第8話・被災者

●8.被災者

 与田と島谷は浅草寺の横を抜けて花やしき通りに出て、少し歩く。

「この辺は、あまり被災してないみたいね。花やしきの入口もちゃんと立っているし」

島谷は入口から中を覗いていた。

「まさか、入りたいなんて言うなよ。あんたは大臣なんだからな」

「わってるわよ。でも視察が終わったら寄ってもいいんじゃないの」

「ほら、来ると思った。勝手にしてくれ俺は帰るから」

与田は足を止めることなく歩き続けていた。すこと後からついてくる島谷。

 「ここに凌雲閣があったのか」

与田は記念碑を読んでいた。

「なにそれ」

「浅草十二階だよ。関東大震災で倒壊した」

「ふーん。東京はたまに大きな地震が来るからね」

島谷は記念碑に興味はなさそうであった。

 その付近からひさご通り商店街のに入るが、アーケードの屋根が一部倒壊し、青空が見えていた。通りの両脇に並ぶ店は、更地になっていたり、焼け焦げたままの建物もちらほらあった。

「もう、あれから1年近く経っているわよね。まだ爪痕が残っているじゃない」

「あぁ、この横の通りの店や家も、焼け跡が多いな。花やしきは、よく燃えなかったよな」

与田は被災状況をスマホで撮影していた。

「与田、こっちも撮って、かなり酷い状況よ」

島谷は、シャッターが半分溶けている蕎麦屋の店先に立っていた。

 店の奥かに咳払いが聞え、暗い表情の店主が出てきた。

「あんたら、なんだ。被災者を動画にアップしてカネでも稼ごうって魂胆か」

「いえいえ。再建開発庁の者です」

与田が答えていた。

「再建開発庁…、あぁ、このちゃらちゃらした女、大臣だろう」

店主は島谷のスーツの襟にある議員バッジと顔を交互に見ていた。

「御主人、ここは老舗のようですが、どのような再建支援を望まれますか」

与田が言っている背後で島谷は気分を害していた。

「カネをもらってもなぁ、代々受け継ぐ秘伝のそばつゆが焼失してしまったんだ」

「レシピのようなものはないのですか」

「そんなもん、あるか。俺らは舌で覚えるんだ。しかし味の手本となるつゆがないと、味を確かめることができない。同じ味にならんのだ」

「そういうことですか」

「俺の代で店を閉じることは、先祖に対して申し訳が立たねぇ。どうしたら良いんだよ。後継者の息子も焼け死んじまったからな」

「それじゃ、御主人も死にますか」

「それしかねぇだろう、えっ。相手が地震じゃな」

「子供みたいなことを言ってるんじゃねぇ!。あんたのような思いをしている人は、東京、いや日本中に何万といるはず、それ皆が死んでどうするんですか」

与田は急に怒鳴り出した。店主はその声にパッチリと目を見開いていた。島谷もビビっていた。

「御主人、ここを生き抜いたら秘伝のめんつゆを復活できるし、後継者も見つけられます。死んだりヤケになることは逃げるのと同じだ。江戸っ子の恥ってもんじゃないですか」

「それは、そうだが、どうやって生き抜くのだ」

「…この一帯は再開発地区に指定されます。その目玉として浅草百十二階を建てるつもりです。国や都から無利子の借り入れをすれば何とかなります。浅草百十二階ができたら、そこに入って商売すればバンバン儲かって、借金など返せますよ」

