第13話・浅草百十二階
●13.浅草百十二階
テープカットのハサミを持つ島谷は、浅草百十二階の関係者たちと共に色鮮やかなテープの前に立っていた。報道陣のカメラがその前で構えていた。島谷たちの背後にそそり建つのは、外装にレンガ模した壁面パネルが用いられた六角柱の建物であった。遥か上にあるエレベーターの機械室や空調機器を隠す塔屋部は、尖塔のような
デザインになっていた。
「それでは大臣、テープカットをお願いします」
女性の声がした。島谷はハサミでテープを切ろうとしたが、装飾が施され意外に厚みがあって一回で切れなかった。周囲の関係者たちは、島谷に注目していた。ちらっと周りを見た島谷はハサミを入れ直し、もう一回切るときれいにカットできた。
「浅草百十二階グランドオープンです」。
軽やかな女性の声とともに地元高校生のブラスバンドが華やかなオリジナル曲を奏で始めた。
島谷は関係者たちと握手し終えると、エントランスホールにいた与田の所にやってきた。
「与田、ハサミの切れ味、テストしておいた。切れなかったじゃないの」
「力が足りないだけだろう。だいたいテープが分厚いのだから、切れ込みぐらい入れておくべきだよな」
「それは秘書のあんたの仕事じゃないの」
「いや、オープンセレモニーの主催者が配慮すべきだ」
「言い張るつもり」
「まぁまぁ、仲がよろしいことで」
浅草百十二階の管理運営会社社長の田中が後ろに立っていた。
「田中社長、あのオープンセレモニー、どうでした。あたしは恥かきましたよ」
「そうですか。私は注目を浴びるためにわざとやったのかと思いました。それがスター性といものではありませんかな」
「スター性ねぇ、確かにあたしにはあると思いますけど」
島谷が言っていると与田はニヤニヤしていた。
「それでは大臣、館内をご案内いたしましょう」
田中は先導するように前を歩き出した。
エレベーターには田中、島谷、与田の3人だけが乗ってドアが閉まった。
「このエレベーター早そうね。耳が痛くなるんじゃない」
「全然揺れないな。たぶん床面に鉛筆を立てても倒れないじゃないか」
与田も感心していた。
「このビル全体の高さは塔屋を含めると585メートルになりまして、これから我々が向かう112階の展望室まではエレベーターで1階から52秒で到着します」
田中が言い終えて一呼吸置くとドアが開き展望室に着いた。
展望室から東の方を見るとすぐ近くにスカイツリーが建っていた。塔としての高さは日本一だが、ビルとしては浅草百十二階の方が日本一であった。浅草ビューホテルが下方に見え、南の方向に目を向ける東京駅周辺の超高層ビル群や新宿周辺の超高層ビル群が見えていた。富士山も手に取るように望めた。
「眺望は抜群ですね。それに下を見ると、車が豆粒みたい」
島谷は、強化ガラスに額を付けそうにして見ていた。
「この展望室は地上568mの所にありますから、スカイツリーの展望回廊よりも上にあります」
田中はさり気なく言っていた。
「そうなの。スカイツリーの観光客も減るわね」
「それにこちらには太平洋岸大災害の被災から復興に向けた軌跡が展示された資料館もありますから、浅草一の観光地になりそうです」
「社長、資料館もあるのですか。建物はそれ自体が看板みたいなものですから、資料館には意味があります」
「と言いますと」
「関東大震災で倒壊した浅草十二階が、太平洋岸大災害後に浅草百十二階として再建されるのは、まさに復興の象徴と言えます。この建物を見る度に、人々のいろいろな思いが交錯するはずです。ただの観光地でない祈念碑にもなり得るわけです」
「多くの尊い命が失われた上に、少しずつ経済が成長し始めていることを肝に銘じる必要がありますな」
田中は実感がこもっているようだった。
「野党が言っている20世紀の遺物のような復興名古屋五輪や復興ワールドカップなんかやるよりも気が利いています」
「さすがに大臣の秘書さんだけのことはありますね。言うことが鋭い」
与田たちは111階の展望レストランで昼食を食べていた。
「このレストランはフロアごと回転させる予定だったのですが、余計な電気代と維持費がかかるので、時代にそぐわないと設計変更されました」
田中はあまり食事を口にせず、説明していた。
「回転するはずだったのですか。でも充分景色が堪能できますよ。あたしはディナーコースの年間パスポートを購入しようかと思ってました」
「大臣にご贔屓にされれば知名度もアップするといものです。ぜひともご購入ください」
「あら、役得による割引とかないのかしら」
島谷が言うと、田中は黙ってしまった。
「大臣、田中社長が困るようなことは言うな」
与田はすぐに割って入った。
「議員の経費には厳しい目が向けられていますし、本人も提供した方も罰せられますから、アッハハ」
