第5話 記憶のかなた

 その子は俺に告って来た子だった。ゼミ室で二人っきりになった時、「好きです」と言われた。俺は取り敢えず「あ、そうなんだ。知らなかった」と言って立ち去った。目を合わせないようにしていた。


 それからは避けていたのだけど、真顔で話があるんですと言われた時、俺は断りきれなかった。学食の外れに向かい合って座ると、その子はこう言った。


「私、先輩のことがずっと好きで・・・私、処女なんです。先輩にもらってもらいたくて」

 彼女は、自分の処女がものすごく価値がある物のように勘違いしているようだった。好きな子じゃなかったら、別にそんなのはどっちでもいい。それどころか、そういう重たい子の場合は、むしろマイナスだ。

「ごめん。俺、好きな子いるから」

 俺はその場できっぱりと断った。その子は、俺の好みから外れすぎてて、無理だった。


 それから数か月後、彼女が沢柿とやったという噂を聞いた。飲み会があった時、お持ち帰りされてしまったらしい。沢柿というのは、最近亡くなったようだが、やりチンで軽薄なタイプだった。見た目もイケメンじゃないし、かなり普通。あんなので妥協するような女に好かれて、自分が嫌いになりそうだった。


 柿沢が亡くなったのか・・・あんな男でも初めての相手なら、彼女にとっては特別だっただろう。その後、柿沢は彼女とは付き合っていなかった。でも、彼女はそれから一念発起したらしく、眼鏡をやめてコンタクトにして、お化粧をするようになった。服も体型を隠すダサいものから、女子大生っぽいおしゃれな格好に変わった。それでも、俺の射程圏内ではなかったし、大嫌いな柿沢なんかとやった女なんて、嫌悪感しかなかった。


「君・・・もしかして・・・俺に告ってくれた子?」

「あ!やっと思い出してもらえましたか?」

「う、うん。確か君って・・・京都出身だったっけ?」

「そうどす。やっと気付いてくれはりました?」

 その子はわらった。俺は笑えなかった。関西人イコール面白いと思われたかったのか、その子が滑りまくっていた頃を思い出した。


「俺の電話番号、どうやって知ったの?」

「あ、それは前にゼミの人と飲んだ時に、江田さんの連絡先知ってる人がいて」

「俺の連絡先知ってる人なんていないよ。俺、友達いないから」

「そんなことないですよ。知ってる人がいたんです」

「誰?」

「富川先輩」

「富川?20代の頃は知ってたけど、もう音信不通だよ・・・君、何で電話してきたの?」

「なんでか?わかりません?」

「なんで?」

「私の処女をまだもらってもらってないので」

 女はけらけらと笑った。

 47歳の女性の処女だって?俺は苦笑いした。

 お金をもらってもお断りしたい。むしろ罰ゲーム。

「でも、君は柿沢と」

「あれは嘘です。私は先輩のを口でやってあげただけで、まだ私は処女なんです」

 想像しただけで気持ちが悪かった。

「ご、ごめん。奥さん、風呂から出て来たから。切るね。君、もっと自分を大事にしなよ。じゃ。」

「せ、先輩!まって!今もだ・い・す・き・でーす!!!!」


 まるで絶叫するように電話口で叫んだ。

 鼓膜が破れそうだったが、その喋り方に俺はぞっとした。



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