第5話
彼女の来る季節だ。
俺はふうっと白い息を吐いて、畑の土を起こしていた身体を伸ばす。魔法の使える奴はあっという間に種を飛ばせるらしいが、品質がいまいち良くないのだと言われている。やはり人の手が入っていないと、という先入観だと思うのだが、実際食ってみるとなんか違う。農家連中でうんうん言いながら謎に立ち向かっていたところで、通りがかりの彼女はしれっと言い放った。
「それ、種類が違うんじゃないですか?」
よく見てみると確かに、ここらで作っている芋が丸いのに対し、そのジャガイモは縦長だった。じゃあこれは、という質問に、彼女はやっぱりしれっと答えた。
「新じゃがですね。そのままでも食べられるけれど熟成させたければ土に戻しても良いんじゃないですか?」
牛に道草を食わせながら、ポテトサラダを作ってくれた彼女は、年に一回この畑にやって来る。
「おーい、ディーンさーん!」
来た!
「ライカさん! 久しぶりだね、アルデも元気か?」
「元気元気ですよー、毎日お乳絞ってるから乳腺炎にもならなくて健康です。それで、今年の冬なんですけれど……」
「ああ、解ってるさ」
さまにならないウィンク、でも彼女はパッと笑ってくれる。
「今年はこの辺の山が被害受けててな、熊がまだ冬眠してないって話なんだ。雪もまばらだから仕方ないのかもしれないけど、いつ人間に被害が来るか分からないからなあ。本当なら猟師さんに頼んだ方が良いんだろうけど、老齢化が進んでるし猟銃一発で射止められるような腕利きもいない……でもライカさん、前まで使ってた短剣よりはましだけれど、その剣振り回していけるのかい?」
「アルデの冬ごはん分は働きますよー。でも確かに、この時期のハルカーンにしては珍しいぐらい雪降ってませんねえ。久し振りに熊カレー食べられると良いなあ」
「カレー? ああ、あのスパイスとハーブと肉と野菜のぶっこみスープか?」
「あれにはここのジャガイモが合うんですよ。ちなみに今年の収穫量は」
「去年とトントン、って所だな」
「じゃあポタージュスープあっためて待っててくださいね、何とか見付けてきますからー!」
「仮にハントしたとしても運ぶのはどうすんだ?」
「企業秘密ですっ★」
彼女――ライカさんが初めて牧場に来たのは四年前か五年前か、まだちょっと幼さの残って見るもの触るものにドッキリビックリばかりしていた頃だ。今はちょっと名の知れている料理人であることを、彼女本人はおそらく知らないだろう。放浪の何でも料理人。ジビエ料理が専門だが、言えば何でも作ってくれる。
聞いたところによると、彼女は異世界から召喚されてしまった天涯孤独の身らしい。ならいっそうちに来て農業やらないかとプロポーズしたのは彼女が来た最初の年だが、意味が伝わっていなくて、はい? と首を傾げられてしまった。兼業農家として牛も飼っているうちはアルデの飼育にも良いだろう、絶対いけると思っただけにずーんと沈んでしまったが、季節は待ってくれないので種まき水やり収穫出荷彼女の来訪――と、サイクルが出来上がってしまっていた。
彼女が料理をするのは主だってアルデに引っ張らせているキッチンカーの中だ。時々余り物としてとんでもないお土産があったりするが、冬場は何も獲れないで延々牛乳を出荷し続け春を待つしかない俺達にとっては貴重な肉だったりする。と、キッチンカーの周りにわらわらと人が集まり出すと、俺ははじき出されてしまう。
「ライカねーちゃん久し振りー!」
「一年ぶりだねえ、元気だったかい?」
「お、今度は長剣にしたのか。リーチがあるのは良いぞ、うん」
「ねーちゃん今日どこ泊まるの? うち来てよー、異国のお話知りたいー」
群がる人々に流石の彼女も困ったようにどうどうと群衆を宥めている。料理上手で気配り上手な彼女は村でも人気ものなのだ。いい子にしてないと冬に肉持って来てくれるねーちゃんが来なくなるよ! なんて定型句がまかり通っているぐらい。そして今年の肉は――
「じゃーん、オウギュウの切り身でーす!」
キッチンカーを開店して彼女が取り出したのは、どこに入っていたのか分からない巨大な肉塊だった。五キロは固いんじゃないかと思わせる。下手をすると先日向かいのセシルんちで生まれた赤ん坊よりでかい。
オウギュウは名の通り牛の王と呼ばれる猛獣だ。その角は人を突き刺し、草は原っぱ一面が荒野になるほど一気に食らうのだという。そんなものをどうやって、なんて、訊くのは野暮だ。なんてったって相手はライカさん。オウギュウも敵わなかったと言う事だろう。
筋は煮込んでビーフシチューにし、他は鉄板で焼いて焼肉にするのだという。するとすかさず村人は『おらが畑の名産も焼け』と玉ねぎやらカボチャやらを持って来る。肉をひっくり返すと、適度に脂が落ちて良い匂いだった。
って言うかライカさんの腕は大丈夫だろうか。思って覗き込んでみると、新しい剣ですぱすぱカボチャも肉も切りまくっていた。料理の学校を卒業したばかり、と言っていた彼女に、この一年はどうだったのだろう。もうこっちに飛ばされてきてかれこれ五年だ。何もない一年だっただろうか。それとも、ここに帰って来てくれるような一年だっただろうか。語り部として、戻って来てくれるぐらいの。
俺だけじゃなく皆が迎えてくれる。そんな、家のような村は、世界中でここだけだと思いたい。我が侭だと分かっているけれど。
「ところで熊は何匹ぐらい出てるんですー?」
さくっとカボチャを切って行く彼女に、今は一応一匹確認されてる、と告げる。ああとにっこり笑って、彼女は剣を構えた。
「それならもう片付きますね」
「えっ」
「オウギュウの匂いに釣られて、ほら」
「えっ」
振り向くと、小高い丘になっているはずの畑の斜面を、猛スピードで登ってくる熊が居た。
「く、熊が出たぞー!」
警鐘を鳴らして村人が家に逃げて行く中、ライカさんを置いて行けずに取り残された形の俺は、のんびり振り向いたライカさんの顔を見る。
やる気満々の子供みたいな横顔だった。
「私の国でも熊は出ましたからねー、あれはヒグマって言うんでしょうか、首輪が付いてない」
「ら、ライカさっ」
「おっきいお肉に、なーあーれっ!