田中社長は笑い飛ばしていた。するとスーツ姿の男が田中にさり気なく近づいてきた。
「有村さん、どうしました」
田中は急に真顔になった。
「このオープンセレモニーの間にボタニカル・バイオテック社のデータを盗みに来るとの情報が入りました」
有村は、島谷を大臣と知っているようで、はばかることなく小声で言っていた。
「手筈通り警戒を厳重にしましょう」
田中はすぐにスマホで手短に指示を出していた。それを見届けると有村は風のように去って行った。
「社長、あの人は誰ですか」
島谷はデザートのガトーショコラ・パンプキンパイを口にしていた。
「防衛省統合情報局員の有村さんです。彼は最近のバイオデータ流出を食い止めようと動いています」
「盗みに来るって、こんな真っ昼間からですか」
与田は窓から差し込む陽光を見ていた。
食事が済むと与田たちは、ビルの地下にあるセキュリティーセンターを訪れていた。有村は監視カメラの映像を頻繁に切り替えて、ビル中を探索していた。
「ボタニカル・バイオテック社のデータって、そんなに重要なものなんですか」
島谷は軽い気持ちで言っていた。
「はい。南海道島の植林に関わるものでして、速成栽培ができるバイオ改良樹木の遺伝子データなんです。これはユーカリを元にしていまして2年程で10m以上の大木になります。根が張り溶岩大地の土壌改良も促進します。これを世界各国が狙っていまして、現在日本のボタニカル・バイオテック社がいち早く実用化にこぎ着けていま
す」
田中社長はテナントとして入っている企業のことをしっかりと把握していた。
「日本は特許セキュリティーが甘いことで知られていますけど、統合情報局ができたことで、改善されたと聞いていますが」
与田は島谷が黙ってしまったので、気まずいので話を続けた。
「そうですね。以前は盗まれてもわからなかった程ですけど、最近は着実に摘発しているんじゃないですか。私もそこまでは詳しくないもので」
「ぁぁ、その件でしたら、流出件数は減っていませんが、摘発件数は増えています」
有村はキーボードを打ちながら言っていた。
「有村さん、状況はどうですか」
田中は十二分割表示されたモニター画面を有村とともに見ていた。
「AIで妖しい人物を12人ピックアップしました。しかしいずれも40階にあるボタニカル・バイオテック社には近寄っていません。今日は休みですから。それに金庫が置かれている部屋のカメラに異常はありませんし、40階のフロア各所のカメラも掃除ロボットしか映ってないです」
「サーバーから直接データを盗むと言うことはありませんか」
与田は別のモニターに映っている掃除ロボットの映像を眺めていた。
「それがですね。ボタニカル・バイオテック社の社長は昭和生まれでして、ネット環境に信頼を置かず、金庫に図面やUSBメモリーを保管しているのです」
「なるほど金庫ですか」
「デジタルを突き詰めるとアナログが最強だったりもするようですな。アハハ」
田中は豪快に笑っていた。
そのまま何も起こらず日が暮れてしまった。
「与田、そろそろ帰りますか」
館内のショッピングモールを散策してきた島谷は、セキュリティーセンターにいる与田に声を掛けていた。
「いや大臣、そうおっしゃらず。セレモニーライトアップと花火打ち上げがありますので、そちらをご覧になってからでは、どうでしょうか」
田中はモニター画面から島谷の方に向き直り言っていた。
「花火ですか。それは見たいわね。これも買ったし、この後、特に予定がないから残りましょう」
島谷は浅草百十二階のキリンをアレンジしたマスコットキャラクターのぬいぐるみを袋に入れ直していた。
浅草百十二階の側壁に花火の模様が映し出され、それが回転して10階から110階まで色が次々と変化してい行く。そこに隅田川から打ち上がる花火が絶妙なタイミングで彩りを添えていた。
「まぁ、きれい!花火が真横に見えるし、ライトアップとプロジェクション・マッピッングの演出がピタリとシンクロしてるじゃないの」
島谷に興奮気味で展望室のカメラから送られている映像をモニター画面を見ていた。
「与田、ここじゃなくて、展望室で見ましょうよ」
「いや、俺は有村さんたちと、ここで盗難がないか見張っているよ。一人で行ってきてくれ」
「真面目なんだから。いいわ。行ってくるから」
島谷はセキュリティーセンターから立ち去って行った。
与田と田中は金庫が置かれている部屋の映像を見ていた。部屋のレースのカーテン越しに花火やプロジェクション・マッピッングの明かりがちらちらと見えていた。
「与田さん、花火もちゃんと映っているし、偽映像を防犯カメラに送信しているわけではないですな」
「はい。でもなんか違和感が…。気のせいかもしれませんが、タイミングがちょっと遅くないですか」
