第4話 軋轢

 急ぎ足で屋上への階段を駆け上がる。

 道中で買ってきた缶コーヒーを手に扉の前で立ち止まり、切れた息を整えて、俺はドアノブを捻った。


 冷水は、まだそこにいた。

 屋上を取り囲むフェンスに身体を預けながら、流れる雲を上の空で眺めている。


 時々頭をかきむしっては、溜め息をつく。

 理由がなんであれ、まだ初日。

 身内とのいざこざは避けたいんだ。

 謝らなくては。


「....あの。」


 気が緩んでいたのか、ビクッと肩を跳ねさせ、俺だと見るなりこちらを睨み付ける。


「なにしに来たの。ひょっとして、敗者を煽りに来たってワケ?」


「違います。謝りに───」


「ふッざけんなァッ!!」


 差し出そうとした缶コーヒーに、風切り音を立てながらなにかが勢いよく突き刺さる。

 見ると、それは本物のナイフ。

 冷水が懐から取り出して投げたものだった。


 俺の頬をわずかに切った血と、飛び散ったコーヒーが混ざり、流れ落ちていく。

 傷からその中身を吐き出し切った缶が、カランと甲高く落下した。


「謝るって!?冗談じゃない!!」


「落ち着いてくれ!あれは俺だって、なんで勝ったのかもわからなかったんだ...!」


「ハァ!?だったらあたしは、新入りのガキにまぐれで瞬殺されたって事!?」


「いや違うって、誤解だ....!」


「あたしのドコが間違ってんだよ!!言ってみろよ、あぁ!?」


 ダメだ。

 何を言っても裏目に出てしまう。

 説明のできない、存在していたかもわからないで勝ってしまったんだ。

 互いにとって対等な勝負なんかじゃなかったのは間違いない。


 飛んでくる二の刃三の刃を避けながら、何とかなだめようと言葉を紡ぎ出そうとする。


「避けんなッ!殺す!絶対殺ぉす!!」


「避けなかったら死ぬって...!ちょっ....!」


 俺が避ける度に、投げてくるナイフのスピードが落ちていく。

 涙目になりながらも、冷水は俺への攻撃を止めようとしない。


「くぅっ....!」


 しかしついにナイフ切れを起こし、肩で息をしながら依然こちらを睨み続ける。

 俺はただ、両手を上げたまま降参の意志を伝えるしか、できることがなかった。


 完全にキレている。

 手がつけられないというのは、こういうことだったのか。


 手をこまねいていると、屋上へ通じるドアがガチャガチャと開かれる。

 そこにいたのは、携帯電話を手にし、例の怪しげな刀を背中に提げた橘だった。

 焦りの表情が見て取れる。


「お、お前ら...ヤバっ....って、喧嘩か...?」

「....いや、そんなことより、早く支度しろ!ある現場を調査しに向かった、水上と麗の連絡が途絶えたんだ!!」


 いがみ合っていた二人に、緊張が走る。

 冷水は舌打ちを一つ吐き捨てるように残すと、俺の肩を押し退けながらミルキーブラウンの水溜まりを踏み越え、ドアから猛ダッシュで出ていった。


 わずかに観察できたその口角はつり上がり、まるでなにかチャンスを見つけたかのような笑みだった。


「睦月、これを!」


 橘が懐から取り出した、一丁の拳銃を俺に手渡す。

 かなり年期が入った自動拳銃だ。

 各所に白く擦れ痕が残り、細かなパーツを交換した形跡もある。


「M1911"ガバメント"、45口径。あいつらは射撃メイン、援護には役に立つはずだ。持っとけッ!」


 そして、飛び出していく橘に俺も続く。

 俺が唯一使えそうな例の怪しげな刀は、橘が持っている。


「....橘さんッ、それ、俺が使っちゃダメですか!?」


「ダメだ!まだ認可が下りてねェんだよ!!」


「じゃあなんで持ってきたんですか!?」


「一応だよ一応!...つーか白状すッと、保管庫にしまうの忘れてた!」


「アンタ、それでも課長かよォ....!」


「これでも課長だよッ!馬鹿でも特事でのし上がるのは余裕だって、もっぱら他の奴等ン中で評判だったからなァ!!」


 外へ出るまでの道のりを疾走しながら、緊張感の欠けた下らない問答をする。


 俺は鍔鳴りを響かせる刀を一瞥した。

 それはまるで、近づく戦いに歓喜するかのように、リズムよく規則的に、カタッカタッと金属音を鳴らしている。


 そして改めて、この課のアクセスの悪さに絶望しつつある。

 俺達はようやく、エントランスへのエレベーターに乗り込んだところだった。


 膝に手をつき、ぜえぜえと息をする二人。


「はァッ、はァッ....あー、走ると堪えるぜ...煙草やめるかァ...?」


 すると、橘の携帯に着信が入る。


「ハイ、もしもし!?」


『ちょっと、まだ着かないんですか!?あたしもう待ってるんですけど!!』


