第3話 異変に気がついた
私はある異変に気がついた。
橋の向こう側、北千住方面の橋のふもとの方角から明かりが近づいてくる。それが炎だとすぐに気がついたが、こんな大通りの真ん中で、こんな夜更けに火事だとは信じがたかった。かと思えば、その近づいてくる炎の中心に人影のようなものが歩いてくる姿が見えたとき、そんなまさかと思いながら、自分の中の言い知れのない恐怖が増していくのがわかる。そいつは全身に武者のような甲冑を身に纏い、炎にその身を包まれながら鬼の様な形相で、一歩一歩私に近づいてくる。
どう見ても物の怪の類でしかなかった。私は恐怖に耐えられず腰が抜け、その場にへたり込み、泣きながら後ずさりした。火達磨の物の怪はゆっくりと確実に私のほうに近づいてくる。物の怪が腰の刀に手を伸ばしたのを見て、声が上ずりながら助けを求め命乞いをした。
「た、助けて・・・」
私は腰が抜けたまま怯えながら、両手を防御するように上げた。その瞬間、背中の方角が光ったので私はその方角を見た。その方角からは光り輝く矢のようなものが放たれ、火達磨の物の怪に向かっていくのがわかった。物の怪はその矢を振り払うように刀を抜く。炎に包まれた斬撃が矢をなぎ払い、私の顔の目の前を通過した。
「・・・っ!」
私は悲鳴をあげたつもりだったが、声が出なかった。声が出ないほどの激痛が私を襲った。何故ならその斬撃で私の両腕がその辺に転がったからだ。炎で火傷を負っていて傷口から血は流れてこないが、とんでもない激痛にもがき苦しみながらその場をのた打ち回る。火達磨の物の怪がとどめをさしに来ると思った私は、物の怪の方を見構えた。しかし物の怪の方は私の方を見てはいなかった。光の矢が飛んできた先に向かって再び歩き出し、向かっていくのが見えた。
一難は去ったようだが私の激痛は無くなる事はなかった。こんなに痛い夢などあるのだろうか、悪夢なら早くさめてくれと願った。しかし一向に痛みはおさまらず、現実としか思えないほどの実感がある。私は涙が止まらなかった。
「坊や、こんな所に寝転がって、酔っ払ってるのか?」
いつの間にか、先程すれ違った50歳ぐらいのサラリーマン風の髭面の男性が、私が這いつくばっている横に座りながら酒を飲んでいる。私は状況が飲み込めず気が動転して声も出なかった。二本の転がっている腕ともがき苦しむ私を、冷静に見ているその男に、恐怖すら感じてきた。
「・・・たすけて、下さい。」
私は苦痛をこらえながらか細い声で命乞いをした。
「こんな酔っ払いが医者に見えるのか。大分酔ってるな坊主。」
私は混乱していた。もしかしたらこれは幻で飲んだ酒にドラッグでも入れられたのかもしれない。そんな想像が脳裏をよぎったが、終わりの無い痛みが私に現実を突きつけていた。
「それともあれか、俺がお前を喰っちまうとでも思っているのか。」
男は怪しげに私を見おろしながら、不意に真剣な面持ちになった。その表情と間みたいなものに、私は何か恐怖の様なものを悟り、その男から逃げるように、もがき苦しみながら地面を這い蹲った。
「まあ待てよ、坊主。」
その男は這い蹲って逃げようとする私の頭を掴んだ。私は抵抗する力も残っておらず、ただ男の方を泣きながら見るしかなかった。
「俺の質問に答えられたら、助けてやらんでもないぞ。」
私には頷く以外の選択肢がなかった。
「名前は?名前はなんて言うんだ。」
唐突な質問に私は頭が真っ白になりパニックになった。
「落ち着け坊主。自分の名前ぐらい誰だってわかるだろ。な、ゆっくりだ。ゆっくり痛みを我慢して、深呼吸して考えろ。」
私は言われたとおり、ゆっくりと深呼吸しながら目をつぶった。どこか遠くで私を呼ぶ女性の声が聞こえた気がした。
「レ、レン。レンです。」
「そうか。」
私が名前を答えると、男は掴んでいた手を離し、持っていた酒を飲み始めた。私は男に恐る恐る尋ねた。
「し、質問て、何でしょうか。」
「質問は以上だ」
男は胸元から煙草を取り出し火をつけた。不思議だったが、どうやらこの男は私に危害を加えることはないようだ。私は必死に痛みを堪えながら男の方を向いた。
「助けてもらえるんですよね?」
男は東の空を眺めながら、煙草を深く吐いた。
「お前を助けてやれるかはわからん。がその傷は治るぞ。」
言葉の意味がわからなかった。私は助かるのか、それとも助からないのか。傷が治るとはどういう意味なのか。これはただの悪夢なのか、それとも現実なのか。
「もうすぐわかる。あの朝日が昇ればな」
男は私の疑問を見透かしたかのように東の空を見つめながら言った。気がつけば朝日が昇ろうとしていた。
「レン。お前は死んだんだ」
私は耳を疑った。聞き間違えか。私がその男に聞き直そうとした時、男は太陽の昇る方角に向かって両手を広げた。昇っていく太陽の光が私たちを包んでいくのがわかる。私は眩しくて目を閉じた。
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