第9話 帰郷
伊勢市駅の近く取った宿を早めにチェックアウトした二人は、すぐ近くにある伊勢神宮の内宮に向かう。
内宮は外宮よりもコンパクトであり、平日の朝ということもあって人も少なく、手早く参拝することが出来た。
「内宮も外宮も参拝出来たし、良かったね」
「これで伊勢参りに行ったって言える」
真一と紗織はまだ涼しい朝の空気の中、参拝の余韻を楽しみながらフィアット500に乗り込むと、ディーゼルエンジンの音を響かせながら、真一の故郷へ向かって再び走り出した。
伊勢自動車道に入り、勢和多気ジャンクションから紀勢自動車道を南に向かう。
山間の展望が効かない道路を100kmほどひたすら走ると、熊野大泊インターチェンジで一般道に降りた。
「海だ!」
国道42号線を走り始めてすぐ、紗織が声を上げた。
七里御浜から見える熊野灘は、いかにも太平洋という感じで、力強く波が押し寄せては白く砕けている。
水平線が強い日差しで白く輝き、そこを大きなタンカーが何隻も押し渡っているのが見えた。
「海なら昨日フェリーからいっぱい見たじゃん」
「そうなんだけど、何か違うんだよね。何だろ、目線の高さとか?」
なんとなく紗織の言わんとする事は理解した真一だったが、真一にとっても熊野灘の打ち寄せる波は、昨日見た伊勢湾のものとは一味違っていた。
それはやはり、故郷が近づいているということだろう。
どれだけ愛着が無くとも、幼少の頃から長くを過ごした土地というものは、他の場所とはひと味違うものだ。
やがてフィアット500は熊野川にかかる橋を渡り新宮市へ、ついに新一の生まれ故郷である和歌山県に入ったのだった。
とは言え、新宮市から真一の生まれた田辺市までは、道のりにしてまだ100km近くある。
途中、観光スポットも多いため、せっかく遥々東京からやって来たのだから、出来る限りは寄り道してやろうと真一は考えていた。
すぐ近くに世界遺産の一部である熊野三山の速玉大社もあったが、やはりインパクトは同じ熊野三山の那智大社に譲る。
思いつく全てに寄り道していては、さすがに時間も足りなくなってしまう。
その点那智大社には、単体の滝では落差日本一の那智の大滝があり、これは一見の価値がある。
まだ午前の早い時間帯であり、十分観に行けるだろうと判断した真一は、紗織に那智の大滝を見せるべく、山手に向かうべくハンドルを切った。
あまり山の方を見ないように紗織に告げ、フィアット500で那智大社への坂を登っていく。
山肌には相当な樹齢に達していそうな針葉樹の大木などがそびえ、いかにも霊験あらたかな神域という雰囲気が漂っているように見える。
滝になるべく近い駐車場に車を停め、真一は紗織には滝が見えないようにしながら、手を引くようにして飛瀧神社の階段を二人下りて行った。
しかし見えないようにしていても、まだ奉拝所までかなり距離があるにもかかわらず、滝の轟音と飛沫は否が応にも紗織に滝の存在を知らしめて来る。
「何か…私の知ってる滝の音じゃ無いんだけど…」
紗織の言葉に、さもあろうと満足げに真一は頷く。
真一も初めて見た時はその雄壮な姿に感動したものだし、それ以降に日本国内で見る滝は、どうしても那智の大滝と比べてしまい、若干感動が薄まるという弊害すらある滝だ。
真一は紗織をベストポジションに立たせ、満を持してご開帳を行う。
視界の開けた紗織は、音のする方に視線を向けると目を見開く。
「えっ、すご…」
滝を目にして語彙がバグったのか、気の利いた形容詞が出てこない紗織の様子に満足した真一は、
「これが単一の滝としては落差日本一の那智の大滝です。子供の頃初めて見た時は感動したなあ」
と、昔を思い出しながら紗織と並んで滝を見上げた。
小学生の頃だったので、すでに養父の元にいたのだが、連れて来てくれたのは母親の妹夫婦だった。
その頃は特に疑問も持たなかったが、小学生までの間は長期の休みになると、いつも母親の田舎である日置川町(現白浜町日置川地区)にある祖母の家に預けられていた。
日置川の河口近くにあった祖母の家は、小さな子供にとっては遊び場になる海や川が身近で、真一も幼少の思い出の場所として少しも悪い気持ちはない。
戦争体験者でもある祖母は、よく昔の話をしてくれたし、江戸時代の旅館だったという祖母の家は、骨董品が屋根裏部屋(旅館時代の宿泊部屋)に多く残され、子供の目からはまるで異世界だった。
その祖母も真一が留学中に亡くなり、今は祖母の家ももう無くなってしまった。
祖母の家に預けられている間は、毎日が非日常で楽しい思い出となっている。
しかし今思えばその期間、親たちは何をしていたのだろう?
祖母はよく面倒を見てくれて、昔の話など沢山聞いたこともあり、肉親としての情を深く感じた存在だったが、その祖母からも、何の話も聞いたことは無かったので、今となっては全くの謎だ。
その疑問に答えられるのは今は母親しか居ないが、今では連絡先もわからないし今更会うつもりもないので、恐らく永遠に分からないままになるだろう。
そして分からなくても全く問題ない。
思い出から幼い頃の自分の境遇に妙な疑問が生じてしまいそうだったが、勝手に結論を付けて真一は考えることを打ち切った。
そう、そんな事はどうでも良い。
今は故郷の旅を紗織と楽しむことだ。
「これぞ滝!っていう滝の姿してるだろ?」
「ふあぁ〜、…変な声でちゃった。本当だねえ!」
紗織がこの大きな滝を見て満足している様子に、真一のほうも嬉しい気持ちとなり、連れてきて正解だったなと内心大きく頷いたのだった。
那智の滝を楽しんだ二人は再びフィアット500に乗り込み、その水色の車体を海沿いに南へと走らせる。
途中、まるで沖にある島へ続く橋脚のように奇岩が立ち並ぶ橋杭岩が一望できる道の駅で休憩をはさみ、本州最南端である潮岬にも立ち寄り、視界いっぱいの太平洋を楽しむ。
地球が丸いということが視覚的に実感できることに感激する紗織と一緒に海を見ながら、真一も今更ながらに故郷が他人から見て美しい場所であることに気付かされたような気がした。
潮岬を経て、フィアット500の走る方角は南から北へと転じる。
すさみ南インターチェンジで紀勢自動車道の無料区間に乗り、あまり車の走っていない高速道路を田辺方面へ向かっていく。
左手に、時おり顔を覗かせる海を見ながら近づいてくる生まれ故郷がどんな場所なのか、思いつくまま真一は紗織に話していく。
紗織の方も初めての土地であり、かつ真一が高校生までを過ごしたその故郷が、思った以上に海や山の美しい景勝地が多くあり、自分の暮らした美作とは全く違って変化に富んだ場所に思え、何故今まで来なかったのかと笑いながら真一に愚痴を言うほど気に入ったようだった。
そしてついに二人の乗ったフィアット500は、真一が高校を卒業するまでを過ごした地元である白浜町に到着したのだった。
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