#4_女心と秋の空

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 やけにハリのあるシーツが肌に当たる感覚で目が覚める。その固くハリのある真っ白なシーツが、ここが自宅ではないことを思い出させる。

 まだ6時半…。時刻を確認したスマホは枕元で充電していたはず。充電器はいつのまにか、勝手に抜かれたようだ。


 その顔に似合わず、隣で静かに寝息を立てて眠っている男を起こさないようにベッドを抜け出し、シャワールームへ向かう。

 近くにカフェあったっけ…。コーヒー飲みたいなぁと、脳内で昨晩ここまで歩いた周辺の記憶を辿る。東京に住みながら、こうして週末に都内のホテルに泊まり旅行気分を味わうのが好きだ。もっとも、"誰か"が居ないと泊まりには来ないのだけれど。


「アキ。」


 シャワーから出ると、歯ブラシを取りに来ただろう男の声にひどく驚く。


「びっ…くりした。起きてたの?」


 普通にシャワーされたら音で起きるわ、と関西弁で笑うこの男とは、半年前まで付き合っていた。いつからいつまで、どんな風に付き合っていたかはうまく説明できない。

 気を遣って静かにベッドから出たのに、シャワーの音の調整なんて出来ないじゃん、とムッとしたところで歯ブラシを口に咥えたまま出ていった背中に「タオル取って」と言いかけてやめた。湿気で見えなくなった鏡でとりあえずのスキンケアを済ませ、濡れた髪のままバスローブを羽織り浴室を後にする。


「ウーバーするけど、なんか食べる?コーヒーだけでいい?」


 勝手に抜かれた私の充電器は、ウーバーイーツを検索するスマホに繋がれていた。

 こういう、人の欲を見透かしたようなところが居心地よくて、断る気にならないのだろうか。もう会わないだなんて宣言する理由も特にない。付き合っていたときと変わったのは、業務報告のようにしていた朝晩の連絡がなくなったことくらいだった。

 所詮、男女の繋がりなんてそんなもののように思う。


 でも私は、コーヒーが飲みたいタイミングを絶妙に察してくれる男よりも、一夜を共にした翌朝くらいは毎回「おはよう」と優しく髪を撫でてくれる男がいい。


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「下、取りに行ってくるわ。」


 私と違い5分でシャワーを済ませ、私に確認を取ることもなくオーダーを飛ばした宗介は、私がラテしか飲まないことを知っている。一言そう言って、振り返ることなく部屋を出てロビーへ向かった。

 そのあいだに化粧でもしておこう。べつに彼に褒められるためではない。私は私のために、休日でも少し化粧をしておきたい気分だっただけだ。

 昨日二人で飲んでいたウイスキーのボトルとペットボトルの炭酸水を押しのけてバッグを開き、化粧ポーチを取り出す。アイラインを会社のポーチに入れて忘れてしまったことに気づき、私のためにしたかった化粧のやる気が薄れた。

 いつもより軽めにした化粧が終わる頃、宗介が安っぽいペーパーバッグを持って戻ってきた。


 ドレッサーの前でドライヤーをしながら、テーブルに置かれたペーパーバッグとその気配にお礼を言う。数秒待ってみても、肩を叩いて手渡してくれると思っていたラテが届かない。

 宗介、そんなにお腹空いてたのかな。オーダーしてもらって取りに行ってもらっておいてアレだけど、相変わらず勝手な男だな。次付き合うならやっぱり、ドライヤーが終わるまで待って一緒に食べようと言ってくれる男がいい。髪を乾かしてほしいなんて、もうそんなドラマみたいなことを夢見たりはしない。

 今現在そんな男の気配なんてひとつもないのに。余計なことを考えて虚しくなってしまう前に髪だけ乾かそう。てかなんでドライヤーしてるときって目瞑っちゃうんだろ。


「っ!そうすけ、」


 宗介が随分早くロビーに降りて行った理由は分かっている。私は、このタバコの匂いが嫌いだ。

 ドライヤーを冷風に切り替えたタイミングを見計らうようなこの男のタバコの匂いに気付いたときには、バスローブの中に宗介の右手が滑り込んできていた。その手の体温は、まるで子どものように温かい。