 相手は、すっかり痺れを切らした冷水だった。


「悪い悪い....ちょっと、な...」


『煙草バカバカ吸ってるからだってーの!!早くしないとボンネットに蹴り入れますから。』


 通話がブツッと打ち切られる。

 橘はやれやれといったように首を回し、開いた扉から外へ飛び出す。


 すれ違い様に肩をぶつけた刑事たちの冷ややかな視線を振り切り、俺達は駐車場にて待つ冷水と、橘のセダン車の元まで向かう。


 待っていた冷水は靴先をツカツカコンクリートに打ち付け、苛立ちの向ける先を探しているようだ。

 俺達は車に乗り込み、シートベルトを締めながら冷水の悪態を受け流す。


「ったく、遅すぎ!!緊急事態なのにマジでありえませんって!!」


「悪かったって。睦月に武器渡してたら遅れたんだ。」


「武器?アンタなんかで十分じゃないの?」


 俺を睨み付けながら、先刻の試合結果を交えた皮肉を浴びせる冷水。


「おい、今から現場を向かうんだからいちいち噛みつくな!その喧嘩ッ早い性格直せ!」

「だから婚期逃すん───」


 間髪入れず、冷水がシート越しに橘の後頭部めがけて蹴りを入れる。

 衝撃で頭がガクンと前に動く。


「ぐァッ!?痛ッてェ!!ヒールで蹴り入れんな!」


「死ね。」


「....今のは橘さんが悪いっす。」


「知ったよーな口利くな不破ァ!!」


 俺は拳銃の持ち具合を確認、冷水は持ち込んだサブマシンガンの銃床を折り畳み、準備はとりあえず完了。

 ヒートアップする騒がしさをそのままに、俺達は現場へ急行した。




 ─────────────────────




 ────1時間前、某廃工場前。


「嫌な雰囲気ッスねー、水上センパイ。」


「...ああ。」


 俺達は、ある廃工場に来ていた。


 かねてから起こっていた不審人物、武器の売買現場の目撃。

 そうしてかねてからマークされていたこの廃工場へ、警官隊が踏み込んでから約数十分。


 断続的な銃声、出所不明の風音を残し、通信が途絶えた、と。

 そこで特事課ウチにお呼ばれがかかった。


 今は任務中だが、やはり不破が気がかりだ。

 どうして倒れたのかはわからないが、とりあえず、回復を祈ることにしよう。


 脇のホルスターに収納した拳銃のセーフティを切り、重い扉をスライドさせる。

 錆びた金属の擦れ合う音が、広い空間に響く。


「うッ...」


 瞬間、鼻をつんざく血の臭い。


 その発生源はすぐに目に入った。

 吊るされた室内灯に照らされ、それはられていた。


 警官隊の死体が大量に積み上げられ、さらに突き立った一本の鉄骨で身体を動かないように固定されている。

 まるでバーベキューの串のようだ。


 散々いたぶられて殺害されたのだろう、死体は全身がズタズタに切り裂かれている。


「うっへぇ、派手にやられてら。」


「戦闘準備。まだ近くにいるかもしれん。」


「はーい了解。」


 ゆっくりと中へ踏み入る。

 気配はないが、飛び散った血がまだ新しい。


 血の付着した位置から、鉄骨は直上から突き刺されたようだ。

 人間の手であんな真似が出来るはずがない。

 俺達を呼ぶ判断をした上層部は、どうやらまだ賢明だったらしい。


 拳銃とフラッシュライトを抜き、手を交差させて同時に構え、周辺を警戒する。

 頭上の足場、空間を隔てる柱、打ち捨てられたテーブルや工業器具。

 身を隠す場所はいくらでもある。


「───うぅわッ!!?」


 突然、叫びを上げた麗が後方へ飛び退く。

 見ると、麗が押さえている肩から出血している。

 先手を打たれてしまった。


「なんだ、何をやられた!?」


「わっかんねェ!!見えないカッターみたいなモンが飛んでくる!!」


 幸いここは静かだ。

 耳を澄ませてみれば、なにかがヒュンヒュンと空気を裂きながら飛び回る音が聞こえる。


 直後、足下が数度切り裂かれ、埃が舞う。

 刃の実体はない。間違いない、だ。


 明らかにこちらをすぐに殺害せず弄ぶために、辺りの物だけを攻撃している。

 動きを牽制され続けるままに、俺達は隅にあるコンテナの陰に追いやられてしまった。


 ふと、こちらを襲い続けていた見えない斬撃が止み、コツコツとこちらに近づく足音が聞こえる。

 足音の主である女は、小さく漏れ出すような笑いを響かせていた。


 拳銃の装弾をチェックし、麗に、指でスリーカウントをする。

 向こうから出てきてくれたなら好都合。

 一斉同時に射撃で仕留める。


 3。


 2。


 1───。

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