第4話 眩しくて目を閉じた

 私は眩しくて目を閉じた。


 目を開くと目の前は地べたで、寝そべっている。悪夢から覚めたのだろうか、私は慌てて起き上がり両手を確認する。なんともない。痛みもなくなっている。ここはどこだ。私は辺りを見回す。夕方の人通りのない住宅街のようだ。近くに線路と土手が見える。千住新橋の近くだろうか。

 

 見覚えがある気がする。近くに見える高架下のトンネルの暗がりから、酔っ払いの男に声をかけられた場所だ。私は恐る恐る暗がりの方に近づき、誰かいないか確認した。誰もいない。ようやく悪夢から覚めたのだろうと安心したその時だった。


 「俺を探しているのか。」


 突然、先程の悪夢に出てきた髭面の怪しい男が後ろから声をかけた。何が起こったのか信じられず、私は腰を抜かして後ろに後ずさりした。


 「おはようレン。地獄へようこそ。」


 男は私を見下ろしながら、煙草に火をつけた。私は何が起きているのか理解できず、ただその男を見つめた。


 「もしかしたら悪い夢でも見ているんじゃないか、そう感じたろ。」


 私は怯えながら頷く。


 「腕が、切り落とされたはずの腕が・・・」


 慌てて言葉にならなかった。


 「夜が明けたろ。そして眠りについたように昼間が過ぎ、気がつくと夕方で傷も癒えている。」


 何を言っているかまるで理解できなかったので、私は思わず質問した。


 「死んだって、どういう意味ですか。」


 男は煙草を大きく吐きながら答える。


 「言葉そのままの意味だ。俺たちは死んだ、そしてここは死後の世界だ。信じられないか。まあ無理もない。だけどな、お前自分を思い出せるか?」


 私はその質問に心がとんでもなく動揺し、パニックになっていく。


 「確か、誰かと夕陽を見ながら電話をしていて・・・。だめだ、それよりもその前はどこにいたんだ。そんなことより自分は誰なんだ。」


 私は慌てふためき、動揺は恐怖へと変わって行った。


 「落ち着けよ、レン。」


 男は吸い終えた煙草を私に向かって投げつけた。燃え殻が私の顔にあたり、慌てて手で払いのける。


 「そうだ。僕の名前はレンだ。」


 私は自分の名前がかろうじて思い出せたことで、怖いぐらいの動揺はなんとか払拭出来た。


 「良かったな、名前が思い出せて。お前はツいてる。」


 「ツいてる?思い出せなければどうなっていましたか?」


 私は恐る恐る質問した。


「自分の名前を思い出せないと、人は正気を失う。自我が崩壊し、放心状態のまま、最期は化け猫にでも喰われてただろうな。」


 その答えに現実を受け入れられないまま、私は再び質問するしかなかった。


「どうして、どうして僕を助けてくれたんですか?」


 男は冷静なスタンスをまるで崩さずに、煙草をふかしながら答える。


「助けられる奴は助ける。理由は一つだ。自分の名前を忘れない為だ。」


 忘れると自我が崩壊するのだろう事は想像がついた。


「シェリーだ。俺の名前はシェリー。日本人だがな。おそらくあだ名か何かだろう。本名は思い出せなかったが、自分を示す名前は思い出せた。お前は俺の名前を覚えていればいい。そしたら俺はお前の名前を覚えておく。」


「はぁ・・・」


 私は何をどうしていいのかもわからず、放心状態のまま不安から湧き出る疑問を、男に投げかけた。


 「シェリーさん、わからない事だらけですが、聞いてもいいでしょうか?」


 「お前が俺を信用するかは別の話として、俺もお前を信用したわけじゃあないという前提なら、わかる範囲で答えてやってもいいぞ。」


 そんな事を言われても、私にはこの人に質問する以外の選択肢が見当たらなかった。


 「まだ現実が信じがたいですが、仮にこの世界が死後の世界だとして、死んだ世界で死んだらどうなりますか?」


 「さあな。」


 シェリーさんは一瞬考え、質問に答え始めた。


 「お前は死ぬ前、ここに来ることがわかったか?死んだらどうなるかなんて誰にもわからない。ただ一つ言えるのは、この世界に来て地獄のような苦しみを味わっただろ。更なる地獄に落ちる事もあるかもな。」


 とりあえず命をこれ以上落としてはいけないということは理解した。


 「言い忘れたが、自分に降りかかる火の粉は自分で払え。」


 「え?」


 一瞬、言っている意味を理解できなかったが、次の瞬間その意味は理解した。遠くの方から、化け猫の群集が私目掛けて襲ってくる。


 「くれぐれも橋には近づくなよ。」


 私は慌てて叫びながら逃げ出した。無我夢中で必死で逃げた。噛み付かれては振り払い、服がボロボロになり、全身血だらけで、それでも走って逃げなければならない。気が遠くなるほどの地獄が永遠と続くようだ。とりあえず、とにかく朝まで逃げるしかない。何時間走り続けたかわからないが、気がつくと化け猫達の数が減っていくのがわかった。満身創痍で立ち尽くし、東の空を見上げると空が明けていく。眠りにつくように意識が薄れていき、気がつくと私は高架下の地べたに寝そべり、服や傷が元に戻っていた。


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