#6_食欲の秋

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「アキさん!!」


 1分で着きます!とメッセージが送られてきたあと、彼がこちらに向かって本当に走ってきたことが恥ずかしくて、遠くから大声で叫ばれた名前にも、「お待たせしてすみません!」と言いながら切れた息を整えるために漫画のように休憩している姿に、私は何故か少し苛立ってしまう。

 それは私が、菊池くんの前で自分を取り繕わなくても、本音を隠して良い女を演じなくてもいいと心の底から思えるからだろう。

 それに菊池くんはきっとこのあとすぐ、私のこの苛立ちの原因を知ることになる。


「え!?嘘やん!!彼女!?!?」


 その友達がやっているというお店に並び、順番が来るや否や、菊池くんの友達だとは思えないほど細身でスカした風貌の男。先程まで「かっこよくない?」と騒ぐ女の子たちに無愛想な接客をしていたとは思えないテンションで私と菊池くんの顔を交互に見る。


「だーー!うるさいって!違うから!まだ!」


 菊池くんがそう言うと、更にテンションの上がったその男は「初めまして、永瀬です!こいつとは大学からの友達で!」と菊池くんの素直でベタな好意の出し方とは裏腹に、茶化すような笑顔で自己紹介をした。


「初めまして、辻です。…永瀬くん、は関西人?」


 そのイントネーションが、いつさっきまで一緒に居た苛立ちの原因である人を嫌でも思い出させてくる。でももう大人なのでね、そう心で唱えながら、二人とそつない会話を交わす。


「あ、そーなんすよ!てゆうても中学まで大阪におっただけで、そっからはずっと東京っす!」


 だからここで、お好み焼きを焼いてるのかな。中学までしか住んでいなくても、その土地の名物のお店を出すほど思い出を大切にする人なんだろうか。そんな風には見えなかったと、珍しく自分の第一印象の読みが外れた原因を考えながら、宗介の"また連絡する"という言葉を無視するように「大阪には行ったことないなぁ」と、また会話を交わした。


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 永瀬くんがもはや全メニューを「サービスするから食うてみて!」と菊池くんを言いくるめて買わせたお好み焼き、とんぺい焼き、そして焼きそばがテーブルに並ぶ。

 昨晩二人でウイスキーを1本飲んだ私の身体には炭水化物の暴力だ。


「さっきの電話のときの、」


 …来た。今日のこの状況で質問されるだろうことは大方予想がついている。

 この会場でこれだけの炭水化物をたくさん広げているテーブルは、心なしかそれだけで目立っている気がする。


「彼氏、ですか?」


 私は、その質問もある程度想定していたし、もう答えも用意している。


「ううん、元カレだよ。」


 わざとあっけらかんと答える。私がこうやって開き直った態度を示せば、この手の男の子は引くか身体だけの関係でもイケるじゃんと安っぽく褒めて迫ってくるかのどちらかだ。


「あっ!そうなんですね!!」


 しかし菊池くんは何故か今、目の前でパァッと満面の笑みを浮かべている。そしてその顔には“良かった!!やっぱアキさん彼氏いないんだ!!”と書いてある。想定していたリアクションが外れ、また調子が狂う。

 初めて会った日、たしかに話の流れでナツさんも私も彼氏はいないという話はしたけれど。

 今朝、宗介とのやり取りを電話越しに聞いて、確実に気づいているだろう元カレとの関係について面と向かって核心をつく質問ができるこの男は、もしかするとすごく自分に自信があるのだろうか。


「もう俺、言っときますけど、アキさんとお付き合いがしたいです。」


 …いや、何も考えていないだけか。


 急に真剣な顔をして背筋を伸ばし、そんな告白をされても、ここは日比谷公園で行われている食フェスイベントのフードコートのド真ん中だ。ムードもへったくれもない。


「…ハイ、ありがとう♡」


 周りのカップルや夫婦が少し聞き耳を立てたのが分かる。私はにっこり笑って首を傾げてみせ、告白をただの告白として受け流すことにした。


「ひどい!俺の愛の告白を!」


 本気ですから!と必死になる彼にますます周りの視線が痛い。


「分かったから、とりあえずそのうちまたここじゃないところで話そうね。」


 と言ったところでやっと周囲を見渡した菊池くんが大人しくなり、「でもひとつだけ聞いていいですか」と身を乗り出し、菊池くんなりにボリュームを抑えた声が近づく。


「…俺じゃなくても。これから、アキさんが誰かと付き合うことになったら、もうその元カレには会わないんですか?」


 友達だった宗介と、もう会わない覚悟を持たぬまま簡単に男女の関係を始めてしまった自分の浅はかさを指摘された気がした。

 でもそう聞かれると同時に、別れを選択すればもう二度と会わないと決めなければならない人間関係をわざわざ生む“恋愛”の必要性というものが、ますます分からなくなってしまう。


「会わない、んじゃないかな。もう友達には戻れないだろうし。」


 次に付き合う人が嫌がれば連絡先も消されるパターンだってあるしね、と笑いながら、なんで付き合うことになったんだっけ?と去年の4月頃の、記憶の中のアルバムをめくる。


「そういえば、付き合おうとは言われたけど、好きだとは言われなかったし。」


 と言ったところで、タクシーの中で言われた宗介の言葉が頭にこだまする。


「…でも、別れたいって言ったときも引き止めたりもされなかったし。」


 必死になってくれない人なんていらない、と自分に言い聞かせるように口から出る言葉。

 宗介は喧嘩をしてもいつも自分のことを話してはくれず、言い合いにすらならなかった。次第に私も気持ちを伝えることを諦め、友達に戻りたくなって別れを切り出した。それを本人に伝えもしたけれど、最後まで宗介は何を考えているのかさっぱり分からないままだった。


「アキさんのそれって、寂しかっただけじゃん?」


 お好み焼きにマヨネーズをかけながらそう言い放った菊池くんの言葉に、目を丸くしてしまう。寂しかったからだなんて一度も思ったことがない。

 ふと我に返れば、なぜ半年前に別れた男の話を今自分と付き合いたいと言う男の前で説明してるんだろう。変な光景だ。


「自分が誰かの特別になれないってのが、寂しいんだよ「虎太郎くん。」


 遮るように菊池くんの名前を呼ぶ。


「…はい?」


 いきなり私が下の名前で呼んだことに、何故かあからさまに嬉しそうなニヤけた表情。この子はMなのかな。


「ハイボール、買ってきてよ。」


 予想できない行動を取ってくる年下の男の子に、これ以上心を乱されたくなくてそう言うと、無意識に敬語を使わずさらっと言い放ったことなどすっかり忘れて、喜んでハイボールを売っているお店を探しに立ち上がって行った。

 ハイボールのお使いに出た子の背中を眺めながら、手持ち無沙汰になって開いたスマホには50数件のLINE通知。

 それは私からのふざけたメッセージを見たハルが、そのあとの情報がないことに退屈して、“春夏秋冬”のグループラインに横流しした証拠だった。

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