与田はまくし立てる様に言っていた。島谷は目を丸くしていた。店主はうつむき加減であった顔を上げだした。

「そんなに上手く行かね」

「あなた次第じゃないですか」

「浅草百十二階ってのは、本当だな」

店主は真っ直ぐな視線を与田に向けていた。

「はい」

与田は視線に応えるように勢いよく返事していた。


 与田達は周辺をぐるりと回り国際通りに出た。

「与田、さっき浅草百十二階って言ってたけど、大丈夫なの。大臣のあたしも知らない計画よ」

「なければ浅草百十二階を計画するまでだ」

「あたしの裁量ってわけ…。どうかな、まずは庁内のトップ会議で提案してみるわ」

島谷は不安そうな顔をし、花やしきに立ち寄ることはすっかり忘れていた。


 再建開発庁の大臣執務室。

「最近、被災者詐欺が横行しているのよ」

「被災者交付金をもらうためにATMでお振込みってやつか」

「お振込みの意味がわかってないのよ。自分に振り込まれるのではなく、詐欺集団に振り込んでしまうんだから困るわね」

「困っている人からカネをむしり取るのだから許せないな」

与田は大臣のデスクを拳で叩いていた。デスクのペン立てが音を発てて揺れた。

「目玉となる対策をしろって松井首相が言ってるんだけど、何かあるかしら」

「対策と言ってもな。今でもできることは警察と協力してやっているからな…。派手な見せしめで捕まえるぐらいかな」

「あたしたちで、おとり捜査でもやる?」

「何かやっている感があるから、首相もある程度納得するだろう」

「誰か身近で被災者詐欺に遭いそうな人いるかしら」

「…一回被害に遭った人は何回も狙われると聞くから、再建開発庁の連中に調べさせて罠を張るか」


高齢女性が玄関先で若い男にキャッシュカードを手渡していた。

「これで新しいキャッシュカードを後日お送りしますので、被災者交付金をATMなどで引き出せます」

若い男は丁寧に応対していた。

「よろしく頼みましたよ」

高齢女性は深々とお辞儀をしていた。若い男は玄関の戸が閉まるとすたすたと歩きだした。


 「よし、あいつだな」

与田と香取は少し離れて尾行を開始した。若い男は気慣れていないスーツ姿で、表通りをしばらく歩き、コインパーキングがある横道に入って行った。パーキングは一台分だけ空車になっていた。その空車のスペースの隣に駐車してある黒いワンボックスカーのスライドドアを開けて若い男は中に入って行った。窓にはスモークフィルムが張られ、中の様子は見えなかった。

