第4話

「お、寝床に良さそうな洞窟はっけーん」


 響いて来た声に重い瞼を開けると、そこに居たのは人間の娘と牛と、何やらからくりの車が一台止まっていた。


 魔王として上り詰めたものの跡継ぎには恵まれず、結局この年で老いて隠居の身となってしまった。部下だった者たちもそれぞれの生き方を見付け出て行ってしまい、残っているのは使用人が一人か二人。主に水を運んでくれるが、そこにかつてあった畏敬の念はなく、ただ同情の視線があるだけだ。今は誰が魔王をやっているのか、どう暮らししているのかも知らない。生き死にすらも興味がなかった。ただ老いていく自分を感じるだけ。


「っと、うわあ」


 探索にと単身入り込んできたのは人間の娘だったようだ。年の頃は二十五・六。生き物としては盛りの付いた頃だろう。少女のような大きな目でこちらを見上げて来る彼女は、ほへー、と呑気に息を吐く。白いそれに昔は氷室として使われていた洞窟だったな、とどうでも良いことを思い出した。自分に関することにも無関心になって来たのは、死の近さゆえか。寂しいものだな、とほんのわずかに思える。

 彼女はあちこちから自分を見上げ、観察しているようだった。龍王とかつて呼ばれた自分なら火炎一発で黒焦げにしてやれたが、今では火傷がせいぜいだろう。彼女が持っているのは、そう言えば松明ではない。小さなそれはからくりのようだった。まあ何だろうが自分には関係ないが、目にちかちか煩い。


「生きてます……よね?」


 ぐる、と喉を鳴らして頷くと、彼女はぱっと咲くように笑い、洞窟を抜け出していった。そして連れて来たのは牛とからくりの箱である。からくりの箱からは、かぐわしい血生臭さが漂って来て、思わずごくりと喉が鳴る。よく見るとライノライガーが後ろ足を縛られ血抜きされていた。このところは食欲もなく水すら飲んでいなかったな、思いながら見ていると、彼女は桶を取り出してそこに牛の乳を搾り出した。白と黒の何の変哲もない牛だが、元とは言え魔王を前に畏れ知らずな一行だった。逆におかしく、ふっと笑ってしまうと、彼女は少し重たそうに顔をしかめながらも自分の前に牛乳の入った桶を差し出す。


「今日は雨なんで雨宿り場所を探してて、丁度良い洞窟だったので一晩泊めて頂けませんか? まずはこの牛乳をどうぞ、お腹空いてたらそこのライノライガー捌きますので」


 物おじせずにっこり笑った彼女の笑顔の、眩しいこと眩しいこと。

 身の丈は四倍にもなるがこのサイズの魔物を見ればまず人間は逃げ出すだろう。そこにしれっと供物も持ってくるとは心外にも過ぎる。面白くなってしまって、自分はげらげらと笑った。彼女は何がおかしいのか分からない様子だったが、自分が桶を持ちぐびりと牛乳を飲み干す。

 ほんのり甘いそれは懐かしい味がした。腹が温まって行く。人肌の温もりは血よりもずっと腹を満たしてくれる。


「もう一杯貰えるか」


 ねだってみると彼女は嬉しそうに、はいっと頷いた。


 自分の力が少し上り坂になったのを感じたのか、眷属たちがちょろちょろと顔を出しては彼女を警戒し、牛乳で手懐けられていった。久し振りに火を灯して明るくしていると、きゃっきゃと魔物たちがはしゃぎだす。そして目に行ったのはライノライガーだ。皆がじーっと見ているが、彼女は呑気に牛乳のコップを洗っている。

 魔獣は知性の無いものと考えられていて我々魔物もよく口にするが、このライノライガーはどうやって捕まえたのだろう。訊いてみると、彼女は宝飾の付いた煌びやかな鞘の短剣を取り出し、抜いて見せた。良い物を使っている。


「寝てるところをこれでブスっとやっちゃいましたー」


 あははははーと笑う彼女に、我々はちょっとぞっとする。


「でも研いでないからそろそろ人里行かないとなー。その前にこれ、捌いて食べちゃいましょうか」


 やんややんやと盛り上がる。

 眷属の一人が忘れ去られていた巨釜を引っ張り出し、火に掛ける。彼女はどうさばいたものかなーとライノライガーを見上げていたが。自分はそれを奪い取り、上半身を食い千切った。瞬間パシャっと小さな光が音と共に向けられる。だが悪い魔法の類ではないので放っておいた。そもそも彼女は魔法使いではない。それより久し振りの肉に身体が歓喜する。一次的なものだが。

