第3話

 彼女と出会ったのはもう四・五年前だろうか。キッチンカーと共に牛を連れて森の中で途方に暮れていた。領内に突然現れた非魔法使いの気配に足を延ばすと、彼女は泣きはらした目で私を見、ここどこですかあ、と迷子の子供のように言ったのだ。牛は蕭蕭と道草を食っていた。取り敢えず聞いたことのない言葉だったので自分にも掛けている――商人の殆どが掛けている簡単魔法だ――言語魔法でどこの言語も解るようにしてやったが、それでも彼女は泣きぬれて止まらない。どうやら異世界から迷い込んできたようだと説明すると、更に泣き出した。両親とも友人とももう会えないと言うのは相当きつかったのだろう。小娘にはなおの事。


 そこで一つ提案したのは、台所と寝床が付いているからくりの車で取り敢えず料理を生業にしてみてはどうかと言う事だ。試しにそこら辺に居た小動物を狩って渡してみると、獣の捌き方は解るようだが、包丁がよく切れないらしく難儀していたので、豪奢で見た目だけは良い短剣を渡してみる。そこそこ切りやすくなったのか、彼女はさくさくと捌いて行った。それから匂いを嗅ぎ、とりあえずソテーにしてみると、意外に美味い。提案した自分が言うのもなんだが、丁度飯時だったのでおもわずがっついてしまった。彼女は丁寧に洗ったナイフを返してくるが、どうせ王の飾りに過ぎないもの、くれてやるとありがとうございます、とまた泣きながら言った。よく泣く娘だ、ふすっと笑ってしまう。


 ところでお爺さんお名前は?

 この地を支配している、シルゼン・アースエルだ。

 王様じゃないですか!

 泣き止んだその目がぱっちり開くと、中々可愛い娘だった。養女にしてやろうかと思うぐらい。


「公、何やら怪しげな娘が公に会いたいと言って城門の前に来ているのですが」

「何者だ。名前は?」

「ライカ、と言っています」

「ライカ! そうか、通すが良い。王子の偏食も直るだろう! 車は城内で、牛は連れて来られるようなら連れて来てくれ!」

「私は別に偏食ではありません、お爺様!」

「は、はい!」


 ふっふっふ、と髭を撫でると、胡散臭そうに孫の王子は私を見る。さてはて一年ぶりに会うあの娘はどうしているだろう、ばたんっとドアを開けて相変わらずの作業着で、ばたばた走って来る。少しだけ年を取って彼女は私に飛びついて来た。流石に衛兵が動くが、手で制す。王子すらもぽかん、としていた。ほっほ、と笑うと若い肉体が押し付けられて……ん、むふん。げふげふ。


「シルゼンのお爺ちゃん、お久しぶり! 今日は魚いっぱい持って来たよ! お爺ちゃんの好きなみりん干しにもしてきたけど、歯は大丈夫? いきなりすっこぬけない?」

「なっ」


 一番最初に素に戻ったのは王子だった。


「貴様、シルゼン公の御前で『お爺ちゃん』などと、馴れ馴れしいぞ俗物が!」

「あれ、お爺ちゃんこの子誰?」

「寄宿舎学校に通っていた孫でな、休みなので帰って来ている。そうか、ライカが会うのは初めてか。私のもっとも信頼する料理人の一人じゃよ、王子」

鶴見来果つるみ・らいか――ライカとお呼びください、殿下」

「大体僕は魚が嫌いだ!」

「あれ? お爺ちゃんのリクエストじゃなかったんですか? 海産物一杯、って」

「お爺様!」

「やっべばれた。時にアルデは流石に入って来られなかったのか?」

「いえいえここに居ますとも」


 彼女は胸にぶら下げた紫水晶をぱちんっと弾く。

 途端に現れた牛とキッチンカーに、周囲は唖然とし、私はほほうと頷いて見せた。なるほど。


「収納魔法じゃな。これなら入り口の狭い所でもキッチンカーたちを連れて行ける。なかなか良いセンスじゃぞ、ライカ」

「えへへー。はい、先にサンマのみりん干し。歯が抜けないようにね。王子様は何かリクエストがおありで?」

「だから僕は魚が嫌いだとッ」

「はいお任せけってーい。さてと」


 キッチンからは磯の匂いが漂っている。内陸国のシルゼンでは珍しいもので、気分を悪くする者もいるぐらいだ。王子もその一人で、げぇ、と喉と鼻を押さえている。ライカは素知らぬ態度でまずは一杯目の牛乳を配っていた。その間にサンマの焼ける香ばしい匂いがする。