与田は展望室の映像と金庫の部屋の映像を見比べていた。
「ん、どうでしょう」
田中はそれ程気にしていなかった。
「今、スカイツリーの足元付近が暗めになりませんでしたか」
与田は、浅草百十二階の屋外カメラを操作し、スカイツリーの足元にある東京ソラマチの方を見た。ソラマチの街頭スクリーンには、カラフルなコマーシャル映像が消えて文字が流れていた。
「『澪ちゃん、今日は浅草百十二階のグランドオープンだけど、僕らの記念日にもしない!共に暮らせたらハッピーじゃん、結婚してみませんか』ってサプライズ・プロポーズかよ、だから暗めになったのか」
与田は人騒がせだと感じたその後、何かが閃いた。
「有村さん、金庫がある部屋からもソラマチの街頭スクリーンは見えますか」
与田は12分割画面を見ている有村に声を掛ける。
「たぶん、窓の位置からして見えると思いますが、かなり小さいでしょう」
「それじゃ、映像を拡大して、レースのカーテンを取り除く処理をした映像を見せてください」
「わかりました」
有村は素早くキーボードを叩いていた。
「これです」
有村がエンターキーを押すと、セキュリティーセンターのメインモニターに映像が表示される。
最近よく見かけるコマーシャル映像が映っていた。サプライズ・プロポーズの文字はどこにもなかった。一同は顔を見合わせていた。
「ということは、金庫の部屋の映像は、リアルタイムではないのか」
田中社長はが言うと、有村はしまったという表情になった。
「テナントオフィスのプレオープンは2週間前でしたっけ。ボタニカル・バイオテック社のカメラに細工する時間は充分にあったわけですか」
有村はスタンガンの充電を確認していた。
「はい。それに昨日はグランドオープンに向けて、最終清掃や最終点検をしています」
「ということは、外部の人間が入っても、それほど目立ちませんか」
与田は違和感が結実した気がしていた。
「とにかく金庫のある部屋に行きましょう。何らかの手掛かりがあるかもしれません」
有村は素早く立ち上がっていた。
与田たちはエレベーターから40階のフロアに出た。非常口を示す明かりだけが点灯している薄暗い廊下を静かに歩いて行く。
「まだ、犯人はいますかね」
小声の田中はのそのそと歩いていた。
「偽映像が流れ続けているということは、いる可能性があるんじゃないですか」
与田はより小さい声で囁いていた。
「…わかりませんが、用心に越したことはありません」
有村は身を少しかがめ、誰が飛び出してきても対応できる姿勢であった。三人の後ろにいる警備員たちは廊下を封鎖していた。
田中がマスターキーとオーナー権限を有するカードを用いて、ボタニカル・バイオテック社の扉を開けた。そのまま中を歩き、金庫のある部屋の隣にある社長室まで来た。その先の角を曲がると金庫の部屋だが部屋の前には見張りの男がいた。有村が静かに男に飛びかかりスタンガンを当てた。人が倒れる音は最小限に抑えられていた。与田たちは金庫のある部屋の前まで来る。すりガラスのドア越しに懐中電灯の明かりと、人影がちらついていた。
田中が照明のスイッチを入れ、有村がドアを蹴り開ける。金庫の前で聴診器をあてて、ダイヤルを回している男がいた。清掃員のつなぎを着た男は、あ然とした顔をしていた。
「ここまでだ!データは盗めんぞ」
有村が声を張り上げる。清掃員姿の男は工具を振りかざし襲ってきたが、有村は簡単にかわした。振り向きざまにもう一撃しようとしていたが、ちょうど与田の目の前にいたので、足払いをくらわした。男は倒れ、そこを有村が抑えつけていた。
その後、警察も駆けつけ逮捕された。有村はこの男たちの背後に外国勢力が一枚かんでいないかを警察と共に取り調べることになった。
浅草百十二階の車寄せに到着した再建開発庁のミニバンに乗り込む与田と島谷。田中が笑顔で見送っていた。
「与田たちが犯人を捕まえている間に、あたしはゆっくりとナイトイベントが堪能できたわ。やっぱ年間パスポートは必要ね」
島谷は席に座るとすぐに言い出した。地上車のミニバンは、するすると走り出した。
「それで、犯人はどんな手口だったの」
島谷は思い出したように言う。
「有村さんたちの話によると、解錠のプロが12時間ぐらいかけて鍵を開けるつもりだったらしい。俺らが踏み込んだ時は既に8時間が経っていたそうだ」
「ふーん。カメラに細工したりもしてたんでしょう。いつ忍び込んだのよ」
「プレオープンの最終日に清掃員として立ち入っていたとのことだ」
「なんかアナログでアナログって感じね。でも捕まって良かったわ」
島谷はそれほど関心がなさそうであった。
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