「今化粧して髪も乾かしたのに。」


 拒否する気なんて今更ないくせに、口をついて出るのは可愛くない文句ばかり。


「チェックアウトまでまだ時間あるやろ。」 


 可愛くない私に慣れている宗介は、私の文句を軽く流す。ちょっと待って、と髪を乾かし終えたい私の手からドライヤーを奪い、宗介はイタズラっ子のように笑う。先に飲み始めたブラックコーヒーと嫌いなはずのタバコの味で口を塞がれると、ほんの少しだけ残っていたはずの抵抗する気力も失せ、私も欲望のスイッチが入った。


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 恋だの愛だの、10代の頃からあまり興味はなかった。


 自分以外の誰かに心をかき乱されるなんて不愉快だし、そんな風に他人に振り回される自分も想像できなかった。

 ド田舎でも大都会でもない場所に生まれ、今思えば何不自由なく、家族みんなに愛されて育った。年を取っても仲のいい両親に育ててもらったはずなのに、私はどうしてこういう恋愛観を持つ女になったのだろう。


 昨日の夜は前々から両親が弟夫婦と食事をすると聞いていたけれど、その中に混じるのも、一人で食事に出かけるのもあまり気分が乗らなかったから、宗介に連絡してみただけ。


「お前から誘われたのってめっちゃ久しぶりやんな。」


 宗介はほぼ毎日どこかで飲み歩いてるから、昨日もどこかに居るかなって思っただけ。本当に、それだけ。


「…お前って言わないで。」


「お前が前みたいにそうちゃん♡って呼んでくれたらやめるわ。」


 わざと大袈裟に肩をすくめて、昨夜からシーツの中に埋もれているお互いの衣類を探す。


「そんなハートマーク付けて呼んでたように聞こえてたとしたら、ものすごく恥ずかしいんですけど。」


「俺にはそう聞こえてたんやけど。いつもめっちゃ可愛かったやん。」


 だとしたら、今までと今のこの関係は何を以って区別するのだろう。

 そして一応別れた今も時々こうやって呟く、宗介の「可愛い」には何か意味があるのだろうか。


「…このあとは?どっか行くん?」


 車ちゃうから送って行けへんけど、と付け加えられ、化粧しておいて良かったと思った。


「買い物でも行こうと思ってたけど…、疲れたし帰ろうかな。」


 疲れさせてごめん、とまたいつものイタズラ顔に戻った宗介は、またタバコを吸いたそうに私の支度を待っている。

 帰り道にお気に入りのカヌレでも買って、今日は家で洗濯でもしてゆっくりしよう。

 部屋を出てエレベーターを降りるあいだ、もちろん以前のような甘い雰囲気も、離れ難く繋がれる手もない。宗介の両手にはスマホとタバコが握られている。


 そして、喫煙所に入っていく宗介をその匂いの届かない場所で待っていた私も、もういない。

 喫煙所の中で、スマホに目を落としていた宗介が私の視線に気づいたかのようにこちらへ向き、不思議そうな顔をしながらスマホを持つ手の指を数本だけあげて手を振る真似事をした。

 その適当さに別れた理由を思い出し、「またね」とメッセージを送った。


 1台だけ停まっていたタクシーに乗り込もうとしたとき、後ろからすごい勢いでビジネスマンが走ってきた。

 急いでないのでどうぞ、と譲ったところで届いたメッセージ。宗介からだろうと通知をタップして、タクシーを探しに通りに出るかここで待つか悩みながらスマホに目を落とした。


〈アキさん!いきなりですみません、、、今日って時間あったりしませんか!〉


 開いてしまったそのメッセージの送り主は、菊池くんだった。

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