第11話・大臣受難
●11.大臣受難
錦糸町駅の駅事務所の窓口では、駅員が高齢者の乗り越し清算で手間取っていた。その奥では与田と島谷が駅構内の防犯システムの視察に来ていた。
「このように防犯カメラで捉えた不審な動きはAIが判断して、不審者を赤い枠で表示します。太平洋岸大災害の後、精神的に不安定な人が増えて様々な事件がありましたが、これを導入してから、かなり未然に防いでいます。それでも100%というわけにはいきませんが」
駅長の長谷川がモニターを見ながら説明していた。
「どうですか最近、赤枠で表示される人は増えているのですか」
島谷はいかにも大臣らしく言っていた。
「いえ、大災害から3年経ちますから減る傾向にあります。しかし件数は減っても凶悪化している感があります」
駅長はモニターから目を離さなかった。与田と島谷もモニターを見る。防犯システムがビープ音を鳴らした。
「あぁ、あの若い男、妖しいと思ったら、赤い枠で表示されましたね」
駅長はすぐに駅員に見に行くように指示していた。
「背負っているリュックはかなり重そうですし、紙袋も妙に大きくないですか」
与田もモニターをじっくりと観察していた。
駅員と警備員が近寄ろうとすると、若い男は紙袋から出刃包丁を出して、近くに中年女性の首に刃を突きつけた。駅構内には悲鳴が上がり、人の流れが若い男の周りから一気に離れた。
駅員と警備員は興奮させないように静かに声を掛けていた。だが若い男は聞く耳を持たず、中年女性を人質にして身障者用にトイレに入って行った。
駅構内には警察官が多数詰めかけていた。身障者用トイレの前に立ち入り禁止テープが張られていた。駅利用者たちは遠巻きに身障者用トイレを見ながら通過していた。
「犯人の要求は何なんですか」
与田が駅長に聞いていた。
「それがですね。今日ここにいるはずの島谷大臣を呼び出して、土下座させろって言うのです。どうして大臣が来ることを知ったのかわかりませんが」
駅長は首を傾げていた。
「あぁ、それなら、あたしがツイッターで、仕事が終わったら駅ナカでスイーツ満喫って書いたかしら」
「…予定をツイートするなんて、全く」
「だって、仕事が終わったらプラベートじゃないの。元ファンのフォロワー結構いるのよ」
「それで、あの若い男が来たのか」
与田はしまったという表情をしていた。
与田と島谷は駅事務室の端で小声で話していた。
「とにかく、あたしは嫌よ。あんな頭のおかしな人の前に行くのわ」
「でもな、島谷が行けば事件解決につながるはずだ。人質も助けられる」
「それになんで、謝らなきゃいけないのよ。あたしが何したって言うわけ」
「ほんのちょっとだけ顔を出してくれ。謝らなくたって良い。何かあったら俺が全力で守る」
「何よ、恋人かヒーロー気取りってわけ」
「俺に守られたくなくても、警官がごっそりいるんだから大丈夫だ。それに上手くすれば、さらに好感度が上がるぞ。総理大臣も夢じゃない」
「…日本初の女性首相かぁ。わかったわ。本当にちょっとだけよ」
島谷が駅構内を歩くと、駅利用者たちがざわつき出した。アイドル時代をあまり良く知らない女子高生も手を振っていた。
身障者トイレの前まで来る島谷。足がわずかに震えていた。与田は島谷のすぐ横に立っていた。
「おい、島谷大臣を連れてきた。まず人質を解放しろ」
交渉役の警官が呼びかけていた。
若い男が中年女性を引きずりながらトイレの出口付近まで来た。脇で控えている警官たちが少し動いた。
「近寄るな。火を付けるぞ」
若い男がガソリン携行タンクの口を少し開けると、ガソリンの臭いが漂い出した。
「わかった。わかった」
交渉役が言うと警官たちは少しトイレから離れた。
「アイドル崩れの島谷大臣、お前のいい加減な再建計画や偽善の被災者支援なんか、何の役にも立たなかったぞ。どうしてくれる」
若い男がわめく。
「す、救われた人は結構いるのよ」
島谷はか細い声で言う。
「それでもな俺には、何のメリットもなかった。太平洋岸大災害で親が死んで予備校にも行けなかったから、東大に受からなかった。東大さえ入れば、俺はこんな人生にならなかった。謝れ。稼げたはずの損害金を払え」
若い男は島谷を睨んでいた。
「そ、それはあなたの独りよがりよ」
島谷が言っていると、横にいた与田は目がつり上がってきた。
「あんた、自分勝手にもほどがある。東大なんてな、世界の大学ランキングでは40番目ぐらいだぞ。そんな大学に入れなかったぐらいで腐っているな。それに、ゆとり教育だのロクでもない改革をしたのも東大卒の連中だ。日本をダメにするのが東大卒だ。国会や企業に東大閥があるからエリート意識が消えない。とにかく糞食らえだ
ぞ」
与田がデカい声で言うと、若い男は意外にもスッキリとした表情を浮かべていた。
「あんたも、東大を落ちたのか」
「バカ野郎、東大なんか目指すわけないだろう。ブランド志向で大学など選ぶものか。大学で遊んでハクをつけるくらいだったら、専門学校で知識を得た方が早い段階で社会の役に立つ。そちらの方が遥かに立派だ」
