第4話 記憶


「そう言えば一つだけ父親に聞きたかった事があって」

「……うん、どんな?」

「父親の実家に居た間に、貯金箱つくってさ、小銭もらったりしたやつ貯めてて」


 どうかこの話が救いのあるのものでありますように、そんなことを思いながら、紗織は黙って真一の話を聞く。


「ある時『あっ、このお金でお菓子買えるじゃん!』って気付いたんだよね。さっそくお金取り出して、近所のお店に行って買って来たんだよ。それで家で駄菓子パーティーしてて」

「いいねいいね」

「そしたら後で父親にぶん殴られてさあ」

「えっ?…なんで?」

「いや、それが分からないんだよ。小さい子供が自分でお金持って行って買い物した事を怒ってたのか、無駄遣いだって言いたかったのか…。とにかく殴られて、父親は周りの大人に嗜められていたけど。あの時どう言う思いで殴ったのか、それは聞いてみたかったな」


 そもそも自分の子供であろうとも、子供を殴るという事に理解を示すのは難しいが、親としての想いがあっての事なのか、それとも単に感情が先走った結果なのか、それを知りたかったと真一は言っているのだった。


 紗織は真一の言いたい事は理解したのだが、やはり幼い真一がどうにも不憫で、また真一がそれほど深刻に捉えている様子が無いことが、何となく真一の心の翳りを見たようで、それらの出来事をきちんと真一が消化出来ているのか、心配になったのだった。


「お父さんのこと、どう思ってる?」


 紗織は他に良い言い回しを思い付けず、ストレートな表現で真一に尋ねた。

 真一は一瞬、宙に視線を漂わせ、自分の気持ちを改めて吟味している様子であったが、


「正直なところ、何とも思ってないかな…。 愛憎の感情を持つには交渉が無さ過ぎと言うか、どうも思いようが無いと言うか」


 他に言い表しようが無い、という感じでそう吐露した。

 真一の答えは、さもあろうというものだったが、紗織には何となく見えるものがあった気がした。


 きっと真一は、本当はずっと父親が欲しかったのだろう。

 実父とは幼くして離れ、養父も寄り添ってくれるような存在では無かったようだし、真一は父親の愛情というものを知る事が出来なかったのではないか。


 その機会は既に失われ、永遠にそれを知る事は無くなってしまったのだが、このまま時が過ぎるに任せてしまってはいけない気がする。


「ねえ真一さん、お父さんのお墓参りに行かない?」


 紗織は、そうする事で真一の過去に何らかの区切りがつき、真一の心に刺さった見えない棘のような物が取れるのではないか、少なくとも無意味なことでは無いと思い、そう提案した。


「そうだなあ、確かにそれぐらいはしても良いかも知れないな。…でも墓がどこにあるのか、分からないよなあ」

「うーん…そうかぁ」

「でもまあ、取り敢えず分かったら行くとして、とにかく明日から相続関係の手続きを、まずは何とかするよ」


 真一の言葉に、沙織はリビングの壁に掛けられた時計に目をやると、既に日付が変わる手前となっていた。


「本当だ、いつの間にこんな時間。お風呂用意するね」

「ああ、いいよ。俺やってくる」


 紗織を手ぶりでリビングに押し留めた真一は、バスルームに向かいつつ、


「溜まるまでにもう一杯コーヒー飲もうかな」


 とリビングの紗織に声を掛けた。


「はーい、淹れておくね!」


 明るい声でそう応える紗織に真一は感謝を伝え、手早く風呂の用意をする。

 真一は若干強張った空気をかき混ぜるように、そんなやりとりをする事で、いつも通りの自分達を取り戻そうとしたのだった。


「………」


 浴槽にお湯が溜まり始める音を聞きながら、真一は急に身の上に訪れた今日の出来事を、やはりどこかで他人事のように感じながら、温水器の時計で金曜日が終わったことを知った。


 翌朝、先に目を覚ました真一は簡単に身支度を整えると、二人の朝食を準備をするためにキッチンに入った。

 休みの日に食事を準備するのは真一の役割だ。

 特にそう取り決めをしたわけではないが、料理をするのは好きなので勝手にそうさせてもらっている。


 ベビーリーフとレタス、ミニトマトで簡単にサラダを作り、フライパンでベーコンを数枚炒めたら、ひっくり返してその上に卵を四つ割り、ベーコンエッグにする。

 火を通す際に少し水を差して蓋をし、蒸し焼きにすると綺麗に仕上がる。

 バターたっぷりのデニッシュをトースターでサクッと焼き上げてバスケットに盛り、ベーコンエッグも二つに分けて皿に移す。

 市販の野菜と果物のジュースをグラスに入れ、コーヒーも淹れて出来上がりだ。


「ゴハンできたよー」

「はーい」


 真一の声に、ビリーを抱いた紗織がやってくる。

 バターの香りを嗅ぎ付け、ビリーも少しソワソワしている。


「ほら、お前はこっちだ」


 紗織からビリーを受け取り、エサの皿のところに降ろす。

 残念ながらビリーのエサは市販の(とはいえ高級な部類)キャットフードだ。

 ビリーはエサの匂いを嗅いで「え?」というように真一を見上げ、いかにもガッカリしたという表情で、エサを食べずに歩み去っていった。


「あいつめ、最近わがままになってきたな」


 少し甘やかし過ぎただろうか?と考えながら、ビリーが歩み去った方に目をやると、ソファでふて寝とばかりに転がって毛繕いを始めたビリーの可愛さに、今日のオヤツ係は自分が勤めるという決意を真一は固めたのだった。


「取り敢えず、今日は役所が休みだろうから、ネットで手続きとかそういうのを調べよう」


 真一は朝食を食べながら、今日の行動方針を述べる。

 相続に関しては、やはり実父とは言え、これだけ長期にわたる没交渉のうえ顔も覚えていないという状況から、財産の状況如何を問わず、真一の選択肢は相続放棄の一択だ。

 そのために必要な手続きと書類を調べることと、短期間だが子供の自分が住んでいた父親の実家、恐らくそこが父親の終の住処であり、今回の通知に書かれた相続の対象となる資産であろう場所を調べてみたいと考えていた。


「昔居たお家って、今もあるのかな?」

「…なるほど、あの頃でも結構古かった気がするから、建て替えたり、場所が違っているかも知れないな」


 紗織の言葉に、真一の記憶の中にある古い家屋がフラッシュバックする。


 その建物は山の中腹にあり、平屋の母家と離れがあり、風呂も母家とは別棟で拵えられていた。

 母家は玄関を中央に据え、入ると土間になっており、左手が居住区、右手が台所や倉庫という構造の古い建物だった。

 夏目漱石の「こころ」で主人公が四国の実家に帰ったシーンでは、真一は脳裏で、いつもこの建物をビジュアルとして拝借していたのだが、いかにも田舎の古い家という風情で、幼い頃にわずかな期間を暮らした場所にしては、ずいぶんとハッキリした記憶がある場所となっていた。


「ネットの地図で見られるかもな」


 真一は航空写真や車載の360度カメラで道路から撮影された写真が見られる地図サイトのことを思い出し、さっそくPCの電源を入れて見てみることとした。

 市役所から届いた書面に建物の住所らしきものが記載されているが、こちらは恐らく住居表示ではなく地番であろうから、住所検索ではヒットしないかも知れない。

 何より家の場所は概ね記憶の中にあるので、サイトにアクセスした真一はダイレクトに地図を移動させ、拡大して家の場所へと画面を動かしていった

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