 「ナンバーを写メして、警察に通報しよう」

与田はスマホを耳に当てていた。与田は予め連絡していた警察の担当者に詳細を説明していた。通話が終わると再びワンボックスカーを見る。

「どうだ。動きはあったか」

「エンジンもかける様子はありません」

香取はじっくりと見ていた。

「あの車がアジトなのかな」

与田が見ているとスライドドアが開いた。中から若い男が出てきた。コインパーキング精算所近くの自販機で飲み物を買っていた。

「カネを崩して清算する気だな。今動いてもらって困る」

与田はそう言うと、若い男の方に小走りに近づく。香取は心配そうに後ろから見ていた。

 「あのぉ、蒲田駅はどちらだかわかりますか」

与田はわざと、ゆっくり口調でたずねていた。

「ん、あっちじゃないか」

若い男は面倒臭そうに指を指す。

「それはJRですか京急ですか」

「え、JRだよ」

「私は京急の方が知りたくて…」

「それならこっちだよ。俺は急いでいるからさ」

「これはどうも。あぁ…それから、JRと京急どっちが近いですか。距離的でも時間的でもどちらでも良いですから」

「そんなのわかんねぇ」

若い男は缶コーヒーを4本手にしていた。与田はとぼとぼと歩き出し、ワンボックスカーの前でわざとらしく転ぶ。

「痛ぇてててぇ」

与田は足を押さえてしゃがみ込む。スライドドアが開き、太った男が顔を出した。

「早いとこ、こいつをどかせろ」

太った男は若い男に命じていた。

「おっさん、邪魔なんだよ。立てるか」

若い男は缶コーヒーを太った男に渡すと、与田の脇を抱えて起こそうとした。

「これはどうもどうも。お礼に何かしないと」

与田はせき込んでもいた。若い男は嫌そうな顔をしていた。

「礼なんかいらねぇ、さっさと駅に行きな」

若い男は与田がすんなり立ち上がったので、ほっとしていた。与田はゆっくりとお辞儀をしてから歩き出した。


 「あの糞野郎の仲間は4人だな」

「与田さん、ちょっとだけ時間稼ぎができたっすね」

香取が言い終えた頃、ちょうどサイレンも赤灯も作動させないパトカーと自転車に乗った警官が静かに与田達の所に集って来た。

 ワンボックスカーは警官に取り囲まれ、詐欺グループは抵抗する間もなく逮捕された。しかし何グループもある一つを摘発したに過ぎない感があった。


 再建開発庁の大臣執務室。

「あの太った男を泳がせ、防衛省統合情報局が調べたところ、被災者詐欺は日本国内の社会不安を煽るためにやっていることが判明したそうよ」

「飛んでもない奴らだな。日本人がやることかな」

与田は腕組をしていた。

「反日日本人や在留外国人が構成メンバーのようね」

「民主主義とか言論の自由を隠れ蓑にしているんだろうが、邪魔な奴らだよ」

「それで被災者詐欺グループの一部とSDGsファーストは外国勢力とつながりがあって、活動資金を得ているとのことよ」

「でも摘発し難いのだろう」

「いいえ、新しくできた統合情報局が組織壊滅に向けて動いているらしいけど、後は極秘のようね」

「そうなのか。何か手伝えることはないかな」

「よしなさいよ。プロに任せた方がいいわ」

島谷はデスクのノートパソコンを閉じていた。

「SDGsファーストの関連施設はどのくらいあるんだろう。ネットで調べてみる。そのノートパソコンを貸してくれ」

「いいけど、ネットで調べたぐらいじゃ。意味ないんじゃない」

島谷はノートパソコンの上に置いていた手をどかしていた。


 「…それでSDGs関連のものをいろいろと見ていたら、原宿にあるSDGsグッズショップのホームページに、あの太った男に似ている女が載ってたんだ。俺の思い込みしれないが、姉とか家族のような気がするし、たぶん、こんな所は統合情報局の連中も行きそうもないだろう」

「似ているだけっすか」

香取は渋い顔をしていた。

「直感ってやつだけど」

「与田さん、こうやって向かいのコーヒーショップから見張るだけで給料になるから楽って言えば楽っすけど、大臣に経費と職員の無駄遣いと言われそうっすね」

香取は目の前にはクラブハウスサンドと抹茶ラテが置かれていた。

「香取、俺もクラブハウスサンドを頼もうかな」

与田は、香取が頬張っているのを見ていた。

「あ、与田さん、あの女っすか。確かに似てますね」

香取はグッズショップの店頭を掃除している女を食い入るように見ていた。すると警備会社の男二人が警棒とジュラルミンのトランクケースを持って店に入ってきた。

「大した売り上げてもないくせに、警備員を雇って集金か」

「大袈裟っすね」

「いや待てよ。多額の現金が活動資金として持ち込まれているとしたら…」

「え、だってSDGsファーストや詐欺グループとは全く関連性がないでしょう」

「だからこそ、うってつけってことはないか」

与田が言うと香取は尊敬するような視線を与田に向けていた。

「あの資金を奪えば困るだろうな」

「かっぱらうと言うことっすか」

香取は目が泳いでいた。

「向こうが非合法な手段で日本を混乱させようとしているなら、こっちも非合法に出ても問題ないだろう」

「でも与田さん、かなりヤバくないっすか」

「まぁ、無理はしないよ。やれるチャンスがあればだ」

与田が言うと香取は安堵の表情を浮かべていた。

 しばらく見ていると、段ボールを箱を抱えた納入業者らしき人物が店に入って行った。

「業者や警備員が来ても、客は来ないっすね」

「商売なんてどうでも良いのだろう」

与田が言っていると、スーツ姿の男が4人と警官が2人が店の中に入って行った。

「ん、こりゃなんか起こるぞ」

「与田さん、統合情報局も目を付けていたようっすね」

「俺だけじゃなかったか」

与田はちょっと残念そうにしていた。

 店内から銃声がして窓ガラスが割れ、怒号が響いていた。店先の通行人たちは、店を遠巻きにして覗いていた。野次馬の人垣が出来つつあった。

 店が入っている雑居ビルの3階から非常階段を駆け下りる男がいた。トランクケースを抱えた男は慌てて階段を踏み外し、派手に転倒した。その拍子にトランクケースの蓋が開き、中から何枚もの札が風に舞い上がった。

「おい、この風向きだと、こっちだ」

与田はコーヒーショップの非常階段の方に向かった。

「どうしたんすか」

香取も後に続いた。

 コーヒーショップが入っている雑居ビルの非常階段には、何枚もの1万円札が舞い込んでいた。与田と香取は咄嗟に札を拾い集めた。とても全部は回収できず、大部分は空に飛ばされていった。

「与田さん、俺は17枚っす」

「俺は18枚だ」

与田は札を2回数えていた。

「どうします、警察に届けますか」

「チャンス到来、臨時ボーナスだ。取って置け。内緒でな」

「ラッキー。無理せず、いただきますか」

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