第3話 お手並み拝見
なんの説明もないまま屋上へ向かう道中。
部屋を出る直前に橘が手に取ったボストンバッグに、全員の視線が釘付けになっていた。
もはやすし詰め。上昇するエレベーターの中で、麗がついに質問をする。
「なー橘さんよぉ。そのバッグ、中に何入ってんの?」
「着いてからのお楽しみだ。」
他数名からも声が上がり何度かこの問答が続いたが、結局答えは変わらなかった。
歩幅の揃わない、階段を上る足音だけが響く。蝶番が錆びて軋むドアを通り、
先刻まで空を遮っていた厚い雲のお陰で、今日は湿度が高い。
かなり蒸し暑く、立っているだけで汗ばんでくるほどだ。正直なところ早く室内に戻りたかった。
「冷水、睦月。屋上の真ん中まで行け。」
「ハァ?なんであたしが...」
「いいからいいから。」
橘に指示され、冷水はぶつくさ言いながら真ん中まで歩き、俺もそれに続く。
そして、互いに少し距離を置いて向かい合う形になったその間に、橘がバッグを放る。
「それ開けて、中のモン取れ。そしたら説明する。」
二人とも無言のまま中身を漁る。
出てきたのは布が巻かれた木刀と、使い古され擦れた形跡が各所に見られるゴム製のトレーニングナイフが二本。
「冷水はナイフ。不破は木刀使え。」
「え、使うってのは...」
戸惑いながらも俺はゆっくりと木刀を拾う。
冷水は、さっさと取り出したナイフを両手でクルクルと回しながら、橘の次の言葉を待っている。
どうやら、向こうだけはこの状況を理解しているようだ。
「軽い実力のテストだ。相手の身体に当てたら勝ちだか───」
揺らめく陽炎の向こうで、冷水が食い気味に口の端を歪めた。
マズイ。
「───行くぞォッ!!」
待ってましたと言わんばかりの、悦びで上擦った掛け声と共に、冷水が真っ直ぐこちらに切り込む。
こちらに踏み込む脚の動きを読み取り、咄嗟に木刀を斜めに構える。
刃のないナイフが立て続けに木刀に打ち付けられ、衝撃で手がシビれる。
後方へステップを踏み、一度距離を置く。
「へぇ~?今のよく受けたわねぇ。」
「.......なんでだ。」
「ハァァ!?聞こえな~いッ!!」
再び冷水は地面を蹴り、間合いを詰める。
フェイント、細かく地を這うような連続攻撃。
俺はそのことごとくをいなし、回避する。
その事実が、自分でも理解できない。
しかしそれは向こうも同じなのだろう、攻撃の手を緩めないながらも表情がみるみる険しくなっていくのが見て取れる。
「チィッ、なんでぇ!?なんで当たらねーんだよ!!」
「........」
答える余裕なんかない。
今は、俺が何故ここまで戦いに慣れているかが気になって仕方がないんだ。
初めてのはずなのに、眉ひとつ動かさずこの決闘じみた出来事に順応している。
俺の頬に冷や汗が次々と伝っていく。
源は、決着が着かない焦りでもなんでもない。
相手の動きが手に取るようにわかる。
何もかもがスローモーションに見える。
才能?偶然?遠隔操作?いや、違う。
わからないけどできるんだ。
「このあたしが....ッ!!アンタみたいなガキなんかに!!」
同時に突き込まれた二本のナイフを、隙間に差し込んだ木刀で軽く弾き飛ばし、襟を掴みながら足をかけて転ばせて、あとは刃を首元に当てれば勝ちだ。
「くッ...クソがぁ...!!」
それだけの、至極単純な作業。
いや違う、違うんだ、違う。
俺にこんなことができるなんて、俺は知らないはずなんだ。
でも、目の前の、かなりの手練れであるはずの女をアッサリと倒してしまったのは俺だろ。
俺は誰なんだ?