与田が言っていると、駅利用者が何人か立ち止まって聞き入っていた。
「しかしな、おっさん、日本は東大をありがたがる世の中だぞ」
「そんな世の中ぶち壊せばいい。東大教を信奉しても何も得るものはないぞ。こんな茶番な立てこもりはやめろ」
与田が怒鳴る。近くに立っている交渉人は、どきまぎしながら与田を見ていた。
「…ぶち壊すのか」
若い男は出刃包丁を持つ手が震えていた。
「立てこもるパワーを世の中を変えるのに使えってんだ、糞野郎」
与田が言うと、若い男は与田に視線を向けたまま駆け寄ろうとした。その隙に控えていた警官たちが出刃包丁を払い落し、若い男を確保した。人質は無事に保護された。
国会予算委員会ではヤジが飛び交っていた。
「世界に呼びかけた24時間宇宙港のクラウドファンディングはどうなったのですか」
野党の女性議員が松井首相に詰め寄っていた。
「第一期工事分は集ったのですが、まだ計画資金が足りない状況ではあります」
「目標額に達していなかったのですよね、世界に恥をさらしたようなものではないですか」
「そこまで言いますか」
松井は明らかに気分を害していた。
「中国がお金を貸すと言っているのですから、意地を張らずに借りるべきです」
「那覇港を担保にですか」
「お金は返せば問題ないでしょう。南海道には金鉱があることですし」
「自然保護団体がいろいろと煩くてね」
松井は嫌味っぽく言った。
「そんなことは我々の知ったことではないですよ。与党の仕事ではないですか」
女性議員は平然としていた。
「あなたも日本の国会議員じゃないですか。知ったことはないというのは無責任過ぎる」
別の野党の男性議員が口を挟んだ。与党席から同調するヤジが飛んでいた。
「ははぁん、与党寄りの野党には言われたくないですね」
「クラウドファンディングの件は後にして、本来の予算について検討しましょう」
その男性議員が言うと与野党から様々なヤジが飛んでいた。
「一言言わせてください。何もしていなわけではありません。与党としては宇宙港について、いろいろと秘策を練っています」
松井はきっぱりと言い放っていた。
首相官邸の首相執務室。応接用のソファに座る与田と島谷。
「宇宙港はカネが足りないから一度には出来そうもないが、何か良い手はないもか。計画が進んでいないとクラウドファンディングのカネで私腹を肥やしているだの、根も葉もないことを噂されるからな」
目がどんよりとしていた松井は執務デスクから声をかけていた。
「現段階で打ち上げ施設はあるのですか」
与田は24時間宇宙港の完成図を表示させたノートパソコンを見ていた。
「発射塔はあるから種子島の打ち上げの一部は代用できる」
「それでしたら、打ち上げという宇宙運搬業でもやれるんじゃないかと思います」
「打ち上げコストが結構かかるぞ。再利用が可能なシステムにしないと…」
「アメリカのように第一段ロケットが戻ってきたりする感じですか」
「あの技術は難しいし、カネがかかる」
「首相、私の考えでは、第一段ロケットも往還宇宙船もAI制御のパラグライダー方式で地上に帰還できるようにしたらどうですか。逆噴射ロケットはいりません」
「パラグライダー方式か。上手く行くかな」
「まず縮小モデル機でテストしてみる価値はあると思います」
「わかった。やってみるか」
「それと…、先日、島谷大臣が暴漢に遭った際に教育環境が硬直化していると感じました」
「というと」
「妙に一部の大学をありがたがり、それ以外を認めない風潮と言うか」
「例の事件か。島谷君も肝を冷やしたな」
松井は島谷の方を見る。
「首相、大変だったんですよ」
島谷は可愛い子ぶるような仕草をしていた。
「それで、その宇宙港に隣接する地区に宇宙研究学園都市を築き、カネがなくても超一流の知識が得られる学園を作ったらどうかと」
「与田君らしい発想だな」
「具体的には入学試験は基礎学力を見るだけで、受験テクニックなどなくても受かるものにして、知識を着実に習得しなければ卒業できないといった、卒業に学力の重点を置きます。そして学費は宇宙港で働くか国の施設で働いて返済すれば、実質タダにするんです。何の将来像もなく大学などの無償化を念仏のように唱えている野党の案とは別ものです。当初は宇宙関連の学科なりますが、いずれ医療や芸術など幅を広げるといったものになります」
「それは大学なのかね専門学校なのかね」
「博士課程、修士課程、学士、専門技術者、それぞれ選べ、いち早く社会にでることも、じっくり知識を熟成させることできる総合学園のようなものです。…南海道学園とでもしましょうか」
「うむ。面白いな。宇宙運搬業と南海道学園の件、予算を付けよう。モデル実験機はさっそく着手する様に宇宙開発機構に連絡しておくぞ」
松井の目に輝きが戻っていた。
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