 最近はサンマも漁獲量を減らしているというが、ライカの魔法のキッチンカーならそれも関係ない。でっぷり太った良いのを、王子の為に丁寧にワタを抜いて、添えるのは大根おろしの茎に近い部分と纏めて刻んであったレモンを添えて、最後はショーユでさらりと味付ける。


「はい、定番のサンマの塩焼き。温かいうちに食べてね」


 にっこり顔で言われた王子はうっと身体を引きながらも、醸し出される匂いに抵抗できず、フォークを取ってホロホロの中身をのせ、はぐ! っと意を決したように食べる。

 そして目を見開くのは、私達でも見たことのない顔で、笑ってはいけないのに息を漏らしてしまう。


「うまい! ちょっとの生臭さはあるけど皮が香ばしくて身もほろほろでおいしい! 学校で出されるウナギのゼリー寄せより、ずっとずっとおいしい!」

「あれも調理次第ですけど……私が作ってみましょうか?」

「食べる!」

「あとショーユとかレモンとか大根おろしとかで食べてみてくださいね、サンマも。結構持って来たけど、さてさてウナギはあったかなー」

「わしはかば焼きの方が好きじゃのー」

「舌の肥えた王様だなー。まあ命の恩人の言う事だから聞いちゃうけどね。あ、牛乳は飲み終わったらこの水桶に漬けてくださーい」


 てきぱき洗い物をする間にパパっとウナギをぶつ切りにしていく。その手にあるのは――。


「ちょっと待て、ライカ! お前が持っとるそれ、神剣ミストルティンではないのか!?」

「はい、ちょっと前に魔王のお爺さん看取った時に貰いまして。今日来たのはあの時お借りしていた短剣を返すのも目的の一つだったんですよー」


 すっかりワイルドライフが板についた彼女は、はふはふ言いながらサンマを食べる王子をちゃっかり写真に撮って、プリンターと繋げて写真にする。それをキッチンカーのあちこちに貼るから、彼女のキッチンカーは一見騒然としているが、写真が日に焼けないように定期的に交換しているのも知っている。でなければあんな写真一枚で食べ放題なんて無茶はしない。彼女は根っからの料理人だから、まあ、仕方あるまい。作ったものを美味しく食べて欲しい、そんな彼女のささやかな願いなのだから。


「お父様! ライカが来ているって本当……ライカ! 待っていたのよ、ずうっと!」

「その言い方をされると私の立場がないのだが……久しぶりだなライカ。お、王子は魚が食べられるようになったのか。偉いぞー好き嫌いがなくなって行くのは。私はウナギのかば焼きの方が好きだが」

「親子そろって舌が肥えてるなー! はいお久し振りに牛乳を一杯」

「おいしい……アルデのお乳はほんとうにほの甘くておいしいのよね。大好き、これ!」

「母上ったら幼い子供みたいだ」

「幼女じゃありません! で、今は何作っているの?」

「ウナギのゼリー寄せですよ。王子が学校で出されていたのが苦手だったそうなので、私のレシピならどうだろうってことで。スパイスとハーブ次第でいくらでもおいしくなると思うんだけどなー……さて、二時間煮込んでる間に皆さんにも何かお作りしましょうか」

「い、良いのか!?」

「俺はキドニーパイが食べたい!」

「俺、レモンケーキ!」

「私ミンスミートパイ!」

「ミンスミートパイは季節ものでしょう、却下。キドニーパイはこの前牧場で熊狩り手伝った時に貰ったモツがあるからそれで作れるかな……バターと卵が心配だ、こうなると。常備はあるものの城の台所っておっきなパイ焼けるような窯あったっけか……」

「諸君! 調理場へ向かいありったけのバターと卵を持ってくるのだ、早く!」

「相変わらず肉食系だなここんちの殿下は! 卵は急ぐと割れちゃいますよ!」


「お爺様……」

「何かね? お、骨だけ残して綺麗に食べたな。偉いぞー」

「あの人、何者?」

「ただの料理人じゃよ。ふふ。五年前は泣き虫のちんちくりんじゃったがな」

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