考えれば考えるほど頭が割れそうになる。
地面に倒れたまま歯軋りをする冷水が、俺を睨み付けている。
そんな目で俺を見ないでくれ。
俺を、化け物を見る目で見ないでくれ。
「俺は.....ッ。」
「あぁああ、ああぁぁあぁッ。」
呆けたような声を絞り出したかと思うと、がくんと腰が抜け、意思に反して膝が曲がり、視界がブラックアウトする。
あの、唐突に極大の絶望を受けた日のように、俺は無様にコンクリートに突っ伏した。
俺を呼ぶ課員の声が小さく、遠くなっていく。
こりゃあ、クビかもな。
俺は、消え行く意識の中で、ほんの少しだけ安堵していた。
─────────────────────
「......ハァッ、ハァッ」
息を荒げながら一気に身を起こすと、またもや見慣れない光景が広がっている。
風に揺れる純白のカーテンに囲まれ、俺はどこかのベッドに寝かされていた。
まだ頭がズキズキと痛んでいる。
自分が情けなくて仕方ない。
自分が戦える仕組みを考えすぎて、ブッ倒れたなんて。
きっと身体が覚えていたってヤツなんだ。
六人を殺す前の俺は、きっとあれくらい動けるヤツだったんだろう。
そうに違いない。
「そうに、違いない....!」
すると、突然カーテンがシャッと音を立ててレールを滑っていく。
その向こうに立っていたのは、柴崎。
目を細めて俺の容態を確認している。
「.....随分うなされてたな。」
「寝言凄かったぞ。来て早々人騒がせだなぁ、お前。」
「...ここは。」
「特事課のベッド。」
「....俺、冷水さんと戦わされて、それから倒れたんだよな....ですよね。」
「いいよタメ語で。あぁ、その通りだ。」
「自我でも崩壊したのか、うわ言みたいに自分が誰なのか聞いてたぜ。」
「...冷水さんは、なんか言ってたか。」
「あぁ?特に。ただ、めっちゃブチギレてたけど。」
「あの人、プライド高い戦闘狂みたいな性格してっから。あんな負かされ方したら手がつけられねぇんだよ。」
すると、さらに奥からドアの開く音と、バタバタと急ぐような足音が聞こえる。
駆け込んできたのは、脂汗を滲ませた橘だ。
「すまん睦月!!俺の軽率な判断で、このような...!」
橘は入るなり深々と頭を下げ、声を張り上げて謝罪した。
俺の胸中が、申し訳なさで埋め尽くされるのを強く感じる。
「いやいや、やめてくださいよ...」
「あれは俺が悪いんです...。もう動けますから、行きましょう。」
俺はわざとらしくベッドから飛び降り、腕を回して見せた。
空元気だ、頭はまだ痛い。
前の俺は、こんなことをする人間だったのだろうか。
「あぁ...わかった。ありがとう、柴崎。もう戻っても大丈夫だ。」
「...了解っす。お大事に。」
「俺はアイツ着替えさせないとなんで、しばらく戻れないです。それじゃ。」
柴崎はうんうんと唸り身体を伸ばしながら、部屋を出ていった。
それを確認した後、側にある椅子に橘が脱力したようにどさりと座る。
浮かべているその表情は、自責の一点だった。
「...冷水さんはどこにいますか。」
「屋上で不貞腐れてるよ...会いに行くのか。」
「はい。一言謝りたくて。」
「わかった。気を付けろよ、気が立ってるみたいだからな。」
「俺は...もうしばらくここにいる。」
「ありがとうございます。」
俺は部屋を出る。
その時、右手で目元を覆った橘が、ふと視界に映った。
彼の握り締めた拳に落ちる涙が、無機質なタイルの床に散っていくのを見た。
果たして泣くほどのことなのだろうか。
人殺しの飼い犬が少し無茶をしてしまっただけの話じゃないか。
少なくとも、拘置所で聞いた口ぶりは俺をそのように見なしていたように思えたのに。
自分がどうしようもなく冷たく、機械のような心を持った人間であるように感じる。
いや、こんな思考は人をダメにする。
今朝までの自分を捨てるんだ。
そのためにここに来たんだろうが。
引っ掛かるわだかまりを、一旦端へ寄せる。
俺は呼吸を整えてから、出来る限りの早足で部屋を後にした。
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