 頭蓋骨をごりごりと鳴らして食ってから残った半身を彼女に放ってやると、綺麗に切りたかったのになーとぶつくさ言われた。天下の魔王にそんな事を言える彼女が面白くて、牛乳を飲みながら笑った。酒でなくてもこんなに笑えるものなのかと、自分でも驚いたほどだ。

 食いやすいように腑分けして肉を削ぎ、鍋に入れる。味付けはどうするのかと思ったが、彼女は岩塩のようなものではなく、黒っぽいスープを出してドボドボと入れていた。


「それはなんだ?」

「ショーユって言う私の国の調味料です。甘じょっばくておいしいですよー、っと灰汁が出てるからとらなきゃ」


 小さな泡の塊を掬っては投げ掬っては投げしていると、なんともいい香りがしてくる。


「もうよいのではないか? あまり焦らすとお前も鍋に突っ込まれるぞ」

「お前じゃなくてライカですよー。あなたは? 龍の王様?」


 名を久し振りに思い出す。


「ミドガルズオルムだ」

「そう、我らの王ミドガルズオルム!」

「千の刻を生き万の魔物たちを統べるもの!」

「あなや楽しや浮世のすべて!」

「我らの王の、往くままに!」


 きゃっきゃとはしゃぐ小鬼たちに自分の眠りが近いのを自覚する。何て良い夜だ。もうないと思っていた事だ、こんな宴は。王は眠り、次代に託す。それがどんな結果になろうと、それはもはや自分の感知するところではない。だがその前に、置き土産をしてやるとしよう。こんな最後をくれた彼女に。ライカに。


「ライカ、こっちにおいで」

「? 鍋のおかわりします?」

「いいや。お前に二つ、授け物をしようと思う」


 食って寝ていびきの煩い中で、自分はゆっくりと背中に括り付けていた剣を差しだす。宝飾は地味だが切れ味は抜群で、錆も鈍りもしない神剣だ。


「ミストルティン、と言う神剣の一種だ。長い事自分の魔力を吸って来た所為か、切れ味は抜群だし短時間なら空も飛べる。セレストニオンの狩りなどには重宝するぞ。アレは足の付け根と羽の付け根が美味い」

「わあ! じゃあ早速試してみますね!」

「こら、二つと言っただろう。もう一つはこれだ」


 きらりと翳したのは紫水晶のペンダントだ。


「旅をしていればその牛やからくりが邪魔になることもあるだろう。そんな時にはこれを翳せばいい。中に丁度収まるようにできている。落としたら大変だから、紐は切れない魔法を掛けて置いてやろう。ありがとう、ライカ。楽しい最期をくれて、本当に、ありがとう――」


 私は眼を閉じる。

 腹いっぱいで死ぬと言うのは中々いいものだな。

 満たされて、まるで卵の中に帰ったようだ。


 心地いい――

 ありがとう――

 ライカ――



「って訳でミストルティンは私のものになったのでした、めでたしめでたし」

「と言う事は――俺達が倒したのは、まだ魔王になりたての、ちんちくりんなのか!? あんなに苦労したのに!?」

「若いうちの苦労は買ってでもしろ、って私の国では言いますよ。はい、ライノライガーの炙り焼き。熱いからお気を付けて」

「ああ、ありがとあぢっ」

「大体ファルコさんだって持って来たじゃないですか、宝剣」

「神剣と宝剣はランクが違う!」

「まあふてぶてしく城に行ってこれが証です、って言えば良いじゃないですかー。私はそう言う図太い根性してる方が、この先も便利だと思いますよ。っと、そうか、城に行くのか。どこの国です?」

「え? ああ、スーベンク王国だ。あそこが一番賞金が高い」

「計算してるじゃないですか。私はハルカーンなので途中までご一緒しますよ。牛乳消費手伝ってもらうために」

「俺達は歩く水筒か!」

「まあ良いじゃんファルコー。ちょっと甘くて温かいアルデの牛乳、私は大好きだよ!」

「あはは、ありがとうございます。っと、じゃあ食料はなくちゃいけませんねっ!」


 ライカは突然飛び上がり、上を飛んでいたセレストニオンを空中で掻っ捌いた。ぼたぼた落ちて来るのは血の雨と三枚おろしにされた鳥獣の足と翼だ。遅れて胴体。こういう魔物だったのかと観察してみると、内臓が見えた。またもつ鍋にしてもらおう、思いながら俺はまず脚から血抜きの為にキッチンカーにぶら下げた。

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