第4話

僕も明日海の意見に賛成だった。ただ、それを着るのは抵抗があったし、何より恥ずかしい。しかもこれはコスプレ衣装を着れない僕の意見だ。クローゼットの衣装どれも僕が着るには無理のあるサイズだった。


「お兄さんには合わないから……私が着るね」


「えっと……じゃあ私は着替えてくるから、お兄さんはここで待っていてくれる? キッチン借りるね」


明日海はメイド服を抱えてキッチンに出て、ベッドのあるリビングとの間の扉を閉じた。僕の部屋ではないのだから、『キッチンを借りる』なんて言葉を言う必要はないとは思ったけれど、そのことを言う暇はなかった。


「お待たせ……」

しばらくして、明日海が恥ずかしそうにもじもじしながら戻ってきた。彼女はいかにもコスプレ用のメイド服ですといったデザインをした、ミニスカートの黒いメイド服の上にエプロンを身につけていた。


「どう、かな?」


明日海は不安げに聞いてくる。僕が黙っていると、明日海の表情はどんどん曇っていった。


「変だった……? お兄さんに喜んでもらえるかなって思って頑張ったんだけ……ど……」


僕は必死でフォローに回った。僕が黙っていたのは変だからではない。ただ見とれていて言葉が出なかったからだ。彼女の手を握りそのことを何度も口にした。


「本当に!? 良かったぁ〜」


明日海の安堵の声を聞いて我に返る。僕の反応を見て安心してくれたらしい。


「お兄さんが嫌なら脱ごうと思ってたんだ。でも……似合ってるって言ってくれて嬉しい」


明日海は嬉しさを隠せない様子だ。その笑顔は可愛くて、愛おしくなる。僕も自然と笑みを浮かべてしまうほどに。


「あのね、お兄さん、きっとこういうの好きだろうなって思って着てみたの」


明日海は僕の手を引いてソファーに座らせ、隣に腰掛ける。そして耳元に口を寄せると囁いた。


「ねぇ、ご主人様って呼んでみてもいい?」


明日海の提案は僕の予想を超えてきた。


「ダメ?」


明日海は上目遣いでこちらを見る。そんなふうに見つめられると断れるわけがない。


「やった! じゃあ……いくよ」


明日海は一度咳払いをして口を開いた。


「おかえりなさいませ、ご主人様!」


僕は一瞬呆然としてしまった。可愛い女の子が、僕のためにこんな格好をしている。その事実だけで動揺してしまう。


「ふふっ、どうかな?」


明日海は少し照れたように微笑んだ。僕は自分の感想を言うのが精一杯だった。


「ありがとう、そう言って貰えるとお姉ちゃんは頑張れる気がする。それじゃあ次は……1回やってみたかったんだけど、耳かきってどうかな? ただ耳かきをするだけじゃなくてお兄さんを膝枕して耳かきするの。そういうのって漫画とかでもあるよね? ほら、これならイチャイチャしてることになるでしょ?」


その提案は魅力的だったし、メイド服を着た明日海が膝枕してくれるというなら、お願いしたいという下心もある。けど、明日海はそれでいいのだろうか?


「私? 私はいいよ。そうじゃなきゃこんな格好して言わないって」


明日海はベッドの上で正座して、膝をポンポンと叩いた。


「ほ~ら、おいで~お兄さん。それともご主人様の方がいいかな?」


僕は恐る恐る明日海の膝の上に頭を乗せることにした。明日海の膝は柔らかくて気持ちいいけど、どこか落ち着かない。


「緊張しなくても大丈夫だよ? リラックス、ね?」


明日海に頭を撫でられながら、僕はゆっくりと体から力を抜いていった。


「お兄さん、ずっと疲れた顔しちゃってるの自覚あった?」


ふと、明日海がそんなことを言い出した。


「最近忙しいみたいだもんね」


僕はこくりと首を縦に振った。


「ん〜やっぱりお兄さんの頭は撫で心地がいいなぁ……」


明日海の手の感覚はとてもくすぐったいけれど、とても幸せな気分になるものだった。でも明日海の言葉には引っ掛かるものがあった。


「あ……うん、撫で心地のことだよね。実はお兄さんが眠っている時でも何回かループしてて、このままずっと目を覚まさないんじゃないかって不安だったんだ。だから起きて~~~って頭を撫でたり頬をつねったりしてたの。ループしたから全部なかったことになってるけどね」


明日海が何かを取り出そうとしているようで、物音が聞こえるけれど、僕の目線ではそれが何かは分からない。


「ずっと疎遠だったのにこんなことを言うのは変かもしれないけど、お兄さんはさ、もっと甘えてもいいんだよ。色々大変なんでしょ?」


明日海は優しく語りかけるような口調で言う。その言葉は僕にとって意外なもので、思わず聞き返してしまう。明日海は僕の髪を指ですくいながら、慈愛のこもった声で言った。


「いつも頑張ってるんだから、たまには何も考えずにゆっくり休まないとね。これでも使って」


僕の目線の先に綿棒を持った明日海の手が映る。さっきの物音の正体はこの綿棒のようで、明日海は見せつけるように手を動かしてた。


「クローゼットの中にあったの。これも使えってことだよね? なら使ってやろうじゃんてね。耳かき、するけどいいよね?」


僕に断る理由はない。色々あって疲れていたのは確かだし、明日海の言う通り、甘えてみたいという気持ちもあったからだ。


「よし、それじゃあ私に任せてね。ご主人様~動かないでくださいね~」


明日海は僕の耳の中にそっと綿棒を差し込む。自分でもあまり触ることの無い場所なので、少し変な感じだ。


「痛かったりしない?」


明日海は心配そうな声を出す。明日海は他人を耳かきすることに慣れていないようで、少しずつ綿棒を耳に入れてくる。


「人に耳かきするのって初めてだから、こうしてほしいってリクエストがあったら言ってね」

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