第4話 答え

 保健室は、蓮水はすみ目当ての生徒で激混みしている。

 その殆どは野次馬的なもので、養護教諭の久保田先生に追い返されていた。


 僕はもちろん保健室には行かなかった。

 代わりに一人屋上へと向かう。


 昨日眺めるつもりだった風景を、今日こそは拝もうと思って。


 だけど、またもやそこには先客が居た。


 昨日の女子生徒が、今日はスーツに身を包んで。


「いやぁ、あの後加藤先生に滅茶苦茶怒られた。危うく教育実習取りやめになる所だった・・・品行方正って何だろうね? 何が正しくて何が間違ってるかなんて、誰が決めるんだろう。」


 待ち合わせたわけでも無いのに、来るのが分かっていたように自然に話しかけて来る蓮水の隣に、僕はまた腰を下ろす。


「・・・そこに生きる人じゃないですか? だから、場所によって正しさは違うんです。今の僕にとっては、この学校。学校が敷くルールや、先生の思考、生徒の思考。それが正しさの基準です。それが間違っているとは思いませんよ。ただ、問題になるのは、その正しさに疑問を持った人間や、その正しさについていけない人間が出て来た時ですね。何かを変えるには労力が要ります。例えば一高校生の僕が、一人では校則は変えられない。他人の思考を変える程の論破はできない。」


「正しさって面倒だよねぇ・・・」


「そうですか? でも、ある意味では正しさを決めた人間に、僕は感謝していますよ。人って矛盾だらけの存在ですから、決まった正しさが無ければ、正義同士はぶつかり続けますしね。」


「君さ・・・昨日も思ってたけど、賢いよね。」


「賢くはないです。偏屈なだけです。」


「そうかなぁ・・・でも、偏屈って事は、それだけ色んなものを見てるって事だよ。だからやっぱり、賢いって事だ。」


「何ですか? それ。」


 何が面白いのか、ふふっと息を漏らして微笑んでいる蓮水。

 相変わらず、良く分からない人だ。


「で、教育実習生が何故、制服で屋上の安全柵を乗り越えていたんですか?」


「あ、気になる!?」


「まぁ・・・」


「ふふふっ。私ね、一度ここから飛んだことあるんだよね。さっきも言ったけど、この学校は地獄だったからさ。クラスの子も、先生も、親も、友達も、味方なんて一人もいないって分かった時、ここから飛んだの。」


「良く生きてましたね。」


「いやぁ、それがさ。加藤先生に見つかって、助けられちゃったんだよね。ビックリだよ。私の腕掴んで引き上げるとか、ドラマかと思ったもん。あ、でも、腕一本で体重支えるの、滅茶苦茶辛かったからおすすめはしない。」


「悪人教師じゃなかったんですか?」


「違うよ。加藤先生は、生徒思いのいい先生。先生が竹刀振り回したのは、私が体育館裏で暴力的な苛めを受けていたから。加藤先生は、剣道部の顧問で、その日は剣道部の活動日だったの。たまたま片手に竹刀を持って怒ってただけだよ。教師なんか信じるかって思ってたけど・・・加藤先生は誰より真剣に話を聞いてくれたし、怒ってくれた。だから教育実習もこの学校に来たんだ。」


 蓮水は立ち上がって安全柵の前まで歩く。

 昨日乗り越えた場所に手をあてて、何処か宙を見つめていた。


「でもさ、やっぱり大分不安で。だからあの日に戻ってみようかなって、制服着てここに来たの。願掛けみたいなものなのかな。あの地獄から私は飛べたんだって、だから大丈夫だって、思いたかった。」


「成程。どうりで・・・焦って踏ん張るから、死ぬ気ないんだなって思いました。」


「そっ。私は昨日は死ぬ気は無かった。でも、君が来なかったら、死んでたかもしれない。空って不思議な魅力があるからさ、時々吸い込まれそうになるの。」


「それは、何となくわかる気がします。」


「流石! になりたいだけあるね。あの瞬間って何なんだろうね。漠然とした不安に押しつぶされてさ・・・誰かに呼ばれる気がするんだよね。真っ黒で、真っ白で、透明で、美しい、何でもあって、何もない、近くて遠い場所に。・・・ね、君はどうして昨日ここに来たの?」


 少しの沈黙の後、何度目かの質問を、蓮水が投げかけて来る。

 僕はその答えを考えた。



 ――― 死のうとしたことに理由なんてなかった


 だって僕は、一般的には恵まれた、何処にでもいる普通の男子学生だったから。


 だけど死を求めたのは、冗談でも嘘でもなくて

 素直な心の叫びだった。


 僕は、何かに恐怖を覚えてしまったんだと思う。


 それが

 今日が終わる絶望だったのか

 明日が始まる絶望だったのか

 それともその先の未来への絶望だったのか

 それは分からないけれど。


 それすらも考えたくない程に・・・


 ただ逃げ出したかった。

 ただ投げ出したかった。


 ただ、その闇に飛び込んで消えてしまいたいと思ったのだ。



「じゃぁ、どうして今日ここに来たの?」


 答えないでいた僕に、質問を変えた蓮水。

 その答えは簡単だ。


「そんな昨日をうっかり乗り越えてしまったので。」


「あはは。死ねなかったんだ。」


「残念ながら。」


「多分だけどさ、そんな人間、この世界にはごまんといると思うよ? 死のうとしたのに、うっかり生き永らえちゃった人。」


「・・・かも、知れないですね。」


 生きている理由なんて、死ねないからで十分らしい。

 毎日なんて、死ねなかった日の積み重ねで出来ているのかもしれない。


 そうして死ねない間に、人と出会って何かが変わる。

 知らない世界を知る事になる。


 それでも恐怖はやって来て、いつか僕はこの命を、終わらせてしまうかもしれないけれど。


「私がこの学校で教育実習生やってる間は、生きていて欲しい。それが、私のお願い事かな。」


「何ですか唐突に。」


「ほら、だって賭けは私の勝ちでしょう?」


「あぁ・・・分かりましたよ。」


 すっかり忘れていた賭けの約束。

 それに了承すると、何が嬉しいのか蓮水は「やった!」とガッツポーズを作った。


「じゃ、今日の所はこの場所を君に譲ってあげるね。」


 何だか誇らしげにそう言って、蓮海は僕の肩を叩いた。


「私は保健室にいるから、何かあったら是非、話を聞かせてね。」


 そう言って、階段を下りていく蓮水の小さな背中を見つめながら、僕は大きな息を一つ吐き出して、一人取り残された屋上を歩く。



 喜びに満ちた時

 怒り狂った時

 哀しみにあふれた時

 楽しさをかみしめた時

 愛を抱いた時

 憎しみに苛まれた時

 眠りに落ちる瞬間に

 朝目が覚めて


 ふとした瞬間に、この命を終わらせる時が来るんじゃないかと思う。


 それを悪い事だとは微塵も思わない。


 ただ、もしもそれをうっかり乗り越えられてしまったのなら


 今じゃなくても・・・と一瞬でも思えてしまったら


 そう思えた今を、死ねない今を、どうしようもないくらいに情けなく、僕は生きようと思う。


 屋上から見渡した地上には、下校していく豆粒ほどの人の姿。

 見上げた空は夏の色。

 目を瞑り、手を広げ、体中で風を感じた風は大きくて暖かい。


(今ならば何処までも・・・)


 ――― そう、今ならば何処までも飛べる気がした。





―――完


お読みいただきありがとうございました。

このお話はこれでお終いです。

皆さんはどんな生死観をお持ちですか?


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最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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今日を生きる理由なんて 細蟹姫 @sasaganihime

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