の味が走る。
結局、拳一つ当てることが出来なかった。
紛うことなき、上位の力を持った存在だ。
勝利のビジョンが何一つ見えない。
膝をつきながら立ち上がり、汗を流させてもらうため部屋に向かおうとしたその時、こちらに向かってかなり焦った様子の尊が走ってくるのが見えた。
「尊...?」
「ヤバぁい!!二人とも、大変だよおお!!」
「あっちの方にある墓地で、ゾンビみたいなバケモノが沢山出たの!!」
坂田に目配せをし、俺は頷く。
最早疲れの麻痺した脚を動かして、俺達は尊の案内で墓地へと走った。
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