#5_秋雨前線

#

「…はい。」


 開いたメッセージの送り主が思った人と違ったとき、私はいつも咄嗟に“やってしまった”と思う。

 メッセージは確認して自分のタイミングで開き、考えた上で返信したいタイプだからだ。少し人より神経質に考えてしまう分、返信に時間がかかる。心を開いた相手には、もう少し早いテンポで返せるのだけれど。

 そしてそれがよく知らない相手だと、こんな風に予想できない行動を取ってくるから困る。


『あっ!出てくれた!』


 すぐに既読を付けて返信をしないままタクシーアプリを開き、近くのタクシーを探していると、菊池くんからの着信。

 もう既読にしてしまったメッセージはスルーして、家に帰ってから返信すればいいと思ってたのに。


『アキさんいつも既読付くの遅いから…。』


 そう言われるとなんだかこちらが申し訳なくなってしまうこの弟っぽい甘え方、ちょっと熟知しすぎている感じは否めないけれど、きっと根が素直な子なんだろう。このタイミング逃したくなくて電話しました!と菊池くんは無邪気に笑う。

 これまでのやり取りも含めて、菊池くんが私に少し好意を寄せてくれているだろうことは分かっている。


「ごめんね、ちょうど調べ物しようと思ってスマホ開いてたから。」


 忙しいふりをして誤魔化そうとするも、タクシーはなかなか迎えには来てくれない。


「アキー。電話だれー?」


 すると後ろから、喫煙所にいたはずの宗介が私を呼ぶ声。朝まで過ごして別れた後、こんなに短時間で再会するのは初めてだ。

 おっさんにタクシー譲ったところから見てたー、と言う宗介が近づいてくる。やたら大きな声で。タバコの匂いがすぐ近くまで来たところで、その煙たさとわざとらしい声を手で払う。


「…何してんのよ。」

「なんか朝からびっくりしすぎちゃう?」

「うるさい、ちょっと静かにして。」


『あ…、誰かと一緒ですか?』


 宗介とのやり取りを遠くで聞いていた電話越しの菊池くんの声が、何故か大袈裟に響く。


「あー、うん。ごめん、今ちょうど人と別れたとこで。」


 もう、なんでわざわざ声をかけてくるんだろう、嫌がらせ?いや、それは今置いておいて、私はなんでか電話の向こうの菊池くんに言い訳しなければ、という気持ちになっている。

 時刻はまだ、午前11時を回ったところだ。

 土曜日の午前中に、男女が今から別れるところだなんて言えば、暗に昨晩の出来事を報告してしまっているのと同じじゃないだろうか。なんか私、二股でもしてたっけ?と錯覚する。


「それで、どうしたの?」


 宗介に驚かされて余計なことを口走ってしまった動揺を隠したい。さっさと要件を聞いてしまおう。


『あ、えっと!実は今日…。』


「なぁ!タク来たけど乗らんの?」


 宗介の電話相手に聞こえるように話す大袈裟な関西弁が、わざと謎の独占欲をアピールしてきていることに気付く。

 私の周りにいる自分の知らない男に嫉妬するだなんてそんな感情が、この男にもあったのか。

 男がいつまでも、別れた女はまだ自分に好意があると思っているというのは本当なんだな。


「…先乗っていいよ。」


 付き合ってるときもこのくらい分かりやすければ良かったのにと思いながら、さっさとこの場から離れてほしくて、私はわざとらしく笑顔を作ってそう言い放った。

 宗介がタクシーの運転手に行き先を告げているのを背中で聞きながら、友達が出店している食フェスイベントに一緒に来てほしいと言う菊池くんの話に耳を傾けていると、宗介が足元に置いていた私のバッグを持ち上げる。


「ちょっと!」


 着替えや化粧品の入ったバッグは、貴重品とまではいかなくても、無いと困る。


「送ったるやん。」


 私にとって“無いと困るもの”ってなんだろう。化粧品のように一気に失うとそのとき困りはするけれど、また買い直せば済むようなものしか持っていないような気がする。


「菊池くんごめん、とりあえず今から向かうね。どこ行けばいい?」


 バッグを取り戻すために宗介の後を追うようにタクシーに乗り込み、行くつもりはおろかすぐに連絡を返すつもりもなかったはずの誘いに乗る羽目になった。

 すべて最後は自分の意志で決めているのは分かってるのに、どこか人のせいにしてしまうのは、私の悪い癖だ。


#

「…付き合うん?キクチクンと。」


 菊池くんとの待ち合わせ場所まで、タクシーでの移動時間はわずか5分。


「なに、まだ私のこと好きなの?」


「好きやけど。」


 ほんの冗談のつもりで質問に質問で返すと、予想と違う宗介の言葉。返ってきたその言葉にまたびっくりして笑っていると、宗介は「てか俺、嫌になったとか言ったことないやん」と拗ねた口調で窓の外を見る。

 その子どもみたいな表情を見て、あぁこの人は昔から照れ屋だったなと思い出す。


「でも言わんかったら秋桜が他の男んとこ行くんやったら言うわ。」


 こんなときだけ、名前を呼ばないで。

 30を過ぎた男女の大人が、なんでこんな小恥ずかしいやり取りをタクシーの中でしているんだろう。


「とりあえずまた連絡するわ、誕生日プレゼントも持ってくんの忘れたし。」


 菊池くんとの待ち合わせ場所に着いたところで、プレゼントを用意したと言う宗介にまたびっくりする。昨日は急に連絡来たから、と私のせいにされたけど。

 こっちも恥ずかしくなって、ホンマに今日はびっくりさせすぎちゃう?とおちゃらけてみると、「関西弁いじんなや、はよ降りろ」と笑われた。


 宗介とは付き合っていた期間より友達だった期間のほうが長く、それ以前に付き合っていた女性も知っているし数年会わない時期もあった。

 今更、まったく会わなくなることは想像していなかったけれど、男女が“付き合う”ということはそういうことなのかもしれない。

 一度付き合ってしまえば、関係が終わるのか結婚という形を迎えるのか。特に20代後半からここ数年は、年を重ねる毎に関係性に名前が付いて、それが変化することを意識する癖がいちいち付き纏う。


〈もうあと1分で着きます!!走ってます!〉


 タクシーからそそくさと降ろされ、今から会う年下の男と元カレの顔を交互に思い浮かべながら歩いていると、年下の男のほうからメッセージが届いた。


〈なんかドラマみたいな展開来ました♡〉


 菊池くんには〈ゆっくりで大丈夫だよ〉と返信し、私は考えることを放棄したくて、ハルにふざけた文面でメッセージを送りつけ、菊池くんが到着するのを待った。

 そしてハルは、私よりも既読をつけるのが遅い。

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