第3話 武士の旦那と手代の旦那
「拙者、高良虎之助と申す! どうぞお頼みもうす!」
「あ、はい、よろしくお願いします」
堅苦しい口調に似合わず、合コンの陽キャ見たいな雰囲気で挨拶してきたのは、旦那方の中の唯一の武士、虎之助だった。
(思っていたのとイメージが違う……)
もっとこう、偉そうにふんぞり返って「飯! 伽! さっさとせい!」みたいなのを想像していたのだが。
(国元へ妻子を残して来てるんだっけ。私はさしずめ現地妻って感じかな)
「早速ですまない。拙者の訪問日を変更させてほしい」
「えっ」
他の人との兼ね合いがあるから、スケジュールをあまりいじられると困る。
「一応希望は聞くけど、こっちにも都合があるから……」
「分かっておる、無理は言わん。しかし一の付く日に来てくれと言われても、城勤めの身ゆえここに来れるのは非番の日だけなのだ」
「なるほど」
「十一日と二十一日は無理だ。十日と十九日ではどうだ?」
私は予定を見る。三と五と七のつく日でなければ問題ない。
「うん、大丈夫」
「そうか、すまない!」
虎之助はニカッと笑う。しかしすぐに怪訝な表情になり首を傾げた。
「由香さんは、器量は良いのだが……」
「え? 急に何?」
「その着物のくずし方は、江戸の町人の間で流行っておるのか?」
(ぐっ!)
やはりおかしかったか。おりょうさんにやってもらったのを思い出しながら、頑張ってはみたのだが。
「実は、自分で着たことがなくて……」
「なんと! もしや由香さんは……」
虎之介は私の耳元へ口を寄せて囁く。
「名のあるどこぞの家の姫君だったりはすまいか?」
(お藤さんと同じこと言った!)
しかしお藤さんと違い、虎之介は嫌味でなく本気で言っているようだ。
「まぁ良い。誰しも言いたくないことの一つや二つはあろう!」
(いや、正直に言ったら話がややこしくなるからで……)
「拙者に任せよ」
そう言うなり、虎之助は私の帯をするすると解き始めた。
「えっ、ちょっ、いきなり……!?」
(妾奉公だから、覚悟はしていたけれど!)
「え? あ、違う違う」
虎之助はおかしそうに笑う。
「拙者は衣紋方でな」
「えもんかた?」
「知らぬか? 小姓などに着付けを教える役目よ」
(着付け!)
「由香さんに教えておこう。こんなに着崩しちゃ、せっかくの別嬪が台無しだ」
(お、おぅ)
着物をきれいに見せるポイントを教えてもらい、繰り返し練習する。気づけば日は傾き、空は茜色に変わっていた。
「いかん、戻らねば!」
「え? 虎之助さん泊って行かないの?」
妾である私を放って慌てて飛び出して行こうとする背中に、私は思わず叫ぶ。
「すまぬ、暮れ六ツには藩邸に戻らねばならぬのだ! またな、由香さん!」
(マジすか……)
今後も会うのは昼だけということになる。
(着付けだけを教えて帰って行った最初の『旦那様』……)
肩透かしを食らったようなほっとしたような気持ちで、私は虎之助の出て行った戸をしばらく見つめていた。
二日後に来たのは、小間物屋の手代の弥三郎だった。まだ顔に幼さが残っていて、私のいた世界なら大学生くらいのようだ。
「……」
なぜか、拗ねたような表情でこちらを睨んでいる。
(えぇと?)
初対面で睨まれる理由がわからず、私は首をかしげる。その瞬間、弥三郎の頬が紅色に染まった。
「ん?」
「ほ、他の男にも……」
(んん?)
「他の男にもそんな風に媚びを売ってるのか?」
(んん~?)
あ、これ知ってる。なんかレンタル彼女とかキャバの女の子とかに説教してくるやつ。
(そういや、弥三郎は未婚だったな)
ちょっと意地悪してやりたくなる。
「弥三郎、ひょっとして女としゃべったことない?」
「は? あるに決まってんだろ。おれは小間物屋だぞ!」
(あ、そっか)
小間物屋と言えば簪や白粉など、女性向け商品を扱う店だ。
「若いし女との接点もあるのに、どうして妾を囲おうと思ったの?」
「そんなのおれの勝手だろう!」
(あっ、はい)
なんか、反抗期の少年みたいだ。
(面倒くさいなぁ……)
とは思ったが、月に一両払ってくれる大切な旦那の一人だ。機嫌を損ねて契約を切られたら困る。
(白湯でも入れるかぁ……)
そう思った時だった。背後から急に抱きしめられた。
「え?」
「わ、悪いか!」
朱に染まった余裕のない表情で、弥三郎は目を反らしたまま叫ぶ。
「お、おれはお前の旦那だ。抱きたいと思った時に抱いて何が悪い!」
「……」
大胆なことを言いながら、私と目を合わそうともしない。
(手代って言っても、丁稚から卒業したばかりの少年か)
「乱暴にしないでよ、弥三郎」
私は、がむしゃらにしがみついてくる腕を、軽くトントンと叩く。
「妾になって、初めて迎える夜の相手があなたなんだから」
「え……」
きょとんとした顔つきになると、一層幼さが増す。
「そか、お、おれが初めて……へへっ」
(あくまでも『妾になってから初めて』だけどね)
弥三郎から、攻撃的な雰囲気が消えた。私の頬に触れる手も、優しいものとなる。指先は微かに震えていた。
「あ、そうだ、これ……」
弥三郎は懐から笄を取り出す。
「今日の記念に持ってきた。やる。今度はあんたに……由香に似合う簪を選んでくる」
「……うん、ありがとう」
弥三郎の初々しい言動に、学生の頃のような甘酸っぱい思いがせりあがった。
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