第8話 往路
豊川インターチェンジで高速から降りたフィアット500は、独特のディーゼルエンジン音を響かせて、水色の車体を一般道へと合流させた。
土地勘のない真一は、ナビに従って国道151号線を真っ直ぐ進むことにする。
交通量の多い幹線道路だが、それほど流れは悪くなく順調に進んでいく。
このまま国道247号線に繋がり、突き当たりで国道23号線へと進むつもりである。
流れは悪く無いのだが、時折真一を困惑させるのは、全くウィンカーを出さずに車線変更してくる車が妙に多いことだった。
土地勘が無いので、前方車両との車間距離を若干広く取っているのだが、そこに容赦なく地元の車は捻じ込んで来る。
愛知県の交通事情には明るく無いが、そう言えば車の運転が荒いという噂は聞いたことがあるような気はする。
とは言え、車間距離が広めのところに車線変更してくるというのは、狭いところに来るよりは普通のことだと思うので、普段の自分の運転とは違うところで環境も違うので、噂に聞くような事を余所者の自分には感じやすいのだろう。
夏の陽光が降り注ぐ中で、夏の空と同じ色のフィアット500を西へと走らせながら、真一はそんな事を考えている。
周辺に工場などが目立つようになる中、国道23号線に突き当たり車を左折させる。
豊川橋を渡り国道259号線に入ると、そこはもう渥美半島という事になる。
周辺は徐々に郊外ののんびりした雰囲気を増して行き、畑や緑の多い景色へと変わって来た。
「このあたりはメロンが名産なの?」
「なんか看板あったね。フェリーのターミナルに何かあれば食べてみようか」
そんな事を真一と紗織は話しながら、穏やかな田舎道をドライブしていると、道は海沿いを走り、潮の香りが漂って来た。
そして程なく、伊良湖湾入口という交差点が見えて来て、信号を右折すると正面にフェリーのターミナルが見えて来たのだった。
フェリー乗り場の駐車場入口で、車を停める場所の指示をもらい、受付で搭乗手続きを済ませる。
平日ということもあり、利用者はそれほど多くは無いようで、出航の45分前というのに真一たちが二番手であった。
フェリーターミナルは道の駅にもなっているようで、イートインコーナーもそれなりに充実している。
真一と紗織が、先程看板で見かけた渥美半島のメロンが何か商品に無いか探してみると、案の定メロンソフトクリームが見つかった。
フルーツ産地の名物として、ありきたりといえばありきたりだが、初見の観光客にとっては外せない定番である。
二人はソフトクリームを食べながら、これから乗り込む船を眺めたり、土産物屋を覗いたりして搭乗時間を待ち、予定時刻に車に戻って、係員の指示で船に乗り入れた。
一時間程度の船旅ながら、フェリーに乗るのが初めてだった二人は、さっそく上層階にある展望デッキである特別室のチケットを買い、一通り船内を見てから上部甲板に出てみる。
船はまさに港を離れるところで、船体のサイズからの想像に反し意外に思えるほどの機敏さで、白い航跡を残しつつ渥美半島から遠ざかろうとしていた。
「こういう海の楽しみ方も良いね!」
「本当だなあ、しかも一時間遊んでいれば車ごと移動出来ちゃうんだから、急がないならフェリーとかは上手く使うべきだね」
真一と紗織は、海風を浴びながら船尾へと流れていく景色を眺める。
あまり潮風に吹かれると塩で髪がゴワゴワになりそうだが、思った以上にフェリーでの船旅は楽しめるものだった。
左舷に見える神島に関する三島作品の話などをしながらデッキに戻り、売店で購入した軽食で昼を済ませ、海を眺めながらのんびりと過ごしていると、対岸の鳥羽が近づいて来た。
船内アナウンスに従って車に戻って待機していると、接岸から間もなくハッチが開き、船員の合図と共に真一はフィアット500を三重県に上陸させた。
「おっ、ほらここ鳥羽水族館だ」
「わぁ、今度また来てみたいね」
上陸してすぐ右手に真一もその名をよく知る水族館があり、寄り道したい誘惑に駆られる。
時間はあると言えばあるが、有名で大きな水族館なので一時間や二時間では充分楽しむことは出来ないと考え、惜しむ気持ちはあったが立ち寄ることなく先を急ぐこととした。
鳥羽から伊勢市へと国道42号線、途中で鳥羽松坂線に左折し山道へと入る。
展望も何も無い谷あいの道路を抜けると集落が現れ、すぐに川が見えた。
「これが五十鈴川だな。すぐ上流に伊勢神宮があるよ」
橋を渡ってすぐ交差点があり、左に行けば伊勢神宮の外宮という案内が見える。
「駐車場に停めて、参拝に行こう。その後は門前町の散策だ」
「そういえば神社も門前町って言うのかな?」
「うーん、考えたこともなかったけど…。他に名称が思いつかない」
話している間に、スマホで調べた紗織が、
「神社の場合は鳥居前町って言うんだって」
「なるほどね、知らなかったな。でもあんまり聞かない気もする」
「わたしも初めて知った」
こうして、知って何と言うでも無いことを紗織が調べることは、製氷皿の件で免疫が付いている真一だったが、かと言って紗織は物知りとか雑学に長けていると言うことも無いのが不思議なところだ。
恐らく、瞬間的に知りたい欲求が高まるのだろうが、本当には興味が無いのだろうな、と真一はこっそり分析して面白がる。
そうこうしていると、道路の突き当たりに駐車場の案内があり、真一はフィアット500を適当な空いている場所へと停車させた。
駐車場から歩いてすぐに、伊勢神宮外宮の鳥居があり、そちらに向かって左手に鳥居前町である「おかげ横丁」などが広がっている。
真一と紗織は鳥居の前で一礼し、五十鈴川にかかる木造の「宇治橋」を渡る。
渡り終えて右に折れ、しばらく歩くと御手洗場があり、二人は手と口を清めた。
すぐ傍には河原に降りられる場所があり、おそらく潔斎をする場所なのだろう。
二人は巨木の立ち並ぶ森を縫うように進む参道を歩き、本殿に参拝した。
「さすがに立派だねえ」
参道を戻りながら、紗織が思わずといった風にそう述べた。
真一はそれに素直に同意する。
真一も紗織も、何となく神社という場所が好きである。
静謐な雰囲気、大事にされてきた木や大きな石、あるいは瀧や山といったご神体の存在。
だいたいが古くからそこにあり、脈々と人々が繋げてきた地域の信仰の象徴である。
二人とも人嫌いというか、他人との関わりに積極的で無いくせに、長い時間をかけて紡がれてきた人々の営みというものには好意を持っているのだった。
その後二人は「おかげ横丁」で土産物を見たり、有名な餡子餅のお店を覗いたりして楽しみ、早めの夕食として伊勢うどんの店に入り、奮発して松坂牛の肉うどんを頼んだものの、よく見ると「松坂牛肉うどんは麺は讃岐うどんです」という但し書きがあり、揃って茫然とするなど充分初日の旅の夜を楽しんだのだった。
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