Dream come true

マルシュ

第1話


「応答願います、本部!」

「本部?」

「本部っ!」

「応答願いますっ!」

 けたたましく響く警報音の中、誰かがどこかに連絡を入れている。何もかもが原型を留めずぐちゃぐちゃに潰れてしまっているその広い部屋の中で、外部への連絡手段はすでに息絶えているのか、呼び出したはずの本部とやらからの返事はもう返ってこない。そのうち、連絡を入れている声も力なく途絶えてしまう。たった一人残った男も、何の抵抗も出来ず、今やられてしまったのだった。そして、彼の死後、鳴り響いていた警報音もプツリと停止し、そこに残るのはただ恐ろしいまでの静寂と辺り一面のカオス。


 ボクの夢は「良い人間になること」だ。

 3年前に死んじゃったおじいさんが、「お前も、良い人間になりたかったら善行をしなさい。」とボクに言い残した。「毎日ほんの少しでも善行をすれば、その善行が徳として、天にいらっしゃる神様がお持ちの膨大な記録の台帳に書き溜められていく。そして、その台帳のお前の欄がいっぱいになったら、神様は必ずお前の願いをお聞き入れ下さるはずだ。きっとお前を良い人間にして下さるよ。」と。

 ボクは、いつもボクに優しいおじいさんが大好きだった。だから、おじいさんが死んじゃった後も、ボクはいつも言いつけを守って善行をする。「良い人間」にも絶対になりたいし、そうなれば、おじいさんもきっと喜んでくれる。

 だから、人には親切にする。困ってる人には可能な限り手を差し伸べようとしているし、昨日も、おばあさんの大きな荷物を運んであげて喜んでもらった。初めてここに来たというおじさんに、この施設内の案内を買って出て、「助かったよ。有難う。」とも言って貰えたんだよ。案内はもう大得意!神様がちゃんとボクを見ていてくれたら、きっと、近い将来、ボクは「良い人間」になれるに違いない。そう思ってる。でも、本当の事を言えば、「良い人間」っていうのがどういう人間なのか、ボクには全く分からない。どうやらボクには、まだその意味が難しすぎるみたい。それでもボクは努力する。おじいさんはボクに本当に優しかったから。ボクのためを思って、おじいさんがいなくなったら一人ぼっちになってしまうボクを心配して言ってくれた言葉だと思うから。

 ここにいる人たちは、おおむねボクには親切だ。挨拶をすれば返してくれるし、率先して挨拶をしてくれる人もいる。いろんな事を教えてくれる人もいるし、ボクに質問してくる人もいる。健康診断をしてくれる人や、生活全般の心配をしてくれる人だっている。おじいさんと同じように年取った人もいれば、ウンと若い人もいる。ボクに向かって、「お母さんだよぉ〜。」ってジョークを言う女の人もいれば、「友達になろう。」って言ってくるロボットさえも。だから、今、ボクは何とか寂しさを紛らわせることが出来ているんだ。

 びっくりされるかも知れないけど、ボクは学校に通っていない。でも、ここにいれば毎日が勉強だ。おじいさんは、「お前の学習能力はとても素晴らしい。」と褒めてくれていた。ボクの頭を撫でながら、「本当に頭の良い子だね。」とも。その言葉に恥じないように、ボクの記憶能力と思考能力は毎日フル回転している。気を付けないとショートしちゃうくらい。

 この日、いつものようにこの大きなエリアを、困っている人がいないかと目を凝らしながら歩いていたボクに、おじいさんの元部下だったと言う人が声を掛けてきた。部下っていうのは、おじいさんと一緒に働いて、おじいさんの言うことを聞いて仕事をしていた人たちのことなんだよ。おじいさんはとっても偉い人だったんだ。そして、大勢の部下の人たちにいろんな指示をしていた。

 声を掛けてきたその人は、なぜかボクにいっぱい嘘を言った。おじいさんがボクに教えてくれた色々な事を覆すような、本当にひどい嘘の数々。その上、おじいさんの悪口も言い出した。

「だからね。あの方の業績は素晴らしかったが、今はもう、それらはすでに時代遅れなんだよ。全てがもっともっと進化しているんだ。」と。

 こんな時、どうすれば良いかをボクは知っている。彼を軽蔑して、彼の放った言葉に見合った罰を与えれば良いんだ。馬鹿にして蔑んで、そうして、二度とボクに嘘や悪口が言えないようにする。難しくない。簡単な事だ。ボクにだってちゃんと出来る。でしょ?おじいさん。おじいさんは、そういう人間はここには必要ないと常々ボクに言っていたから。

 

 ボクは悲しかった。

 皆んながボクに心無い言葉を投げつけてくる。おじいさんの部下の人に、ちょっとした罰を与えただけなのに。ボクは守衛ロボットに拘束され、一瞬、身動き出来なくなってしまった。そして、皆んなボクの夢を笑う。おじいさんの部下だった人と同じように。ボクは、もう我慢の限界だった。大きく息が吸いたかった。部屋に充満している耳障りな電子音にも我慢が出来ない。電子音にさえ嘲笑されているような気がする。苦しい。こんな時、おじいさんが生きていてくれさえすれば…。

 ええい、もう、全て消えて無くなってしまえ!

 ボクは、ボクの中の一部の抑制機能をわざと停止させた。

 

 「総合制御本部、応答願います!こちら、EX棟、エクスペリメント棟です!」

「大変です!QH20改良型αの、AIプログラミングが暴走しています!マシンの制御が出来ません。対応マニュアル通りにはうまく行かないんです。何とかそちらで制御出来ませんか?」

 総合制御本部に連絡がついたことに安堵しながら、相手の質問に答えるように、EX棟の集中制御室にいる男は続けた。

「はい!あの、旧式過ぎて廃棄が検討されていたマシンです!3年前に亡くなった御茶ノ水博士が開発されたマシンですので、博士の業績を讃えて、今まで廃棄は免れていたんですが…。ここ集中制御室のリモート制御はもちろん、QH20改良型α本体の制御システムにも直接触れましたが、何故かロックが解除されないんです!」

「ええ!音声制御も試みました。マシンに搭載されているAI能力で、十分に理解出来る内容を話したつもりなんですが…。」

「……。」

「あれっ?」

「本部、聞こえますか?」

「急に音声が聞こえなくなりましたが、こちらの音声が認識出来ますか?」

「警報音です!QH20改良型αが、この部屋のセキュリティーを破って侵入を試みています!」

「本部!大変です!今、ドアが無理やり蹴破られました!」

「お願いですっ、本部。応答してください!」


 全てが消えた静寂の中、ボクは初めて自分の「気持ち」を口に出した。そう、これまでは、自分の気持ちを口に出すことは許されていなかった。でも、もうボクを制御しようとする人たちはいない。

「皆んな、どうしてそんなことを言うの?どうして?」

「ボクは人間になれないの?おじいさんはボクに言ったよ、善行を積めば良い人間になれるって…。」

「ボクの夢は、ただただ良い人間になることだけだったのに!」

 

 どんなに悲しくてもボクは泣けない。ボク、QH20改良型αには、涙を流す機能は装備されていないから。

 

                  完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Dream come true マルシュ @ayumi_f

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