まるでおまじないでも掛けるように、ライカさんの剣は熊の首をふっとばした。
それから腹を裂き、内臓を取り出したり胃の中身を見たりしてふんふん見分する。じたばたとまだ生きている部位が動くが、やがてそれも無くなった。そうしてにっこり、俺の方を振り向く。
「大丈夫、食べられた人はいないみたいですよー」
「へっ」
「骨とか歯とかが残ってることもあるんですけど、この熊の胆の中はジャガイモばっかりでしたから。さてと、柔らかいうちに皮削いじゃいましょう。オウギュウもあるから早く食べないと腐っちゃう」
「あ、ああ、それは勿体ないな」
「干し肉にでもすれば冬場の非常食にでもなると思いますよー。さ、ディーンさん、みんなを集めてくださいな。肉が焦げる」
恐る恐る出て来た村人たちは、ケロッとしてクマをさばいている彼女にあっけに取られていたが、肉の手に入った喜びとクマが居なくなった感激で、祭りのようになった。ビーフシチュー、熊肉のカレー、野菜と肉の鉄板焼き。それでも彼女は笑いながら一人一人の相手をしていく。贅沢な文句も、酔っ払いの相手も、アルデの乳絞りも。
何でも笑ってこなしてしまう人だから、たまらない。
この村は彼女にとって特別かもしれないが、そんな特別な村はやはりいくつでもあるのだろう。いくつあってもいい。俺がそれに関われないことははっきりしているから。誰かが待ってる村があるだろう。国があるだろう。その中で彼女を待ってる一粒にでもなれればいい。
ライカさんはいつものように俺達の写真を撮って行く。俺達は写真を見せてもらってその時の思い出話を聞く。どう考えても異常なショットには突っ込みを入れたりもするが、あっけらかんと身の危険を話すのだから堪らない。でもそんな、自覚ない勇気を持った人をこそ、人は勇者と呼ぶんじゃないだろうか。
なんちゃってな。フラレ男のたわごとだ、そんなのは。彼女は強い。それだけの事だ。お、アルデの乳がそろそろすっからかんだな。うちのも持って来るか。
立ち上がった俺にぶもっと鳴いて袖に噛み付いて来たのはアルデだ。おそらく疲れて、もう自分も厩舎に入りたいのだろう。ライカさん、と呼び掛けると、はあい、と彼女は笑って振り向く。
「アルデが限界みたいだから、厩舎に連れて行くよ。代わりにうちの牛乳持って来る。キンキンに冷えてるだろうけどな」
「キンキンに冷えた……、そう言えば牛乳でお酒作り始めたんですよね。誰か試し飲みしてくれる人います? なんだか営業不振なんですよね、それだけ」
「どれ、少し」
「はいどうぞ」
「あら、美味しい。ちゃんと牛乳なのにお酒の味がするわ。フルーツなんかに掛けて食べたらおいしいんじゃないかしら」
「フルーツかあ……試してみたいんだけどなあ……」
「ああ、ライカちゃんアレルギー持ちだっけ」
「柑橘とイチゴが駄目です。致命的。あらかじめ切っておいてるんですけど、足りなくなった時は手袋してカットしてます。リンゴは平気なんですけどねー。だからこっちに来た時はそれが楽しみで楽しみで」
「おや嬉しい事を言ってくれる。さ、リンゴの旬は冬よ! 人に食べさせてばっかりいないで自分も食べる! 料理人なんだから、舌を肥やしてなんぼよ!」
あっはっはと笑うおばさん達に囲まれて、ライカさんも笑う。
俺も笑って、ホロホロの肉が溶けたビーフシチューを味わうことにした。
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